第4回「坪内逍遙大賞」授賞式を開催 小川洋子さん、小野正嗣さん、山田航さんら喜び語る

近代日本文芸の父といわれる坪内逍遙博士の業績をたたえ、文芸・芸術などの幅広い分野で貢献した人物・団体を顕彰する第4回「早稲田大学坪内逍遙大賞」の授賞式が11月22日、リーガロイヤルホテル東京で行われ、大賞の小川洋子さん(作家)、奨励賞の小野正嗣さん(作家・明治学院大学准教授)と山田航さん(歌人)が受賞の喜びを語りました。

授賞式では、鎌田薫総長から両受賞者への表彰状、記念メダルの授与などに続き、受賞者3名があいさつ。小川さんは小説を書くために早稲田大学に入学した33年前を回顧しながら支えとなった恩師や編集者へ感謝し、小野さんは自身と故郷・大分、早稲田大学の接点を自嘲気味の解釈でおもしろおかしく紹介して文学の開拓者としての坪内博士への敬意を語り、山田さんは独特の回文を交えながら「歌人」が選ばれたことで日本文学の未来に光を与えてくれることになると謝意を述べるなど、それぞれ喜びを表現し、出席者から拍手や笑いが起こる楽しい授賞式となりました。

受賞者のコメント

小川洋子さん(大賞)
小川洋子さん

小川洋子さん

「小説を書きたくて1980年に早稲田大学(一文)に入学しました。20枚ほどの短編を書いては平岡篤頼先生の研究室に持っていって読んでもらっていました。平岡先生はいつも敬意を持って接してくれて、私が就職試験に失敗して故郷の岡山に帰る時、『どんな人生を送るにしても、小説を書くことだけはずっと続けなさい』と言ってくれました。この言葉が今も支えとなっていて、あの時の先生との約束を守れたと、ありがたく思っています。小説を書くということは18歳のころは大変難しいことでしたが、33年たって、もっと難しいと感じるようになりました。新しい作品を書くときに、自分が何を書こうとしているのか、どこへ行こうとしているのか、いつも何もわからない状態にある。真っ暗闇のなかを一行一行書いていく中で、小説というのは、はっきりしていることを書くのではなく、書いても書いてもわからないことのためにあるのだ、とやっとわかってきました。光の差さない場所をさまようという勇気を失わずに、これからも書くことを続けていきたいと思います」

小野正嗣さん(奨励賞)
小野正嗣さん

小野正嗣さん

「大変な名誉なことです。恥ずかしながら、僕は坪内逍遙や早稲田大学と接点がありませんが、18歳まで過ごした大分県南部では、テレビで早慶戦の中継があった場合、なぜか圧倒的に多くの人が早稲田を応援していた気がします。雑多なものが入りまじる、エネルギーに満ち溢れた開放的で野性的、ソバージュな校風が、旧佐伯藩の沿岸地帯の住民のプリミティブな共感を引き寄せたのではないか。あるいは『K』義塾出身ではありますが、後に大隈重信の片腕となった矢野龍渓が佐伯藩の出身だったことが『W』贔屓にしたのかもしれない…。ないと思いますが(笑)。一方で、『坪内逍遙』の前に僕は困惑するばかり。小説神髄もシェイクスピアもきちんと読んだことがなく、誰もが知っている程度の文学史的知識しかありませんが、深い敬意と親近感を抱かざるを得ません。逍遙は批評家、小説家、戯曲家、翻訳家、教師・研究者という、文学という広がりを構成するいくつもの領域を、文字通り逍遙し続けた人だった。逍遙と僕自身の接点は、そこにかろうじて見出せる。当時、周囲に導き手がいないまま、ほとんどの文学の諸領域を踏破していったことは本当に驚嘆すべきことで、ほとんど探検家といえる。僕なんかツアー観光客でしかないが、文学という広大な領域を歩いていくなかで、選考委員の方々は、僕にとって時折、仰ぎ見て励ましをいただく、力強いガイドでした。この場で、直接言葉をいただき、深い感銘を抱きました」

山田航さん(奨励賞)
山田航さん

山田航さん

「札幌から参りました。この度は望外の栄誉ですが、何よりもうれしいのは短歌という決してメジャーとはいえない世界にスポットライトを当てていただいたことです。小説を読むのが大の苦手で、どうしてもおもしろいと思えなかったのですが、短歌なら面白く読めた。韻文こそが一番、自分の体にあっていると気が付きました。私はもともと回文ワールドに生きており、初めて意識的に言葉というものに向かい合うようになったのは回文です。ですから、この場で浮かぶのは上から読んでも下から読んでも「謹んでお祝いおでんしつつ(つつしんでおいわいおでんしつつ)」。数年前まで無職のまま、悶々と実家で過ごすなか、地元の中央図書館の短歌のコーナーを全部読むことが人生の目標になっていました。これがだめだったら自分はもう終わりだ。ただひたすら家にいる毎日。自分はこのままで終わらない、このつらい気持ちを今、言葉にぶつけて生きのびてやるんだ。そう思ってひたすら言葉と向かい合ってきたことで、まさに世界を言葉で変えることができたのだと思います。あのころの涙を思い出します。「世界を崩したいなら泣いた滴を生かせ(せかいをくずしたいならないたしずくをいかせ)」であります。私は常に中心ではなく周辺部、エッジにいたい。文学のエッジとしての短歌韻文、エッジとして札幌から突き出していたい。坪内逍遙大賞の歴史に『歌人』の文字がきざまれたことは、日本文学の未来に光を与えてくれると信じています」

第四回(2013年度) 早稲田大学坪内逍遙大賞選考委員会

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