生体組織の再構成などの組織工学、再生医療への応用も期待
早稲田大学理工学術院の板橋岳志講師と石渡信一教授は、同学術院の寺田泰比古教授、東京大学大学院の下山勲教授らとの共同研究により、哺乳動物細胞の細胞分裂の進行が力によって外部制御可能であることを発見しました。生物物理学、分子生物学分野の技術を結集し、マイクロマシン技術を統合することにより、ヒト培養細胞を定量的に直接顕微操作し、細胞分裂に必須の染色体分配を外部から物理的に補完・制御できることを発見しました。このような細胞力学操作の手法と成果は、染色体分配の動作・制御の力学メカニズムの解明に寄与するだけでなく、細胞自体、そして生体組織などの組織工学や再生医療への応用が期待されます。
この研究は、科学研究費補助金の支援を受けて実施されました。なお、この成果は論文「Mechanical impulses can control metaphase progression in a mammalian cell(機械刺激は、哺乳動物細胞の有糸分裂中期の進行を制御できる)」として、米国科学アカデミー紀要「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(略称:PNAS)」誌に掲載される予定ですが、それに先立ちオンライン版に掲載されました。
PNAS掲載論文概要

図1:細胞分裂期細胞の顕微操作像。圧縮前(上)、圧縮中(中)、圧縮後(下)

図2:外部負荷による染色体分配開始の制御。
1. これまでの研究で分かっていたこと
筋肉、内臓、脳などからなる私達の体は、たった1個の受精卵から始まり、遺伝情報を集約する染色体が、細胞分裂のたびに娘細胞へと1本たりとも間違えることなく正確に受け継がれることによってできあがっています。染色体の分配に狂いが生じると、重篤な疾患や癌の悪性化など様々な病気の原因となります。
染色体分配のタイミングを決め、分配の異常を未然に防ぐ分子機構として、スピンドルチェックポイントと呼ばれる監視機構が存在します。これは、物理的な力と生化学的なシグナルのバランスが精巧におりなす細胞周期制御機構です。この制御機構については、これまで分子細胞生物学・細胞生物学的に盛んに研究されてきました。その結果、チェックが解除されるためには、動原体への微小管の両極性結合により発生する張力が必須であると推測されています。しかし、発生する張力とそのシグナル伝達機構については多くの謎が残され、細胞分裂装置である紡錘体における力の機能は医学・細胞生物学者の中で最もホットな研究課題の1つとなっています。
2. 今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
このような研究状況を踏まえ、私達はこれまでの生体運動系の研究で培ってきた力計測・分子操作手法を活用し、染色体分配の開始機構のメカニズム解明に迫ることを着想しました。
本論文では、「細胞分裂装置に働く張力を外部負荷によって加減することで、染色体分配を開始するタイミングを強制的に制御できるか?」というシンプルな細胞生物(物理)学的問いかけをしました。この問いに答えるため、先端的MEMSカンチレバー装置を用いて細胞を瞬時に圧縮・伸長する(“力パルス”を加える)という生物物理学的手法を中心に、分子細胞生物学的手法を加味することにしました。その結果、スピンドルチェックポイントが力パルスによって制御されること、したがって、細胞分裂の進行が力によって制御可能であることを発見しました。
3. そのために新しく開発した手法
これまで、紡錘体にかかる張力は、主に微小管の重合・脱重合阻害剤(抗がん剤としても使用されている)を不可逆的かつ長時間作用(分オーダー)させることで研究されてきました。本研究では、東京大学下山勲研究室で開発されたMEMSカンチレバーを用いた力制御解析システムによる顕微操作法を用い、細胞分裂期の哺乳動物培養細胞(ヒト子宮頸がん細胞(HeLa細胞))に外部負荷(力パルス)を加える実験系を構築しました(図1)。これは、外部負荷を定量的かつ可逆的に自在に制御することが可能です(数十ミリ秒オーダー)。また、染色体マーカーとなるタンパク質や細胞周期制御タンパク質などと蛍光タンパク質(GFP)とのキメラタンパク質を発現させた細胞を対象に、それらの分子動態を蛍光顕微鏡で観察することで、分子機構を解析しました。
4. 今回の研究で得られた結果及び知見
カンチレバーを用いて力パルスを加え、細胞を一瞬だけ圧縮すると(図1)、圧縮の方向や大きさに依存して、細胞内の紡錘体に働く張力を増減できることが分かりました。その結果、張力を減少すると、染色体分配開始のタイミングが遅れ、一方、張力を増加すると、加速することが見いだされました(図2)。さらに、チェックポイントタンパク質や細胞周期を制御するタンパク質の動態を解析した結果、有糸分裂中期の進行中に細胞が受ける様々な外部負荷に対して、異なるシグナル伝達機構が存在することを明らかにしました。また、薬剤処理によって染色体分配を抑制した細胞に適切な力パルスを加えると、ある割合で分配が開始されることも見いだしました。これらのことは、様々な細胞機能が外部から物理的に補完・制御可能であることを示唆しています。
5. 研究の波及効果や社会的影響
細胞分裂に伴う染色体の分配は、非常に正確な精度で遂行されなければなりません。染色体が均等に分配されないと、重篤な疾患や癌の悪性化などの原因となります。また近年、紡錘体における力の機能の解明は細胞生物学者の中で最もホットな研究課題の1つとなっています。新たな観点から難題の一つを解明した本論文は、医学的にも、学術的にもインパクトの大きい研究です。
生体をとりまく物理的な環境(力・温度や、そのシグナル・情報伝達機構)とその変動は、多くの細胞機能やその制御機構に非常に重要な役割を果たすとの報告が近年相次いでいます。本論文で開発した細胞力学操作の手法と成果は、染色体分配の動作・制御メカニズムの解明に寄与するだけなく、力による細胞機能の外部制御、そして生体組織の再構成などの組織工学や再生医療への応用も期待されます
6. 今後の課題
癌細胞で見られる染色体異常は、主に細胞分裂の失敗に起因しています。したがって、正常細胞を含む様々な細胞種の力学応答性を比較検討することが望まれます。卵細胞から組織への階層構造の構築過程において、細胞は、スピンドルチェックポイントに代表される“力”による制御機構を発達させてきたと考えられます。私達は、細胞分裂のみならず、“力”による制御機構が、胚発生や組織などの形成過程において、例えば細胞間の多次元的位置取りなどに、どのような役割を担っているかを今後明らかにしたいと考えています。
注)MEMS(MicroElectroMechanical Systems:微小電気機械)デバイスとは、半導体技術を用いて製作したマイクロ(10-6)メートルオーダーのデバイスです。
論文題目
Mechanical impulses can control metaphase progression in a mammalian cell
「機械刺激は、哺乳動物細胞の有糸分裂中期の進行を制御できる」
なお、重要な論文を紹介するPNAS誌同号の“In This Issue”欄に紹介記事が掲載される予定です。
著者
- 板橋岳志 早稲田大学理工学術院講師
- 寺田泰比古 早稲田大学理工学術院教授
- 桑名健太 東京大学大学院・情報理工学系研究科博士研究員
- 菅哲朗 東京大学大学院・情報理工学系研究科助教
- 下山勲 東京大学大学院・情報理工学系研究科教授
- 石渡信一 早稲田大学理工学術院教授・早稲田バイオサイエンスシンガポール研究所所長
リンク
- 理工学術院 石渡信一研究室・寺田泰比古研究室
- 東京大学大学院情報理工学系研究科 下山・松本研究室
- 重点領域研究機構 早稲田バイオサイエンスシンガポール研究所
以 上