
歩廊に佇む大隈重信像。視線の先に拡がるは大隈庭園──そこにはかつて大隈邸があった
陽光にまばゆく輝く壁面、
夜には温かな灯りがアーチを照らす講堂正面。
その偉容と対比をなすごとく、北面のロマネスク調の歩廊は、
四季の移ろいに彩りを変える大隈庭園の緑を、
いつも柔らかくうけとめている。
歩廊から庭園を見つめる大礼服姿の初代・大隈重信像は、
大学創設25周年と大隈の古稀を祝い、1907年に除幕された。
この年大隈は憲政本党総理を辞任、
華やかでも苦渋に満ちた政治の世界からいちど身を引き、早稲田大学総長に就任する。
「一介の書生、半生の武士……平たく云へば田舎武士」
みずからをこう任じた大隈が、
勲一等伯爵の正装姿の銅像として形象されたことに対して、
すでにこの時からさまざまな意見があった。
そのような前評判を意識してか、除幕式では次のように演説する。
人生はまことに短いものである。
世界に千歳の家なく、如何なる英雄、如何なる豪傑、富者たりとも千歳の家なし、
人類は新陳代謝するものである。然るに学校と云ふ如き一の団体は、之は永久的のものである。
永久の生命を有つて居る団体である。
斯の如き将来に希望を有つて居る学園に
予の銅像を立てらるると云ふことは、頗る恥づる次第である。学校は半永久的なものとは云へ、
其方法宜しきを失せば衰運に陥らぬとは云へない。
然るに学校の所謂困難時代の事を此銅像の為に想ひ浮べて
困難に堪へると云ふ利益があるかも知らぬと思ふ。此位の考へを有つて私は自ら満足する外はない。
人間の有限な生命、大学の無限の生命。
しかしその大学が危機に直面したとき、
この大礼服姿の田舎武士の銅像が、
失意のひとびとを励ますことになるかもしれない──
宮廷服を纏った謹厳な銅像の前ではにかむ
大隈その人の表情が、目に浮かぶようだ。