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Vol.13 エジプト学(1/2)/【発掘だけではない考古学】記録の行間に埋もれた”真実”を掘り起こす / 山崎世理愛講師
Thu 18 Dec 25
Thu 18 Dec 25
今回と次回の2回にわたって、早稲田大学 文学学術院 の山崎世理愛講師をゲストに、「葬送儀礼から読み解く古代エジプトの統治戦略」をテーマにお届けします。
クフ王のピラミッドで有名な古王国時代と、ツタンカーメンで有名な新王国時代。その間に挟まれた「中王国時代」は、エジプト学の中でもマイナーな時代とされています。しかし、武力支配が及ばないこの時代だからこそ、統治者は「教育」と「儀礼」という文化的な力で巧みに社会を動かしていました 。
この発見を支えるのは、過去を解き明かす「考古学」です。嘘や見栄が混じる「文書」に対し、出土した「モノ」は嘘をつきません。山崎先生は図書館をフィールドに、先人が遺した膨大な発掘報告書を徹底的に再分析。記録の行間に埋もれた古代人の生々しい実像を、独自の視点で「再発掘」します。 華やかな発掘調査の裏側にある、地道でスリリングな知の探求に迫ります。
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ゲスト:山崎 世理愛
1992年、東京都青梅市生まれ。東京都立国際高等学校卒業。早稲田大学文学部考古学コース卒業後、早稲田大学大学院文学研究科修士・博士後期課程修了。2021年に博士(文学)学位取得。2018年9月〜2019年3月にベルギーのルーヴァン・カトリック大学訪問学生研究員。2017年〜2019年に日本学術振興会特別研究員(DC1)、2019年〜2021年に早稲田大学文学学術院助手(考古学)、2021年〜2022年に日本学術振興会特別研究員(PD)、2021年に茨城キリスト教大学兼任講師、2022年4月より早稲田大学文学学術院講師(テニュアトラック)。2019年に川又記念日本西アジア考古学会奨励賞、2022年に第44回日本オリエント学会奨励賞を受賞。
ホスト:城谷 和代
研究戦略センター准教授。専門は研究推進、地球科学・環境科学。 2006年 早稲田大学教育学部理学科地球科学専修卒業、2011年 東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了 博士(理学)、2011年 産業技術総合研究所地質調査総合センター研究員、2015年 神戸大学学術研究推進機構学術研究推進室(URA)特命講師、2023年4 月から現職。
左から、城谷和代准教授、山崎世理愛講師。
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリ)のスタジオで収録。
- 書籍情報
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一冊でわかるエジプト史
出版社 : 河出書房新社
著 者:山崎 世理愛、五十嵐 大介
著出版年月 : 2023年11月28日
言語 : 日本語
ISBN:978-4-309-81119-2
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エピソード要約
ー山崎講師が行う研究とは
早稲田大学文学学術院の山崎世理愛講師は、古代エジプト学の中でも考古学的手法を用い、国家再統一期である中王国時代(紀元前2000年頃)の葬送儀礼に注目した研究を行っています。遺構や遺物といった「モノ」の変化を手がかりに、王権と社会構造がどのように再編されていったのかを読み解く点に、この研究の大きな特徴があります。
ー儀礼が果たした社会的・政治的機能
中王国時代は地方有力者の影響力が強く、中央集権的な統治が不安定な時代でした。山崎講師は、支配者が武力や政治制度だけでなく、教育や葬送儀礼といった文化的実践を通じて人々の意識を統合していった点に着目します。儀礼は、実施者と参列者の関係性や社会的地位の差異を繰り返し可視化する装置として機能し、支配構造を維持・強化する役割を担っていました。
ー考古学的アプローチの意義
山崎講師の研究は、新たな発掘調査ではなく、過去に蓄積された発掘調査報告書やアーカイブ資料を精査・再分析する点に特徴があります。文献資料が示す「理想」と、考古資料が語る「実態」とのずれに注目することで、文字を残さなかった人々を含む古代社会の多層的な姿を浮かび上がらせています。この「括弧付きの発掘」とも言える手法は、未活用の資料から新たな歴史像を構築する試みでもあります。
エピソード書き起こし
城谷准教授(以下、「城谷」):
本日も、早稲田大学早稲田キャンパス内にある村上春樹ライブラリー(国際文学館)2階の収録スタジオより、前回に引き続き文学学術院シリーズをお届けします。今回は、早稲田大学文学学術院でエジプト考古学をご専門とされる山崎世理愛先生をお迎えし、2回にわたって「葬送儀礼の変遷から読み解く 古代エジプトの統治体制と社会合意」をテーマにお話を伺います。古代エジプトの葬送儀礼の変化を手がかりに、国家再形成期の社会が持つダイナミズムを読み解いてまいります。
山崎先生、どうぞよろしくお願いいたします。
山崎講師(以下、「山崎」):
よろしくお願いします。
城谷:
まずは先生のプロフィールをご紹介します。山崎世理愛先生は、早稲田大学で博士(文学)を取得後、現在は早稲田大学文学学術院で講師として教鞭を執られています。ご専門は、古代エジプトの社会や文化を研究するエジプト学。なかでも遺構や遺物といった「モノ」から歴史を読み解く考古学の手法を主に用いて研究されています。とくに、国家が再統一された中王国時代(紀元前2000年頃)を対象に、葬送儀礼の「形」の変化が当時の社会にどのような影響を与えたかを研究されています。あらためて、先生の研究分野の概要をご説明いただけますでしょうか。
山崎:
私は、古代エジプトの文化や社会を研究するエジプト学を専門にしています。エジプト学ではさまざまな手法が用いられますが、私は文字資料や図像資料に加え、物質資料を対象にする考古学的手法を主に用い、中王国時代の儀礼について研究しています。
中王国時代は、紀元前2000年から紀元前1650年頃の時代です。クフ王のピラミッドなどが築かれた古王国時代が崩壊したのち、群雄割拠の時代を経て、ひとりの王によってエジプトが再び統一されて始まった時代でもあります。ただ、群雄割拠の時代に地方の有力者の力が非常に強くなり、再統一後もその勢力は強いままでした。暴力や政治的圧力だけで中央集権を強化しようとすると反乱が起こりやすく、統治が難しい時代でもありました。そこで支配者が用いたのが、教育や、今日のテーマでもある「儀礼」といった文化的な手法です。支配される側の人々が気づかないうちに支配の内側にいるような状況をつくり出そうとしていた、と考えられます。
私は儀礼を研究対象にしていますが、宗教的側面だけでなく、儀礼が当時の社会のなかでどのように機能したのかを考えています。儀礼には、社会の統合やコミュニティにおける関係性の創出・維持、帰属意識といった社会的な側面があります。今回は、儀礼を通して古代エジプトの社会がどのように見えてくるのかをお話しできれば嬉しいです。
城谷:
ありがとうございます。先生のご専門であるエジプト学は、どのような学問分野や手法から構成されているのでしょうか。全体像と、そのなかで先生が主な研究手法とされている考古学の位置づけ・役割について教えてください。
山崎:
エジプト学は、さまざまな手法によって行われる研究分野です。たとえば文献史学、言語学、図像学、建築学、美術史学など、非常に多くの手法があります。
私は考古学を主な手法としていますが、エジプト学はもともと古代エジプト語、つまりヒエログリフの解読から始まった学問です。そのため、19世紀末から20世紀初頭の発掘調査では、文字が書かれたものは取り上げても、文字のないものはそのままにしたり、寒さのために燃やしたりしたという記録が残っていることもあります。
こうした伝統の影響は現在もあり、エジプト学のなかでは考古学が比較的軽視されてきた側面があります。ただ近年は、考古学の重要性をより意識すべきだという流れが強まっています。エジプト学の多様な手法のなかでも、考古学は今後さらに重要性が高まっていく分野の一つだと考えています。
城谷:
とくに、どの点で考古学の活用が期待されているのでしょうか。
山崎:
もちろん発掘調査による新たな発見もありますが、もう一つの方向性として、「これまで復元されてきた古代エジプト社会像」を見直せる点が挙げられます。これまで社会や思想は、文字資料や図像資料から復元されることが多かったのですが、考古資料を見ると、それらの資料どおりにはいっていない現実が見えてくることがあります。たとえば古代エジプトには『死者の書』という葬祭文書があり、来世へ無事にたどり着くための呪文や、副葬品の準備方法が書かれています。「この形の護符はこの素材で作り、被葬者の首の位置に置く」といった指示もあります。
しかし、実際の考古資料を見ると、社会的地位が高い人の墓には指示どおりの素材のアミュレットが入っている一方、地位が比較的低い人の墓からは安価な素材のアミュレットが見つかることもあります。こうした点から、図像資料や文字資料で分かっていることと比較しながら、実際にはどうだったのか、古代エジプト人の試行錯誤など、より生々しい部分にも光を当てられるのではないかと思います。
城谷:
ありがとうございます。もう一つ、考古学と歴史学の決定的な違いについて教えていただけますでしょうか。
山崎:
考古学と歴史学は、対象とする資料が異なります。考古学は「モノ」(物質資料)、歴史学は主に「文書」を対象とします。ときに両者が敵対しているように捉えられることもありますが、実際には相互に助け合う関係です。得意・不得意がそれぞれあるからです。考古学は、人間が活動すれば必ず痕跡が残るため、社会的地位に関わらず幅広い人々の営みを捉えやすい。一方、文献史学では文字を書ける人が限られますし、文書に残る内容が常に正しいとは限りません。日記でも、すべてを真実として書くとは限らず、見栄が入ることもあるのと同じです。こうした文書資料の弱点を、考古学は補うことができます。決定的な違いは対象資料ですが、両者は補完し合う関係にあります。
城谷:
ありがとうございました。では、先生ご自身はエジプト学のなかで、どのような点に焦点を当てて研究されているのでしょうか。先生の研究テーマである「儀礼を通して社会を見る」とは、具体的にどのような研究でしょうか。
山崎:
まず、儀礼の定義からお話しします。儀礼とは、社会的な慣習や形式として定型化したものだと考えられます。儀礼については研究者によってさまざまな立場がありますが、私の研究では、儀礼は宗教的なものにとどまらず社会的実践でもある、さらに儀礼は絶えず変化し、その変化はその時々の社会の要求に応じて起こる、と捉えています。儀礼には多くの要素があります。儀礼を行う行為者、参加者、目撃する人々、そして儀礼に用いられる道具などです。儀礼が繰り返されるたびに、その状況が再現されることで、たとえば「王が儀礼を行い、国民がそれを目撃する」といった立場の違いが強調され、「私は国民で、あなたは王である」という関係性が再生産されていく。これは、儀礼が社会関係を「見せる」機能の一つだと考えられます。
また、社会的地位の差異を維持するという点でも、儀礼は変化します。たとえば古王国時代の葬送儀礼では器を用いる儀礼があり、当初は王が土器を用いていました。しかし情報は下へと広がり、エリートが同じ容器を持つようになると、儀礼上の差異が薄れます。すると儀礼が変化し、王がより高価な素材――具体的には石製の器――を用いるようになる。
このように儀礼は、社会的差異を誇示しなければならないという当時の要求に応じて変化し、その結果として地位の差が儀礼を通して再生産・維持される状況が生まれると考えられます。したがって儀礼は、宗教的側面だけでなく、社会的実践としても位置づけられると思います。
城谷:
儀礼が高価なものへと更新されていく、というお話がありました。そうした変化は、どのように決まっていくのでしょうか。
山崎:
細かい点まで分かっているわけではありませんが、これは古代エジプトに限らず「追いかけっこ」のような状態だと思います。社会的地位の高い人と比較的低い人のあいだで追いかけっこが起こり、その際、素材は当時の社会で価値が高いとされたもの、あるいは宗教的意味がより強いとされたものへと、価値規範に合わせて変化していきます。儀礼がうまく機能するためには、こうした価値規範が共有されている必要があります。古代エジプトでは来世で再生復活することが非常に重要視されていたため、「葬送儀礼」はとりわけ重要でした。
私の研究では葬送儀礼の社会的側面を見ていますが、もちろん儀礼が伝達する宗教的意味合いもあります。その意味合いが共有されていたからこそ、実践できる王、そして何らかの妥協をしながら実践するそれ以外の人々、という状況が生まれたのだと思います。
城谷:
ありがとうございます。そもそも先生が研究テーマとして儀礼に着目されたのは、どのような経緯からでしょうか。
山崎:
まず、中王国時代に興味を持ったことが出発点でした。中王国時代は、ピラミッドで有名な古王国時代と、ツタンカーメンで有名な新王国時代に挟まれ、ある意味では「マイナー」な時代です。あえて地味な時代をやってやろう、というのが始まりでした。そのなかで、中王国時代は武力だけに頼るのではなく、文化的手段で統治していたという点に関心を持ちました。これまで教育の重要性は指摘されてきましたが、文化的手段は教育だけではないのではないかと考えるようになり、最終的に葬送儀礼にたどり着きました。
城谷:
教育という観点が重視されてきた、という点について、もう少し教えてください。
山崎:
教育については文字資料や考古学的証拠からも指摘されています。地方で力を持っていた有力者の存在は中央集権化の大きな障害でした。そこで支配者は、有力者の息子たちを中央に集め、教育を施し、王への忠誠を誓わせたうえで、重要な役割を与えて中央で働かせる、ということを行っていました。
城谷:
かなり戦略的に進めていた一方で、先生は「それだけではない」と考え、儀礼に着目されたのですね。
山崎:
はい。教育は行政的側面から、ある程度強制的に行われる面もあります。一方、葬送儀礼は人々の心理的な部分により深く関わっていくのではないかと考えました。
私の研究では、中王国時代における供物儀礼を扱っています。供物というと食べ物を思い浮かべるかもしれませんが、私が対象としているのは、杖・衣装・アクセサリーなど、被葬者に捧げる器物の供物儀礼です。これらは、被葬者が来世で神と同一視され、再生復活するために必要だったものとされています。
中王国時代前半には、箱形の棺の内側に「絵」として描かれていましたが、地方の有力者の墓だけでなく、比較的地位の低い人々の墓にも装飾の多い棺が用いられるようになります。ところが中王国時代後半になると、そうした棺は突然姿を消し、棺に描かれていたものが「実物」として使われるようになります。ただし、実物を用いることができたのは、ほとんど王族に限られます。
ここで私は、中王国時代後半に支配者側が戦略的にこの儀礼を用い、古代エジプト社会のなかで「この儀礼が理想的である」という価値規範がすでに共有されていたことを踏まえたうえで、実物として実践できる「我々」と、実践できない「他の人々」という差異を強調したのではないか、と考えています。
城谷:
そのようなことは、どのようにして分かるのでしょうか。
山崎:
私の研究は、自分で発掘して得た資料を用いるものではありません。主な対象は、すでに発掘された資料です。発掘後には発掘調査報告書が刊行され、そこにさまざまな情報が掲載されています。私は図書館でそれらを読み込み、また棺の装飾についてはアーカイブ写真もあるため、海外の大学でアーカイブ資料を調べて資料化する、といった作業を行っています。発掘調査とは異なりますが、ある意味では地味な作業です。ただ私はそこに楽しさを感じています。
城谷:
その面白さは、どこにあると感じていますか。
山崎:
とくに発掘調査報告書を調べている時が一番楽しいですね。報告書には、当時の発掘者が得た資料がそのまま情報として載っています。まだ分析が十分に行われていない「生」の資料があり、それを私が初めて精査し、分析していく。発掘そのものではありませんが、そうした感覚があります。
城谷:
ある意味、発掘していますよね(笑)。
山崎:
まさにその通りです。考古学では近年、「発掘しっぱなし」が問題になっています。すでに発掘されたものは膨大にあり、それをもっと活用していくべき段階に来ています。そういう意味では、図書館で「括弧付きの発掘」をしているような状況だと思います。
城谷:
ちなみに、先生のお気に入りの図書館や資料館はありますか。
山崎:
早稲田大学の中央図書館の地下2階がお気に入りです。
城谷:
海外での調査では、どのあたりで活動されているのでしょうか。
山崎:
海外では、ベルギーの大学に半年滞在していたことがあり、その大学の図書館を利用していました。また、オランダの大学にアーカイブ写真があるため、そこの研究機関を中心に活動しています。
城谷:
ありがとうございます。前編では、古代エジプトの儀礼という視点から、当時の社会がダイナミックに動いていく様子、そしてその裏にある支配者の巧みな戦略を垣間見ることができました。後編では、山崎先生ご自身のキャリアパスや、分野の垣根を超える研究の葛藤について、さらに深くお話を伺います。
『早稲田大学Podcasts:博士一歩前』。次回のエピソードもお楽しみに。山崎先生、ありがとうございました。
山崎:
ありがとうございました。
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