名誉博士学位授与者 シェイク・ハシナ バングラデシュ人民共和国首相 記念講演(抄訳)

早稲田大学 奥島 孝康 殿、早稲田大学教職員・学生の皆様、および出席者の方々へ

早稲田大学総長がこの偉大な学問の府より名誉博士号を私に授与されるにあたって、私と私の国に示された親切なお言葉に私は深く感動しています。私はこの名誉を慎んでお受けいたします。この称号はわが国とわが国民に対する名誉として与えられたものと私は思っています。

この名誉には私にとっても、バングラデシュにとっても特別な意味があります。なぜなら、日本と日本国民の印象はわれわれの心に深く刻まれているからです。こうした感情は、わが国の父、シェイク・ムジブル・ラーマンが1973年、バングラデシュの首相として日本を公式訪問していた折に示したものでした。報道関係者たちに語りかけながら、彼は次のように言いました。

報道関係者たちは、日本の国民や世界の国民の前に解放闘争中のわが国民の苦悩や切望を同情的、かつ献身的に示してくれた人々の仲間でした。私たちはまた、あなたがたが声を張り上げて、私の命を含めわが国民の命を救って下さったことを忘れてはいません。それゆえ、私は、あの苦難の時代にあなた方が我々のためにしてくださった全てのことに対して、最初に私の個人的な感謝の意を、そしてバングラデシュ政府と国民の感謝の意を、そしてバングラデシュ政府と国民の感謝の意を表明したいのです。

父は報道関係者たちに言及していましたが、こうした感情は日本の全ての人々にも当てはまるものです。

この段階で、あなた方の歴史の明治という時代が生んだ偉大な政治家たちに賛辞を捧げさせていただきたい。というのは、新しい日本の主力として奉仕する教養のある男女を作り上げようとするその理想像が早稲田大学の設立を導いたからです。私はこのような理想を掲げた大隈重信のことを深い敬意をもって思い出します。日本の教育への彼の貢献は日本国民の不滅の宝です。それ故、それ以後の時代に、早稲田大学が近代日本の運命を導いた、かくも多くの優れたリーダーを輩出したことは不思議ではありません。早稲田大学の卒業生の名声を表わすこの講堂には、数名の名を挙げるだけでも、竹下 登元総理大臣、海部 俊樹元総理大臣、三塚 博現大蔵大臣というような現代日本の堂々たる人物が立っています。さらに三塚 大臣は、バングラデシュにとってはすばらしい偶然の一致とも言うべきことに、日本バングラデシュ議員連盟の会長も兼ねられています。

早稲田大学の歴史を読むにあたって、私はまた、当大学が学問の独立の維持に専心されたことに引き付けられました。同じく私は、早稲田大学が日本のための良き市民の育成に力を注がれたことにも感動させられました。とりわけ、自由の維持と促進に早稲田大学が貢献されたことが私の心に最も強い衝撃を与えました。早稲田大学の目的や目標は気高く、賞賛に値するものですし、良き市民の育成において当大学が築いた功績は誰もが知っていることです。したがって、早稲田大学はこの偉大な国の幸福に貢献したことを誇れるのです。

早稲田大学の目標から自由への貢献という目標を取り上げさせて下さい。なぜなら、これは我が国民の心の糸に触れるからです。我々にとって自由は抽象的な言葉ではありません。現代の歴史における国家の中で、わが国のように自由のために多くを捧げた国はあまりありません。というわけで、歴史に言及させてください。それは、ここに出席されている皆様の中で、1971年にわが国が解放された時に、私が言おうとしていたことが分かるほどに成長していた人々のためではありません。それは、このような犠牲によって我々が歴史を作っていた時に、まだとても若かったか、あるいはおそらくまだ生まれていなかった人々のためのものです。

バングラデシュの歴史は、死をもってしても、拷問をもってしても、自由を実現する燃えるような願望を人々に捨てさせることのできなかった国の歴史です。この精神は、事実上、権利など全くない制度のもとで生活するという悲しい経験から、また、その想像力と勇気によって威厳と自尊心をもって生活する自由を戦い取る道を人々に示してくれた指導者のおかげで、人々の心に深く染み込んだのです。政治的、経済的自由のために立ち上がれ、という我が国の父の呼びかけを心に留めながら、ベンガルの国民は1971年に、伝統的な戦争の武器においてはるかに優れていた敵に対する解放戦争を開始しました。しかしながら、この表面的には優れている敵の力は、父が人々の心に燃え立たせたインスピレーションにはかなわなかったのです。1971年の9ヶ月、つまり暗黒の9ヶ月のうちに、母国を解放しようとする彼の呼びかけは、敵に対して立ち上がるように人々を鼓舞しました。3百万人におよぶ勇敢な人々の命が犠牲になりましたが、最終的にはあの自由と、国際礼譲における主権・独立国家としての永久的な地位を獲得したのです。

我々の解放戦争の歴史は輝かしくはありましたが、不幸なことに、その直後の時代に我々は国の内外の反逆者たちの陰謀の犠牲になったのです。1975年8月15日に我が国の父がこれらの反逆者によって冷酷にも殺されました。その後、次々に交替した政府がこれらの殺人者たちを保護し、さらに、彼らにこのような保護を与えるために憲法を利用したが故に、かつては誇り高かったこの国に大きな不名誉が浴びせられました。我々は、4年もたたないうちに再び絶望と落胆の淵に追いやられることになりました。

しかし、自由の価値を大いに重んじる国の気力がくじかれるようなことはありませんでした。21年間で我々はわが国の歴史において二度ほど自由のために戦いました。この闘争を経験する際に、我々は、選挙をとおして自らの政府を選ぶ権利を国民に取り戻すことから始めなければならない、と確信しました。かくして、我々は、国民が自らの政府を公平に選ぶことができるように、中立的な暫定政府のもとで選挙を行うという考えをわが国の憲法の中に制度化するために戦いました。我々は成功を収め、中立的な暫定政府のもとで選挙を行うといったこの概念は、今やわが国の憲法の一部になっています。国民は今や、国民から自由を奪う侵害者など存在しえないことを知っています。したがって、煽動によって非民主的な政府を変えるために通りに出ることはもはや存在しません。政治的な平和と安定が我々の政治組織に戻ったのです。このような安定性を確保すること、国民に憲法上の保証を与えることによって、私の政党であるアワミ連盟は政権の座に戻ったのです。実際、侵害者に政権を奪取させないための保証人という暫定政府の概念は今や、自由で公平な選挙制度のもとで自らの政府を国民に選ばせないことで民主主義の概念そのものが損なわれている第三世界では、民主主義を制度化するための積極的な貢献とみなされています。

中立的な暫定政府の概念を実現することは我々にとって目的ではありません。それは民主主義の基礎を制度化するというあの目的の手段なのです。これは我々にとって非常に重要です。なぜなら、我々はわが国の独立と政治上の民主主義のために戦ったからです。我々が政権を担当していた最後の1年間に、我々は議会を最高の機関にするために必要とされる措置をとり、国民の代表者が国内行政の責任を確実に果たせるよう議会における委員会制度を変革し、行政部と立法部を分離しました。さらにまた、国家的な問題については国民合意の政治スタイルを導入しました。実際、わが国の政治文化に超党派的性格を注入することを目的とした国民合意の政治のために、我々は中立的で傑出した人物をバングラデシュ大統領として選出することを支援してきました。我々が圧倒的多数を占めている議会が大統領を選ぶのですから、その場合、わが党の誰かにこの地位を容易に与えることもできたでしょう。

我々は政治改革に大いに注意を向けてきました。なぜなら、我々は、わが国の未来が政治改革にかかっていることを確信しているからです。それにもかかわらず、我々は、我が国民が経済的な権利を剥奪された状態に甘んじられないこと、より質の高い生活をこれ以上長くは待てないことを知っています。我々は、わが国民が落ち込んでしまったあの貧困の悪循環から国民が抜け出すのを助けなければならないことを知っていました。したがって、我々は大いに切迫感を抱いて貧困の軽減に焦点を当ててきました。このことを支援できるように、我々は、教育や農業(わが国民の大半が従事している)や急速な産業化を政府活動の最優先事項としたのです。

経済成長に関する我々の哲学は平等を伴う発展です。政府だけではこれらの変革を実現できないことは我々には分かっています。したがって、我々はこれらの変革の実現を支援する際に、非政府系の組織により大きな役割を与えてきました。国民の大部分が住んでいる農村地域では特にそうです。グラミーン銀行のような組織は、政府の積極的な支援と奨励によって、農村的なバングラデシュの顔を変える作業に従事しています。我々は女性に権限を与える措置をとってきました。その功労が認められて、私はニューデリーにある女性に関するIPU会議から基調演説を行う人間として招待されました。更に、貧困の軽減において我々が果たした役割が認められて、私は1997年2月にワシントンで開かれた最初のマイクロ・サミットに、スペイン女王や合衆国大統領夫人ヒラリー・クリントンなどの著名人たちと共に、共同議長として招かれました。このサミットは、貧しい階層に属している人々の生活を変えるための多くの決定の中に、2005年までに1億の家庭に自営業のための信用と機会を供給する決定を加えました。バングラデシュ政府のもう一つの強調は、民営部門を繁栄させ、経済発展において民営部門がより大きな役割を果たせるようにすることです。我々はこのように経済組織の民営化を目指して多くの手段を講じてきました。

経済成長に関する我々の哲学は、我々が先週、議会で可決した予算案に反映されています。我々は、農業や産業化にかなりの予算配分をしながら、教育に最大の比重を置きました。

我々は、持続できる開発のための外部環境の重要性を知っています。我々はまた、近隣地域における平和が単に必要なものであるばかりでなく、それがわが国の未来の鍵を握っていることも知っています。したがって、我々は前進し、ガンジス川の水の共有に関するインドとの積年の論争をガンジス川の水を共有する条約を締結することによって解決しました。我々は、過去の政治家達が問題解決のための政治的意志を示さなかったおかげで、我々にとって未解決のまま残されていた他の問題に取り組んでいます。今のところ、条約を締結をするために我々が示した政治的な意志は、昔から継続されてきた闘争の遺物が充満している南アジアの他の国々に、そのような政治的意志によって今や自分達の問題を解決してみたいという感じを促すような環境を生み出してきました。パキスタンとインドの間でなされた最近の決断はひとつの例として引き合いに出されるかもしれません。実際、今年の5月にモルジブで開催された南アジア地域協力連合会議(SAARC)では、その構成国は、それぞれの国の問題を解決するのに、過去には見られなかった賢明な政治的意志を表明しました。モルジブで我々はSAARCに指導された小区域の共同的作業のための許可を得ました。そうした活動は南アジア全体を視野に入れた機会を切り開いてきました。今や我々の目前に迫っているこの新たな機会の例を挙げさせてください。もしバングラデシュ、インド、ネパール、ブータンが協力してこの小区域のなかでだけで水を管理できれば、この小区域を全世界で2番目に豊かな水力発電の地にするのに十分な電力をそれらの国全体が発生させることができましょう。エネルギーは産業化、そして事実経済発展の鍵です。したがって、今や我々には、我々が住んでいる世界のこの地域を近い将来、現在のような最も貧しい地域から最も豊かな地域へと変える展望があるのです。このような精神、および地域全体や小区域の共同作業がもたらす期待に勇気づけられて、我々はスリランカ、インド、タイと別のそのような協定を結びました。これはBISTEC、つまり、わが国民にとって膨大な経済的可能性をもつ、バングラデシュとインドとスリランカとタイの頭文字です。

そういうわけで、今や我々のまわりのいたる所に、バングラデシュと南アジアのより良き未来の希望があるのです。我々は初めて変革に言及し、変革を維持させるのに必要な制度的枠組みの創造をとおして変革のために働いているのです。我々は、この度その変革を実現し、バングラデシュの国民により良い生活をさせることに自信があります。わが国の父はより良い生活を国民に約束しましたが、残酷にも暗殺者の凶弾に倒れたために、生きてそれを国民のために実現することができませんでした。

我々の政策は単純であり、目標も慎ましいものです。我々は、わが国民を急に豊かにしたいとは思っていません。我々はただ、健康を第一とし、雇用、住宅などの基本的な要求が当然だと考えられるような生活を国民に保証したいのです。このような変革を我々が実現するための国際情勢も適しています。我々を自由意志で選んでくれた国民、我々が選挙権という最高の権利を取り返してあげた国民と我々は一体である、ということが最も重要なのです。我々が何をし、何をしようとしているのか国民が正確に知ることができるように、我々は自分たちの行動と政策を透明にしてきました。みんながひとつの目的のために統合しているのです。それは、われわれの次の世代が、わが世代とわが国の父の世代が払ったような犠牲を、再び要求されないように全ての人々のためにより良い未来を築くという目的なのです。

より良い未来のための我々のビジョンには、わが国が独立した際に、更には、独立後、わが国が発展を遂げようとして努力していた時代でも、我々に友好的であった国々の支援が必要なのです。この意味では日本は我々の最も重要な友人であり、わが国の発展のパートナーなのです。我々は日本と日本国民に感謝しています。なぜなら、日本国民はわが国とわが国民を愛し、理解してくれたからです。日本とバングラデシュは歴史の深い根で結ばれているのです。あなた方の国の主要な宗教である仏教はわが地方に由来したものです。今日では我々は次のような多くの価値を共有しています。

  • 平和で、核のない、平等な世界秩序のためのビジョン。わが国は核拡散防止条約の加盟国です。
  • 軍備に費やされるお金は、第一に健康、それから教育、更に人々の基本的な必需品に転用されるべきだという信念。
  • 国連の平和維持活動に参加することによって、秩序を穏やかに維持するという認識を共有すること。

更に多くの例があります。しかし、私はこのスピーチを終えなければなりません。私は、我々の進む方向に関する理念、また、我々を未来への旅へと導く哲学をあなたがたにうまく説明できたのではないかと願っている次第です。スピーチを締めくくる前に、あなたがたから頂いたこの素晴らしい名誉のことで、もう一度、心から感謝の意を表明させて下さい。私は今、早稲田大学が過去において名誉博士号を授与された、現代世界の最も偉大な政治家のひとりである南アフリカのネルソン・マンデラのような方々とこの名誉を分かち合おうとしているのです。

ありがとうございました。

バングラデシュに栄えあれ。
バンガバンドゥーに栄えあれ。
バングラデシュと日本の友好関係が長く続きますように。

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