世界初、1京分の1秒(100アト秒)の時間分解能で
分子の中の電子の空間分布は電子波動関数として表されます。高強度レーザー電場によるトンネルイオン化過程により、分子内に電子波束運動(電子の空間分布の変化)が生じ、同時に電子が分子から放出されます。放出された電子はレーザー電場によって加速され、電場の1周期以内に元の分子に戻り再衝突します。この再衝突過程を用いて、分子内の電子波動関数を測定します。再衝突時に高次高調波と呼ばれるコヒーレントな極端紫外〜軟X光が発生しますが、適切な発生条件を実験的に選ぶことで、高次高調波の波長(エネルギー)を再衝突する時間に変換することができます。高次高調波の偏光方向は分子内の電子の空間分布を反映するので、偏光方向の時間変化を測定することで、分子内でどのように電子運動が起こっているかを観測することができます。
早稲田大学理工学術院の新倉弘倫准教授(先進理工学部)らは、分子内の電子波動関数の変化をアト秒(1アト秒, 1 as =10-18秒)という従来にない、極めて短い時間分解能で測定しました。
電子は原子や分子の中で、ある確率にしたがって分布していますが、その空間分布や位相は波動関数として表されます。分子中の電子状態や波動関数は光などの外部からの刺激により変化し、化学反応や様々な物性の発現を引き起こします。電子の空間分布(波動関数)がどのように変化するかを実時間で追跡し測定することは、有機反応や生体反応における選択性や、物質の新たな機能の解明などに繋がります。
一般に、分子振動や物質の構造変化はフェムト秒(1フェムト秒, 1 fs =10-15秒)の時間領域で起こりますが、様々な電子の運動を測定するためには、アト秒の時間分解能が必要になります。本研究では新たな実験方法を開発し、初めてアト秒の時間分解能でエタン分子の中を動く電子波動関数の変化を測定しました。
今回開発した方法は、時間分解能の追求だけではなく、化学反応途中や生体分子における分子内の電子移動を波動関数の変化としてリアルタイムで観測するための基盤技術になります。
本研究は、カナダ国立研究機構と共同で行われ、2011年8月22日(米国東部時間)発行の米国物理学会誌「PhysicalReviewLetters」オンライン版で公開されました。
研究概要:1京分の1秒の時間分解能で分子内の電子波動関数の変化の観測に初めて成功
先進理工学部の新倉弘倫准教授らは、初めて分子内の電子波動関数の変化を100アト秒(=1京分の1秒、1アト秒=10-18秒)の時間分解能で測定しました。
分子や様々な物質は、電子と原子核から成り立っています。分子は振動や回転運動、構造変化などを行っていますが、これらの分子振動や構造変化は、一般にフェムト秒(1フェムト秒, 1 fs =10-15秒=1000アト秒)の時間領域で起こります。一方、電子はアト秒の時間スケールで分子内を運動します。しかしこれまで、分子中の速い電子運動と分子の振動運動とを分離して観測することは困難でした。
また、分子内の電子の空間分布(電子波動関数の広がりや位相)は、フロンティア軌道理論などに示されるように、化学反応の選択性や反応性、物質の機能に大きく関わります。そこで、ある物理量の変化としてではなく、電子波動関数の空間分布や位相の時々刻々の変化を直接、測定する方法が求められていました。
本研究では、アト秒の時間分解能で分子内を動く電子の空間分布の変化(電子波動関数の変化、電子波束運動)を測定する新たな方法を開発し、分子が振動するよりも速い時間でエタン分子内に生じた電子運動を測定しました。
ここでは分子に強いレーザーパルスを与えることによって起こる、トンネルイオン化過程によって生成する電子運動(電子波動関数の変化)を測定対象にしました。トンネルイオン化過程は、走査型トンネル電子顕微鏡や、軟X線発生など様々な物理測定に使われる基礎的な過程です。その機構を超高速で解明することによりさらに高性能の機器の発達が期待できます。
エタン分子に高強度のフェムト秒レーザーパルスを照射すると、トンネルイオン化により複数の電子準位から電子が放出されます。このとき、図1で示すように分子の価電子の空間分布(赤と青色で示した部分:電子波動関数)が変化していきます。この電子波動関数の変化を、イオン化によって同時に分子から放出された電子(再衝突電子)を用いて検出しました。
分子から放出された電子は、レーザー電場の1周期以内に元の分子にもどり再衝突します。電子の再衝突時に、衝突エネルギーを光のエネルギーに変換する過程が起こると、極端紫外(EUV)〜軟X線領域の高次高調波と呼ばれる光が放出されます。このとき、高次高調波のエネルギー(波長)は再衝突が起こった時刻、すなわち検出時刻を表しますので、スペクトルを測定することにより検出時間を知ることが出来ます。本研究では、電子運動が生じてから800アト秒〜1500アト秒が測定できる時間範囲になります。
それぞれの検出時刻において電子波動関数の形状を同定するために、発生した高次高調波(軟X線)の偏光方向に注目しました。もし電子波動関数の形状が変化すれば、それに応じて、そこから発生する高次高調波の偏光方向も変化します。そこで二波長のレーザーパルスを組み合わせ、分子軸に対して様々間角度から再衝突する電子を当て、その角度の関数として偏光方向の変化を測定することにより、電子波動関数の空間分布がどのように変化していくのかを測定しました。その結果、電子が動き出してから約800アト秒後より1200アト秒までの約400アト秒の間、エタン分子内の電子波動関数の空間分布が大きく変化していることを観測することが初めてできました。
今回開発した方法は、分子の中を動く電子波動関数の空間分布の時間変化を、従来にない時間分解能で測定することを可能にしたものです。振動運動よりも速い時間スケールで測定することにより、いわば分子構造変化を「止めて」分子中の“純粋な”電子運動を測定したことになります。またこの方法は、電子波動関数のスナップショットを撮ることにも発展できるので、時間分解能の追求だけではなく、化学反応途中や生体分子における分子内の電子移動を波動関数の変化としてリアルタイムで測定するための基盤技術になります。
以上