宮城淳氏にスポーツ功労者表彰

4月1日に挙行された2012年度入学式において、宮城淳氏をスポーツ功労者として表彰いたしました。

顕彰状

宮城淳氏は、1931年10月19日に東京都大田区(現)に生まれた。戦後間もない1948年に第一早稲田高等学院に学び、第一理工学部電気工学科に進学し4年間学んだのち、1953年に第一商学部へ編入学し、1955年3月に卒業した。

氏がテニスを始めたのは、早稲田大学入学後で、庭球部・安部民雄部長、福田雅之助監督に師事した。安部民雄部長からは技術以外にも学業面の指導も受け、福田雅之助監督からは、「庭球する心」も学んだ。第一理工学部で実験に追われながらもレギュラーになり、1950年大学3年の冬にインドからの招待で、加茂礼仁氏と初めての海外遠征、大学4年の春からデビスカップ日本代表になり、約半年の間、アメリカ東海岸から西海岸を一人で武者修行をし、技術の向上はもとより精神面でも一層強くなり帰国した。1953年から加茂公成氏がデビスカップ日本代表に加わったのを契機に、ふたりのコンビによるダブルスで抜群の強さを発揮し、1954年には全日本テニス選手権で男子シングルス初優勝、男子ダブルス初優勝を達成した。

氏は編入学した第一商学部を卒業した1955年の5月に日本で初めて行われたデビスカップアジアゾーンで優勝し、同年8月に行われた全米テニス選手権では男子ダブルスに加茂公成氏とペアを組んで出場、決勝戦では6-3, 6-3, 3-6, 1-6, 6-4とフルセットの末に悲願の優勝を果たした。これは、日本人による4大テニス大会での初優勝で、日本テニス史に残る貴重な勝利である。氏は全日本テニス選手権では、1954年,1955年,1957年,1960年の4度にわたり、男子シングルスと男子ダブルスの単複2冠を獲得し、1962年には混合ダブルス優勝もした。デビスカップでは、1962年と1963年に日本代表監督を務め、選手としても1963年までプレーを続けた。デビスカップ通算成績は、シングルス11勝13敗、ダブルス6勝9敗、通算18勝21敗となる。

選手引退後は、ゼネラル石油株式会社取締役を経たのち、本学体育局および人間科学部で20年の長きにわたり教鞭をとり、多くの人材を輩出するとともに、本学のスポーツの推進に努めた。本学庭球部の部長・監督、日本テニス協会専務理事などの要職をも務め、また昨年までは所沢市西地区総合型地域スポーツクラブ会長として、本学所沢キャンパスとも連携した地域スポーツの振興にも長年尽力をした。1955年には日本スポーツ賞、1985年には日本テニス協会特別栄誉賞を受賞した。現在は日本テニス協会顧問を務めている。

ここに早稲田大学は、卓越した競技力で戦後の日本人に勇気を与えるとともに、氏が後進の育成や地域社会のスポーツ発展に尽力したことによる特筆すべき功績、ならびに早稲田大学への永年にわたる多大な貢献と献身を称え、宮城淳氏を早稲田大学スポーツ功労者として表彰し永くその栄誉を顕彰するものである。

2012年4月1日

早稲田大学

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