Notice大切なお知らせ

「自然主義者として、生物学者として、人間として」 ワンガリ・マータイ氏 名誉博士贈呈式挨拶

ありがとうございます。どうもありがとうございます。

総長、早稲田大学名誉教授の皆様、アウォリ大使、ご来賓の皆様、生徒の皆さん、そしてご来場の皆様、日本の、卓越した教育機関の一員に加えていただくという大変な名誉に浴し、胸がいっぱいです。本日この場に立ち、大変に素晴らしい教育機関の壇上でお話しさせていただき、その一員とさせていただくとは夢にも思っておりませんでした。皆様は教育機関として私に大きな名誉をお与えくださり、大変に恐縮しております。総長、そして皆様、私は今回いただきました栄誉に対し、お寄せいただいた期待に恥じないように活動していく所存です。

20060213ワンガリ・マータイ氏名誉博士学位贈呈式-(95)

来日はほぼ1年ぶりとなりますが、今回の訪問の目的の1つは、前回の来日時に私たち使節団が皆様から受けた友情と歓迎にお礼を申し上げたかったことがあります。恥ずかしながら、英語は私にとっても皆様にとっても外国語であり、私は日本語がまったくわかりませんでしたので、前回は自分が世界に向けて発信したかったメッセージを日本できちんとお伝えできるかどうかあまり自信がありませんでした。そしてスワヒリ語がおわかりになる方は、もしいらっしゃるとしてもほんの少数の方しかいらっしゃらないのではないかと思います。ですから私はどのようにコミュニケーションを図ったらよいか自信が持てなかったのです。ところが、思いもよらない運命の巡り合わせで、私は日本に到着したまさにその日に、毎日新聞東京本社編集局長の観堂氏から精力的で興味深いインタビューを受けることになったのです。話をしていくなかで、私はケニアで展開しているキャンペーンについてお話ししたのです。1回使っただけで廃棄してしまう薄いプラスチックパッケージは新聞の包装に使用しないようにしようと訴えるキャンペーンです。私は「プラスチックパッケージは、一度捨てられてしまうと、蚊の繁殖に最適の住処になってしまいます」と話しました。ご存知のようにマラリアは蚊が媒介になるのですが、マラリアは、アフリカでは重大な死病の1 つなのです。ですから私は、薄いプラスチックで新聞を包装し、それを廃棄するということは、蚊を繁殖させるすみかを作っているのと同じことで、つまりはマラリアが蔓延する確率を上げているにすぎない、と私の仲間と共に主張し続けているのです。

そこで私は、私がケニアで「3つのR」キャンペーンの推進に努めており、少なくともプラスチックに関しては、我が国のプラスチック業界に対して、たとえそこから利益が生まれるとしても業界は責任を取る必要があり、環境に対する企業責任を負わなければならない、従ってたった1度しか使わないプラスチックの生産は中止すべきである、と述べていることを毎日新聞の観堂編集長にお話ししました。その代わりに、生分解性プラスチックを生産するか、パッケージとして繰り返し使える厚手のプラスチックを使うかしなければなりません。

すると観堂編集長は、日本では資源を大切に使い、資源を無駄にしないという概念を「もったいない」という言葉で表現していると教えてくださいました。「なんて美しい言葉だろう」と思いました。「もったいない」と、私は繰り返してみました。「すてきな言葉ですね」。そこで私は次の機会に、つまり翌日のことですが、日本の友人や聴衆の皆様とお話を始めるときに、「もったいない」という言葉を使いました。そして「私が申し上げたいのは、私たち1人1人がこの概念を個々のライフスタイルに取り込まなければならないということ。買い物をするときであろうと、何か食べるときであろうと、消耗品を購入するときであろうと、この言葉を使うのです。個人レベルで『もったいない』を実践しなければなりません」とお話ししたのです。すると日本の方々は即座に私の言わんとするところを理解してくださいました。私は自分のメッセージが熱く受け入れられてとても嬉しく思います。

環境省の小池大臣、小泉総理大臣にもお礼を申し上げなければなりません。お二人は深い理解を示してくださいました。小泉総理大臣はすでに「3つの R」という言葉を使われていて、「これからは『3つのR』と『もったいない』を使うことにします」とおっしゃいました。小池大臣も同じです。お二人はどこへ出かけても、3つのRともったいないという2つの概念を一緒に使おうとしてくださいました。毎日新聞は私が訪問する先々にお越し下さり、もったいない精神の提唱をお手伝いくださり、大きな支えになりました。その後、私たちは国連を訪問しました。G8サミット、ローマ、ニューヨーク、ナイロビも訪問しました。そして環境というのは世界的なレベルで議論できるのだということを世界に提示しようと努めています。教室で議論することもできます。しかし結局のところ、環境というのは私たち個々のライフスタイルに取り込まなければなりません。つまり、個人レベルで「もったいない」を実践しなければならないのです。ですから私は日本に戻ってこられて非常に嬉しく思っています。

私は60数年前に生まれたのですが、私のふるさとは農村でした。緑は濃く、澄み切った水は豊かで、何本もある川の流れはこれ以上ないほどきれいでした。子どもの頃、私は母の手伝いで川へ水を汲みにいきました。川へ行って汲んで家まで運んできた水を、母が料理に使ったものです。その水は川から直接飲んでも大丈夫でした。煮沸する必要も、浄水処理の必要もありませんでした。ところが私が大きくなるにつれ、ケニア、そしてまさにアフリカは変化していきました。現代生活の到来です。商業的農業が導入されました。商業的農業が意味するところは、新しい作物のトウモロコシと、やはり新しい作物の小麦を作付けするための土地の開墾でした。そしてアフリカでは、キビ(アワ)、ソルガム、さまざまな根菜作物、さまざまな穀物などのアフリカ原産の作物を別の作物に替えていったのです。

私が注目したのは、土地の開墾に際して、伝統的な農業形式(生育環境、気候、熱帯地域の生態系に適した方法)を、北半球の気象条件の方に合う農業体系に替えていることでした。ところが北半球の日照時間はとても短いのです。そこで北半球では、日照がある時期に最大限に日照を活用することが非常に重要になるのです。なぜならすぐに厳寒の季節が来て、何も育てられなくなるからです。しかし熱帯地域の従来の農業体系は、土地を保護すること、土壌を日射から守ることに重点が置かれていたのです。ですからケニアでは、作物を地表面から何層にも植えて、最上部にキャノピー層がくるようなシステムになっていました。その時点では、このシステムは言うまでもなく、原始的で非生産的なシステムだと見なされたのです。ところが実際には、今になって科学者がこの方法に立ち返って研究してみたところ、昔の人の土地活用法には英知がたくさん詰め込まれていたことが再発見されているのです。それは人々が土地とともに進化し、土地を生産的に活用しながら同時に風雨から土地を守ることを学んでいたからです。

したがって、土壌の浸食も穀物の不作もなかったのです。熱帯地域の乾燥した気候に適した作物を育てていたからです。しかし、トウモロコシをアフリカの主要作物として取り入れたものの(ご存知のとおり、トウモロコシはアメリカ大陸で発見され、世界中に広まりました)、トウモロコシの栽培には大量の水が必要です。アフリカにおける穀物の不作は、現実にはアフリカの気候に適していない非常に現代的な食用作物を採用したことに原因の一部があります。

ですから、文化の中にさまざまな形で慣習として織り込まれているその土地の英知についてお話しするなら、その文化の集大成を放棄しない人々、過去の時代の英知を正しく認識する人々には敬服すべき点が多くあるのです。そしてその英知は、文化の中に織り込まれているのです。私はその英知の一部を、日本の繁栄の中にはっきりと見いだすことができます。日本は高度な技術先進国であるにもかかわらず、自国文化ととても密接に結びついています。新たな世代の日本人にもそれを受け継いで欲しいと思っています。なぜなら、文化の中に織り込まれた伝統的な英知の価値が再発見されつつあるなかで、日本の人々、そして技術を最高水準にまで高めながらも過去の英知を失わない、その資質が高く評価されているからです。「もったいない」という概念が本当に素晴らしい概念である理由はここにあります。「もったいない」は過去の英知に基づいた概念だからです。

そして今、この地球という惑星の資産を守るためにこの英知を使うことができるのです。なぜなら、前の時代を生きた人々は、自分たちが住む惑星の資源に限りがあることを理解し、その資源は責任を持って共有しなければならないとわかっていたからです。資源は責任を持って使わなければなりません。資源は持続的に使わなければなりません。資源は国内で使うだけでなく世界で公平に使わなければなりません。さもなければ、遅かれ早かれ資源を巡る衝突が起こるからです。現在、世界中で起こっている多くの紛争に目を向けると、誰が資源を管理し、誰が資源に手を出す権利を手にし、誰がそこから排除されるのかを巡る紛争となっています。そして、その資産を転用するための知識や技術は関係ないことがあります。そこに関わってくるのは権力であったり、場合によっては銃の力であったりします。

そしてアフリカのような大陸の内部に関してさえ、私たちは多くの地域紛争があることを頻繁に耳にし、大勢の人が「何のために戦っているのだろう?」と考えるのですが、それは資源を巡っての戦いなのです。資源を確保しようとしたり、一部の人を排除しようとしたりしているのです。より強い者が他者を排除しようとし、ときには外部の人間がやってきて資源を開発できるように地元の人を排除しているのです。ですからときどき紛争が起こるのです。コンゴで紛争が起こっています。ダルフールで紛争が起こっています。西アフリカで紛争が起こっています。しかし、こうした紛争の多くに目を向けて、権力闘争の下に何が潜んでいるかを考えれば、それが資源を巡る紛争や戦争なのだとおわかりになるでしょう。

ノーベル平和賞委員会に認められた理由はここにあります。ひょっとすると長年の観察があったのでしょう。私には、それが一夜にしてくだされた決定ではないという確信があります。これは、大勢の人々が提起してくれたことだと確信しています。人類の一員として、この地球という小さな惑星を占拠している人類社会として、もし私たちが資源を公平に分かち合うすべを学ばなければ、もし責任を持ってその資源を利用するすべを学ばなければ、もし資源を持続的に活用しなければ、遅かれ早かれ紛争が生じるであろうことを認識させようとしているのだと思います。そこでノーベル賞委員会は、過去数十年の間ノーベル賞委員会が重要視していた人権問題の先にあるもの、戦争の先にあるもの、人を戦争に巻き込もうとする人々や人権のために戦おうとしている人々の先にあるものを人類の一員として見据えてみるように、そしてそれと同時に地球上の資源の支配権が将来どころか既に現時点で紛争の主な原因になっているということを考えてみるように、私たちを奨励してくれたのです。

日本や、おそらくアメリカなどの高度先進国に住んでいると、こうした状況はそれほど簡単には理解できないかもしれません。ところが、天然資源のあるケニアのような国に住んでいると、国レベルでの紛争や地域紛争の両方で内輪もめをしていることがとても容易に理解できます。それだけではありません。世界のよその地域からそうした天然資源に手を出そうとして、資源を手にする余地を作るために、仲間同士で戦うようにそそのかすのです。ですから環境のために働く人々、人権問題に関心のある人々、平和問題に関心のある人々にとっては、環境を優先させることが極めて重要になるのです。

多くの国の政府にとって、環境は優先課題ではありません。環境大臣は後ろに追いやられて、国防大臣や首相に国家資源に関する権限の大部分が与えられることがあります。しかし私は、環境について、特に我が国の国防大臣と話すことがよくあります。私はケニアの兵士たちに話をすることがあるのですが、それは彼らがそうした会話に大きな関心を示すからです。ケニアはこれまで国内で戦争をしたことがなく、国境を守らなければならない状況に陥ったことはありませんから、ケニアの兵士たちはとても幸運です。国内では数多くの紛争が生じましたが、軍隊を出動させるような紛争はまったくありませんでした。ですが最近、軍隊はケニアの環境悪化をとても懸念しています。それで私が呼ばれたのです。

私は彼らに話をするにあたり、「私としては、皆さんは自分が国を守っていると考えておいでで、本来何を守るはずなのかには気づいてすらいないのではないかと思います。皆さんは国境を守っているとお考えでしょう。しかし…」と言いました。「皆さんは、徐々に皆さんから奪われようとしている国土、皆さんの足下から奪われようとしている国土を、『砂漠化』という敵、大きくて目に見えない敵から守ろうとしているのです。この敵は雨が降るとやってきて、土壌をすべて削り取り、海へ流してしまうのです。この敵は、アフリカ原産の森林を伐採したり、それを外来種の森林農園に替えたりすることから起こる森林破壊の形でやってきます。この敵は、農民がやせた土地の開墾を許されたときにやってきます。この敵は、田園地帯がその地域の形態では面倒を見ることができないような、大型の動物を飼うことが許されたときにやってきます。その敵は昼夜を問わず動いていますが、目には見えません。皆さんは、それを見抜く目を養わなければなりません。皆さんが見抜かなければ、この敵にとっては皆さんの目は節穴と同じなのです。しかし敵の侵略は進行しています」と私は話しました。

そして「毎年、この『砂漠化』という敵に奪われている土地の面積が、隣国のタンザニアやウガンダやソマリアに奪い取られているとしたら、政府は、確実に我が国が戦争状態にあると宣言し、兵士は全員、国境防衛の戦闘に送られるでしょう。しかし敵は内部から侵略しているのです。皆さんにその認識はないでしょうが、この敵は我が国に攻め込んでくるどのような外敵よりも大きな損害をもたらしているのです」と説明しました。銃を持って行軍してみたところで敵を撃つことはできないのだという例えに、兵士たちは心を揺さぶられていました。しかしこの敵こそが、現在ケニアで餓死者が出ている原因なのです。私は言いました。「私が兵士なら、これからはどこへ行くにも片手に銃を持ち、もう一方の手で木の苗を持っていきます。そして、どこへ行っても銃をおろして木の苗を植えると思います。それがこの敵と戦う方法だからです」。

このようないろいろな意味で、私は呼びかけたいのです。日本の皆様は環境保護をとても上手になさっています。日本の皆様は既に森林の多い国で暮らしていらっしゃるので、日本の方に訴えるのは難しいと感じることがあります。日本の国土の68%は森林です。ケニアでは、私は国民に向かって、森林を10%に近づけなければならないと言い続けなければなりません。こう言えば、その差が皆様にはおわかりですね。しかしながら、私は皆様に訴えたいのです。なぜなら、皆様はこのメッセージを世界に広げるための手助けをし、人々(特に発展途上国や弱小国の人々)に現実に目覚めなさいと励ますことができる立場にいらっしゃるからです。こうした人々は目があっても見抜いていないのです。敵が見えるように目を見開きなさいと励ましてあげてください。本当の敵は環境を破壊している敵です。明日の戦争、次世代の戦争の準備を進めているのは『環境破壊』という敵なのですから。

ですから、もし次の世代が平和に暮らせるようにと望むのであれば、環境保護に力を入れなければなりませんし、特に青少年が、例えば世界中どこでも日本と同じだと信じてしまわないように教育しなければなりません。全世界が、日本と同じ状況というわけではありません。海外へいらしたことがあれば、世界が日本と同じではないことがおわかりだと思います。繰り返しますが、私が今ご説明した敵に対してなすべきことは、世界中に山ほどあるのです。この敵こそが、私がこの30年間戦おうとしてきた敵なのですが、これまではその敵を理解している人がほとんどいませんでしたし、その人々にしても銃や爆弾や弾丸を買うことに資源を集中投入する傾向にありました。しかし、今ご説明した敵や、現在の平和な時代や次世代の平和を最終的に盗み取ろうとする敵には弾丸は使えないことがわかっています。

最後になりますが、総長、この敵の仕業の生々しい実例をもう1つ、提示したいと思います。最近のアメリカのスペースシャトル、ディスカバリー号のことはご記憶でしょうか。ディスカバリー号が宇宙へ行ったのはつい先日のことです。たしか昨年後半だったと思います。宇宙からの帰還の際に、船長(アイリーン・コリンズ氏が船長でした)とそのチームの飛行士たちは、地球を観察していました。彼らはアフリカの上空一面が濃い塵に覆われているのを見たと話しました。また、多くの川が茶色に濁っていたことにも気づきました。さらに、広大な大地がむき出しになっていて、莫大な面積の土地から植物や樹木が消えてなくなっていたことがわかったのです。そしてそのことをとても気にしていました。

今、私が目標とし、希望しているのは、いつの日か、彼ら宇宙飛行士が宇宙へ行って地球を観察したときに、一面が塵に覆われていないアフリカの大地を目にしてもらいたいということ、私たちが地球を植物で埋め尽くして塵の層を消滅させることです。宇宙飛行士が他の大陸で何を見たのかは存じません。それぞれの大陸に一面の塵が広がっていたのは確かだと思います。そして、すでに現在、私たちは異常気象を体験し始めています。世界の一部の地域で干ばつが見られ、東アフリカのように干ばつが長期化している地域もあります。北半球で見られるように、一部の地域は豪雪に見舞われています。日本でもひょっとすると北国ではそうでしょうが、先日、ドイツでは膨大な降雪量のせいで家屋が倒壊したと言われていたのは事実です。気象条件が異常な状態になってしまっているのです。しかしそれでも、気候変動に時間の猶予を与えてはいけないと考える人々が、政府にも、世界にも、大勢います。

ご存知のように、私たち使節団が昨年来日した目的の一部には京都議定書の発効もありましたが、いまだに京都議定書に批准していない政府が数カ国あります。私たちは、京都議定書を監視し、気候には気をつけるように全世界に訴え続けています。なぜなら、(砂漠化のように)気候というのは、私たちが現実に目覚めるまで時間の猶予を与えてくれたりはしないのです。私たちは心の目を見開かなければなりません。感じ取らなければなりません。私たち全員が気づく頃には、次の世代にとって手遅れの状態になっているかもしれないことをわかっておかなければなりません。ですから、私は本日この場で皆さんとこの見解を共有できてとても幸せです。私がこの世でただ1人孤独なわけではないということを知り、とても光栄です。私には心を寄せてくださる早稲田大学の皆様がいます。

本日はご清聴ありがとうございました。

質疑応答

司会者:質問のある方はどうぞ手を挙げてください。

質問者:早稲田大学へようこそおいでくださいました。私は昨年、ケニア共和国環境天然資源省主催のインターンシップでケニア林業研究所に入れていただき、『Eco-Community Tanzania』『the Kenyan Forestry Tour』など、さまざまなプロジェクトに参加する機会を得ました。私は、ケニア国民の生活を支援するには林業が非常に重要であると強く感じており、マータイ博士のグリーンベルト運動には心から尊敬の念を抱いております。どうか早稲田大学が提出しましたプロジェクト提案をお納めいただければと存じます。

そこで質問です。私は学生です。マータイ博士は学生の頃、どのような問題を解決したいとお考えだったのでしょうか。博士が関心を持たれた問題は、どのようにしてその後の活動に転換されたのでしょうか。そうした問題を解決しようという意欲をどのようにして今日まで維持され、どのような展望をお持ちなのでしょうか。

マータイ博士:ありがとうございます。お褒めの言葉をいただき光栄です。東アフリカへいらして、私が取り組んでいる問題をご理解くださったと伺い嬉しく思います。若い学生だった頃の話をさせてください。とても若かった頃、私はこの世の中に問題が存在するなどとは思ってもみませんでした。その後、まだ 20歳の頃でしたが、アメリカへ留学する機会に恵まれました。大学での勉学はアメリカで行ないました。そして、問題の存在を私が理解するようになったのは在米中のことです。そのときは、私はただケニアに帰りたいという気持ちだけでした。故郷に帰って、大学の教授になりたかったのです。なぜなら、その頃の私は、ケニアに必要なのは知識だと考えており、私はアメリカでその知識を得ていたのです。ですから、ケニアに戻って教鞭をとり、学生と知識を共有したいと思ったのです。60年代半ば、ケニアに帰郷してみると、私は初めて女性であるがゆえの問題(現在、大学ではこの問題を『ジェンダー問題』と呼んでいます)を経験することになりました。私が大学に務める数少ない女性の1人だったからです。大学側は、男性講師と同等の条件を私に与えたがりませんでした。ですから私にとって最初の戦いとなったのは、私の性別に関係なく一人前の責任ある講師として受け入れてもらうことでした。それは本当に大変な戦いでした。

その戦いのあと、私はケニア女性全国評議会に参加しました。大学の女性の代表を務めたのです。1974年頃のことでした。この会場には女性問題を学んでいる方もいらっしゃると思いますが、皆さんお若いですから、1975年の出来事をご存知の方はおそらくいらっしゃらないでしょう。学生の皆さんのほとんどは、まだ生まれていなかったと思います。1975年、第1回の国連女性会議がメキシコで開催されました。そしてケニアの女性たちはメキシコへ行く準備を進めていました。私たちは「メキシコへ持っていく議題は何がいいかしら?」と考えていました。そして私は農村部出身の女性たちの話を聞いていたと記憶しています。大学の女性たちは問題を抱えていましたが、農村部の女性たちが説明する問題に耳を傾けてみると、大学の女性の問題は忘れてしまいました。比較にならなかったのです。そして私は、農村部の女性の問題に集中するようになりました。きれいな飲み水がないというのです。栄養のある食べ物も十分にはありません。ご存知のようにほとんどが薪を使っていましたから、エネルギーもありません。そして貧困の中にありました。収入がなかったのです。

それがきっかけとなって、私は「この女性たちのために自分は何ができるのか?」と考えるようになりました。まだお若いあなたは、ご両親が作り上げてくださった理想的な環境で暮らしておられると思います。けれどいつか、あなたもその世界から足を踏み出して、他の人々と同じような経験をするようになります。もしあなたが幸運にも恵まれた環境にあって、助けを必要とする側でなく、助けの手をさしのべる側にいるのであれば、自分自身のことは切り離して、自我を超えて他人や他の生き物のことを考え、自分の世界ではない大きな構図で大局的に世界を眺めてみてください。ただ、まだ若いうちは非常に自分中心で、自分自身のことを考えるものです。自分にとって素晴らしい未来ばかりを思い描いくものですが、どこかの時点で(それがあなたにとっていつになるのかはわかりません。もうその時は来ているのかもしれません)、自分自身の殻を割って自我を超えた視点で世界を眺めるようになるものです。私の個人的な体験をお話しするのをお許しいただければ、自我を超えるということは、真の人間となる最初の体験であり、本当に生きることと生きることの真の目的を体験することであり、人の役に立つということです。

私は時々、自然主義者として、生物学者として、人間として、まわりにある花を眺めることがあるのですが、花というのはなぜあれほど無私無欲に咲くことができるのか不思議に思うことはありませんか?花はなぜ途中で成長するのを止めてしまったり、「私は自分の美を披露するのは止めることにする」などと言ったりしないのか、不思議に思いませんか。花は水をやり、肥料をやり、育てていけば自然に咲きます。何もしなくても咲くのです。私は自分勝手な花を見たことがありません。花は、人間のように思いとどまったりしないところが魅惑的だと思います。あなたが自分自身に花を咲かせる心を持ち、特にあなたのように素晴らしい環境で育ってこられたのであれば、自分を花開かせ、花のように超然としていてください。そうすれば、人生の美しさを経験し、人とその経験を分かち合うことの素晴らしさを経験できるでしょう。そうでなければ、開花を拒む花と同じことになってしまうからです。心を開いて生きることの美しさを経験してください。

あのとき以来、私は決して立ち止まりませんでした。後ろは振り向きませんでした。私はあの女性たちの生活の質を向上させる努力を始めました。そしてそれがこの30年間の私の活動のエネルギーとなり、意欲となり、将来の展望となり、たえず生活の質を向上させたいと願う気持ちの原動力になりました。この経験から私の活動範囲は、あの女性たちだけでなく、さらに数多くの女性、より多くのケニア国民、近隣地域一体の人々へと広がり、現在では世界全体を私の活動の舞台として、もし私が本当に他の人、特に若い方々にインスピレーションを与えることができるのなら、私は自分の花びらが落ちてしまう前に、この分野で自分が開花するのを目にしたいと努力しています。なぜなら私自身も、特にアメリカ留学時代に交流した人々からインスピレーションをもらったからです。

質問者:ありがとうございます。

司会者:どうもありがとうございます。ほかにどなたかコメントはありますか? どうぞ。

質問者:私は、地域の人たちと一緒にケニアの野生動物保護について研究しています。マータイ博士は女性の権利に注力していらっしゃいますが、私はよく村落を訪問することがあります。私はケニアの農村で調査をしています。マータイ博士は女性の権利向上に努めていらっしゃるなかで、女性の夫や家族など、どのようにして家族の方々に女性を手助けするように働きかけていらっしゃいますか? 私は、ケニア滞在時、女性の社会的地位がいくぶん低いように思いました。マータイ博士はどのようにして、女性の権利向上のために男性からサポートを得ることができたのですか?

マータイ博士:大勢の方々が東アフリカへいらしたことがあり、本日お話ししている問題の一部をご理解いただいていることを知って、とても嬉しく思います。さて、女性の地位が低いとお感じになったとのことですが、男性自体の地位をとても高いとお感じになったのかどうかわからないのですが、そうお感じになりましたか? なぜなら、それがあの地域の人々の、事実上の社会的地位だからです。あの地域の女性は、とても勤勉に働きます。そして、おそらく他の多くの地域の女性と同じように、自らの労働に見合うだけの認知もされていなければ、報酬も得ていません。少なくともグリーンベルト運動において、私たちが女性を奨励しようとしたとき、真っ先に認識したのは、環境を支援し、環境を向上させるためには、コミュニティの特定分野ではなくコミュニティ全体が必要だということです。事実、私は、どの分野が置き去りにされても、発展は持続できないと信じています。ですから、私たちがこうした女性たちの平等性ではなく、むしろ公平性を押し進める場合でも、多く女性の経済的・社会的地位が結婚相手の男性の地位に左右されるということを心に留めておくのは重要なことだと考えています。貧しい女性であれば、十中八九、非常に貧しい男性と結婚することになります。ですから女性の権利拡大を目指すのなら、男性の権利も拡大しなければなりません。

グリーンベルト運動では、キャンペーンが必ずしも女性を反映するものではありませんでしたから、少なくとも運は良かったといえます。環境に気を配り、樹木を植え、森林を保護し、集水地域を保護する。何のためでしょうか? それは水のためであり、降雨量を確保し、土壌を守ることによって、食物を育てられるようにするためです。そこには、ジェンダーにまつわる偏見の問題はありません。ですから、ある地域社会の中へ入っていくとき、私たちはまず女性に話しかけるのですが、先に女性に話しかけるのは主に活動の歴史にその理由があり、このプログラムがケニア女性全国評議会の中からスタートしたことに根拠があります。そのため、地域社会に入っていく際に、女性にアプローチすることが容易にできたのです。しかしご存知のように、東アフリカの多くの地域社会では女性が野外で働いているのも事実です。ですから、木の苗を育てて、それを食用作物を育てている田畑に植えてもらうには、女性を説得する方がはるかにたやすかったのです。

私たちが注目したのは、男性は本当にずっとあとになるまで姿を現さなかったことです。女性は苗床の世話がとても上手で、他の苗を育てるように木の苗も育てました。しかし、木の苗を植え始めるときは、男性の登場です。男性がやってくるのは、樹木に経済的価値を見いだしたり、連想したりするからです。彼らは(ご存知のとおり、これは真実ですが)「木を自分の土地に植えれば、土地の価値が上がる」と言ったのです。つまり男性たちが木を植えたのは、女性に薪を与えたかったからではなく、自分の所有地の価値を上げたかったからなのです。ですが、私たちにすれば、男性が働く気になってくれさえすれば理由など何でもかまいません。そういうわけで、私たちは、男性たちに女性の仕事に手を出しているのではないぞと思わせつつ、作業に参加してもらう方法を発見したわけです。

そしてさらなる発見となったのは(これは女性に力を与えようとする人々にとってはとても興味深いことなのですが)、この活動が包括的な性質を持ち、共通の利益があり、ジェンダーにまつわる偏見もなかったため、男性たちは活動に関わり、その成功に関与することをとても喜んだということでした。特に熱帯地域では樹木の生長はとても早いことも理由になったかもしれませんが、樹木が成長し、景色が変わると、誰もがとても喜びました。もう埃もたちません。動物には飼い葉ができました。女性には薪ができました。川は浄化し始めました。誰もが満足でした。その結果、男性たちはとても嬉しそうに「我が村の女たちはたいした仕事をしたものだ!」と口にしたのです。男性たちのこの言葉を聞いて嬉しく思いました。普通、男性というのは女性のことをほめたりしませんから、ですよね? しかしこのケースでは、男性が女性の成し遂げた立派な仕事を公然と認めたのです。

現在、私の考えでは、ジェンダー問題に携わる人々や女性の権利拡大に尽力する人々にとって、男性が女性の成し遂げた仕事を褒めてくれること、男性がやってきて参加してくれることほど力になるものはありません。それは1人のための仕事ではなく、皆のための仕事だからです。事実、私たちは男性を巻き込みました。学校の子どもたちを巻き込みました。ただし、とばくちになるのはいつも女性です。というわけで、これが私たちが女性の権利拡大のために採った方法で、猪突猛進に「女性の権利を拡大するためにやってきました」と言ったりはしません。そのようなことをすると、男性から反応が出てしまうことがあるからです。ところが、今お話ししたような方法を採れば、地域社会全体が自分たちは欠かせないのだと感じることになり、そのプログラムは真の地域社会プログラムになります。そしてそれこそが本当に長期にわたって持続できることなのではないかと思います。

司会者:もうおひとりだけ質問を受け付けます。

質問者:今日のマータイ博士のお話は、私の人生で最も大切なお話となりました。本当にありがとうございます。日本語で質問させていただきますことご容赦ください。マータイ博士は昨年来日され、今回再来日されましたが、日本で大勢の人と出会い友人を作られたことと存じます。そうした交流の中で、どなたとの出会いが最も重要で影響を受ける関係となったのでしょうか? もし、とても影響力があり感銘を受けた日本人との出会いがありましたら、どのようなものであったか、お教えいただければと存じます。

マータイ博士:どうもありがとうございます。そうですね、多くの出会いがありました。どれか1つを挙げるのは少し難しいのですが、すぐにお答えしないといけないとすれば、おそらくキャンペーンの原点となった毎日新聞の編集長との出会いを挙げたいと思います。それが最初の出会いでした。来日のまさに第 1日目で、文字通り、到着の数時間後のことでした。そして「もったいない」キャンペーンの概念そのものが生まれたのです。「もったいない」キャンペーンを世界に広げていく間は、必ず毎日新聞社のニュース編集室で生まれたことに言及することになるでしょう。本当に素晴らしいことです。この出会いは、私がこの先ずっと維持したい出会いとなりました。

別の出会いとしては、小泉総理大臣との会談に違いありません。私たちが小泉首相を表敬訪問した際に、小泉首相には非常に丁寧な謁見を賜ったからです。小泉首相は、私が「もったいない」という言葉について話しているのを耳にされて、とても嬉しかったとおっしゃいました。ご自分でもそれまで3つのR キャンペーンについて話をされていて、近く開催されるG8サミットにおいて3つのRについて提起するおつもりだったそうです。実際、ロンドンとグレンイーグルズにおいでになったと思います。そして「このキャンペーンは本当に重要だと思いますから、G8サミットで提起するつもりです。世界的なキャンペーンの一環です。京都議定書の一環であり、京都議定書をより大局的にとらえているのがこのキャンペーンですから。そして私はこの3つのRは『もったいない』につながっている、と言えたらいいと思っています」とおっしゃいました。総理大臣がおっしゃったのです。皆様は、政治家の何たるかをご存知ですよね。政治家のレベルで言葉が発せられれば、あっという間に広まります。小泉首相が「もったいない」という言葉に言及してくださいました。そしてさらに、小池大臣に大きなお力添えをいただきました。今では誰もが小泉首相の言葉に信頼を寄せているからです。ですから小池大臣との出会い、そして小泉首相との出会いを、このキャンペーンに本当に弾みをつけてくれた日本での瞬間として、私は決して忘れないでしょう。

最後の1つは、滞在日程がほぼ終わりに近づいた時のことで、皇太子殿下を訪問させていただいことです。皇太子殿下には、最も丁寧な謁見を賜りました。娘(ここに座っています)と私は東宮御所を訪れて、皇太子殿下に謁見を賜る機会をいただきました。あの時のことを、私は終世忘れないでしょう。あのような地位の方に謁見を賜り、私の考えを披露し、環境へのご配慮のお言葉をいただき、私たちが「もったいない」という言葉を使っていることがとてもお喜びいただいている、と伺いました。さらに、世界中がもったいないという概念、京都議定書を受け入れてくれることを希望しますとおっしゃってくださり、このキャンペーンに本当に心をお寄せいただいていると伺うなど、とても感動的な時間となりました。私はあの瞬間のことを宝物として永遠に心に刻んでおくつもりです。本当に素晴らしいひとときでした。この方々のことは、永遠の宝物にすべき瞬間として、私の自分の中に刻み込まれるでしょう。

質問者:私たちもそのときのことは一生忘れられないでしょう。

司会者:それではここで学生の代表からマータイ博士に花束を贈呈したいと存じます。

ワンガリ・マータイ氏 略歴

1940年4月1日ケニア共和国ニエリ郡生まれ。生物学博士。1971年、ナイロビ大学で生物分析学の博士学位を女性で初めて取得。その後、講師、助教授、教授を経て、1976年よりナイロビ大学獣医学解剖学部長。

1976年からケニア女性国民会議に入り、1981年には議長に就任。1987年まで同会議て活動した。この間、市民に植林活動のアイデアを紹介し、グリーンベルト運動(GBM)に発展した。1986年、GBMはアフリカ全土のネットワークを樹立し、1998年9月には、ジュビリー2000のキャンペーンを開始した。同氏はアフリカキャンペーンの共同議長としてリード役を務め、様々なキャンペーンを展開している。

2002年12月、98%を超える得票率で国会議員に当選。2003年1月に環境・天然資源省副大臣となる。2004年には環境分野としては初のノーベル平和賞を受賞。

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