「お兄ちゃん、家をつくってくれない?」
芸術学校の学生って、卒業した後どうしているの? そういった疑問をお持ちの受験生や在校生の方もいるかもしれません。新コラム「卒業生に聞く!」では、芸術学校の卒業生の皆さんのキャリアを紹介します。
「卒業後のキャリアの拓き方」というテーマで、卒業生の方からお話をうかがいました。2人目は、2011年度 建築都市設計科卒業の中西太介さん。水澤工務店で現場監督を務めておられます。
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中西太介さん プロフィール |
| 1978年 福井県生まれ 繊維メーカー就職後、 30歳の時に早稲田大学芸術学校入学。 都市建築設計科卒業 大同工業(株)を経て現在、(株)水澤工務店勤務 |
社会人で芸術学校へ入学、そして卒業
現在はプロフィールにもある通り、施工管理、いわゆる現場監督の仕事をしていますが、卒業前後は、建築設計を生業にしようと考えていました。
一方で、「本当に建築設計で食べていけるのだろうか」という大きな不安もありました。正直なところ、在校生の多くも同じ気持ちを抱えているのではないかと思います。
私は30歳で芸術学校に入学したので、当然ながら若くはありません。卒業時は33歳です。つまり、同年代の人たちとはすでに10年近いキャリアの差がある状況でした。
「その差を埋める」と言うとおこがましいのですが、「どうすれば差別化できる仕事ができるのか」とよく考えていました。もっとも、考えているだけでは答えは出ません。
卒業後は、ゼネコンの契約社員や、先輩の事務所でプロジェクトごとに手伝いのような形で仕事をしていました。そんな折、実家の妹夫婦から突然、「お兄ちゃん、家をつくってくれない?」と軽く頼まれました。
「家をつくってくれって…俺は大工じゃないんだけどな」と思いながらも、こちらも軽い気持ちで引き受けてしまいました。
当時は資格も所属もなかったため、芸術学校の先輩である (株)ハクアーキテクツスタジオ の関正信さん、 小谷建築設計(株) の小谷竜二さんにお願いし、一緒に家づくりをすることになりました。設計が一通り終わって着工後は、地元・福井に戻って設計監理の“まねごと”のようなことをしていました。
当時は時間もあったので、毎日現場に通い、大工さんたちにはかなり面倒がられたと思います。でも、大工さんと「ああでもない、こうでもない」と話すのがとても楽しかった。
設計の仕事を始めたばかりの人なら誰もが経験すると思いますが、詳細図の線の重なりの意味がわからず、「これがどう立ち上がっていくのか」が想像できない。あれが本当にストレスでした。
でも、現場で実物を見ながら「この線はこういう意味だったのか」と理解できた瞬間が本当に面白く、「蒙が開く」というのはこういうことか、と当時は感じていました。
この経験から、「まず現場を知っておくのもアリかもしれない」と考えるようになりました。
勝山の家 | プロジェクトトップ | 新建築データ
現場監督の道へ
そんなことを考えているうちに妹の住宅も完成し、東京に戻ったちょうどその頃、同窓会があり、そこで現場監督になるきっかけ、大同工業の社長に出会いました。社長と話しているうちに「現場監督やってみたら」っておっしゃっていただけて、とんとん拍子で入社することになりました。
大同工業は本社が伊東にあり、藤沢に湘南本店があります。住宅がメインで、ほぼ100%、いわゆる「建築家」と呼ばれる方々が設計した建築の施工を請け負っている会社です。
ちなみに、芸術学校の先生方が設計された建築も多く手がけています。
大同工業では、本当に多くの経験をさせてもらいました。さまざまなビルディングタイプの住宅を担当し、住宅という括りであれば、ひと通りのことは何とかできるという自信がつきました。
ただ、人生で一番働いた時期でもあります。多くの建築家の方々の納まりやデザインに触れ、刺激的な日々を過ごしました。
大同工業ホームページ
https://www.daido-kogyo.co.jp/
大同工業でのご担当物件の掲載情報
・住宅特集2019年11月号掲載『土屋の家』
https://data.shinkenchiku.online/projects/articles/JT_2019_11_108-0
・モダンリビング2020年249号掲載『T3』
モダンリビング 2020年3月号 No.249 2020年02月07日|雑誌情報|ハースト婦人画報社マガジンクラウド
現場監督の主な業務ですが、工程管理・安全管理・品質管理・予算管理の4つと言われています。
この中で「予算管理」について少し話したいと思います。
卒業直後、実務を始めて初めて施工会社から提出された見積書を見たとき、まったく意味が分からず、ブラックボックスのようでした。施主に質問されても何と答えたらいいのか分からず、「施工会社に確認します」しか言えないのが歯がゆかったです。
もちろん、経験を重ねるうちに理解できるようになりますが、当時はこのことも大きなストレスでした。
一方で、現場監督になると予算書に基づいて業務を進めるため、見積もりや予算の中身をすみずみまで理解する必要があります。
また、見積書の作成を担当する機会もあり、どのように見積もりが構成されているのかを学ぶことができたのは大きな経験でした。

稲芽会OB・OG会でのご講演の様子
転職と次の段階へ
大同工業で6年間勤務し、経験を重ねるうちに、少しずつ自分の中で「本来やりたかったこと」や「やるべきこと」が整理されてきました。
坪単価でいうと60万〜250万円くらいの住宅を担当してきましたが、経験を積むにつれ高額物件を任されるようになり、「住宅としての最高峰とは何だろう?」という興味が湧いてきました。
当時、会社には自分の居場所もあり、居心地も良かったのですが、おそらく、年齢的にも最後のチャンスだと思い転職を決意しました。
そうなると、真っ先に浮かんだのが水澤工務店でした。幸い、業界全体が人手不足ということもあり、無事に入社することができました。
入社してまず感じたのは、予算の規模が全く違うので、当然ではありますが、「良いものをつくるために必要だと思うことは、すべからくやる」という姿勢が徹底されています。
どんな建築にも予算の上限があり、その中で最善を尽くすのですが、水澤工務店では「品質のために妥協しない」という方針が貫かれていました。
入社して最初の物件は坪単価が住宅と思えないような案件だったのですが、品質管理の面で本当に多くのことを学びました。
水澤工務店ホームページ
水澤工務店でのご担当物件の掲載情報
・GA house 201号掲載『SYMPHONY』
https://shop.ga-tbc.co.jp/view/item/000000007645
現場でのデザイン
「現場をやっていてもデザインはできない」と思われがちですが、私はそうではないと考えています。
水澤工務店の部長もよく話しているのですが、「設計者の意図を先回りして、納まりやディテールを“デザイン”する」という考え方があります。
経験を重ねるごとに考え方の引き出しが増え、設計者の要望を具現化できるようになります。これもまた、デザインの一つの形だと思います。
さらに言えば、安全管理で「安全で使いやすい足場をどう組むか」、工程管理で「どう効率的なスケジュールを組むか」も、広い意味で“デザイン”と言えるかもしれません。
今後も水澤工務店で、現場を通じて建築デザイン・施工デザインの両面を学び続けたいと考えています。
当時の校長、鈴木了二先生が「野心を持て」とよくおっしゃっていました。
これからもその言葉を胸に、野心を持ちながら建築を深く追求していきたいと思います。
※本記事は、2024年12月に行われた「稲芽会OB・OG会」の講演を元に加筆・編集を行ったものです。










