Art and Architecture School早稲田大学 芸術学校

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卒業生からのメッセージ

卒業生

建築系×ソーシャル系で生きる

芸術学校は、様々な年齢層、異なる分野の学生が多く在籍する刺激的な場所 でした。大学院に進学することを決めたのも、そんな環境が大きかったと思います。そして、早稲田大学大学院建築学専攻の博士課程に在籍しながら、学科の専任助手になった2011年です。東日本大震災が起こり、私の実家も被災しました。ボランティアで地元地域の泥掻き等をしつつ、建築学科の若手有志でタスクフォースを作り、北は岩手県から南は茨城県まで沿岸地域を周りました。その中で、宮城県名取市閖上地区において、40年以上親しまれたコミュニティーの核ともいえる場所、朝市を復興させるプロジェクトを支援する機会がありました。課題は山のようにあり、プロボノといわれる人たちにも沢山お会いし、助けて頂きました。今振り返ると、この経験が、建築一本で生きると決めていた私の心を大きく動かし、「建築系×ソーシャル系で生きる」という新しいフィールドを開拓するきっかけとなりました。その後、震災復興の支援活動も続けながら、5年かけて博士を取得。複数の大学職を経験し、現在、立命館大学において、ソーシャルイノベーションとソーシャルデザインを専門とし、教鞭をとっております。

永野 聡 NAGANO Satoshi

立命館大学産業社会学部准教授。1981年生まれ。宮城県仙台市出身。芸術学校建築科卒業。2014 年10 月、博士(建築学)を早稲田大学にて取得。豪州、アデレード大学建築・都市スクール訪問研究員、福井大学研究員、三重大学講師を経て、現職。現在の専門は「ソーシャルデザイン・ソーシャルイノベーション」。東日本大震災の震災復興関連の活動で、グッドデザイン賞2017特別賞[復興デザイン]・グッドデザインベスト100を共同受賞(受賞名:マーケット[ゆりあげ港朝市])、2021年日本建築学会賞(業績:復興復旧特別賞)を受賞(受賞名:ゆりあげ港朝市を中心とする東日本大震災からの地域復興)。現代アートを活用した地域活性化の活動に関連し、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2012/2015/2018/2021に作家(Doobu代表)として出展、最新作品「皓雪冽白~漉き込む十日町の記憶~」。

立命館大学永野ゼミ

人間科学部と芸術学校それぞれにおける学びから得られる強み

佐藤泰

私は、早稲田大学の大学院人間科学研究科での修士1年から博士1年にかけての3年間と並行して芸術学校で学びました。幅広く学際的な人間科学研究科と、建築デザインについて非常に専門性高く学ぶことのできる芸術学校、それぞれにおける学びから建築や空間について考えられる点が、研究者としての自分の強みになっていると強く感じます。

名古屋に来てからは、元々専門としていたオフィス研究に加えて、地元の工務店と『子どもの主体性を引き出す遊具』を展開するために、幼稚園の先生方ともディスカッションをしながら調査に基づいた遊具提案を進めていたり、豊田市に製材工場を持つ林業会社と内装木質化の実証評価を行なったりしています。

それぞれ、ポストコロナ社会で活躍する子どもたちに求められる資質(主体性)を考えたり、SDGsが叫ばれる中で地元木材の地産地消サイクルへの貢献を考えたりという大局的な視点に対して、最終的に実際の遊び場面や室内空間という空間的・身体的な対象をどのように提案していくかを考えて取り組んでいます。

昨今の変化の激しい社会において、研究で得られる理論的な知見を実際の建築や空間提案へと連続的につなげることの重要性が高まってきている中、社会的な課題に対してデザインの力でどう応えるのかという視点を踏まえて研究活動をするにあたって、芸術学校での3年間が非常に力になっていると感じています。

佐藤 泰 SATOH Tai

名古屋市立大学 大学院芸術工学研究科 建築都市領域 講師。博士(人間科学)。1988年東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科と並行して、早稲田大学芸術学校(建築都市設計科)に在籍。「ワーカーの個人属性とオフィス内行動毎の環境選好の関係 多様な知的活動の支援環境に関する検討」で2020年度日本建築学会東海賞(論文賞)受賞。

これからの建築をより豊かで多様なものに

「…夜な夜なコック場の硝子戸の中から燈火がもれる…」ように、夜な夜なスタジオやシルマンホールの窓から蛍光灯の明かりがもれ、そこで起こっている出来事の雰囲気が東京の一画で発散されている。それが、私の記憶する芸術学校の印象です。

大学在学中に、芸術学校へダブルスクールで入学しました。それぞれの学生の個性を一貫して擁護しながら設計計画を批評してくださる鈴木了二先生の視座、膨大な知識から設計計画を新鮮かつ論理的に展開していくことを教えてくださった萩原剛先生のご指導。そういった先生方の真剣な態度や教えが今の自分を形成しています。そして、そういった関係がこれからの建築をより豊かで多様なものにしていくのだと信じています。まるで、ポルトガルの建築家 フェルナンド・タヴォラが、世界中がインターナショナルスタイルに熱狂している真っ只中に、ヴァナキュラーな建築を再考することの重要性を当時学生であった、アルヴァロ・シザや、ソウト・デ・モウラに教え、それが現在のポルトガルの建築や都市を豊かにしているように。

そんな「雰囲気」「バイブス」をもった活動の場というのは、現代の標準化が加速する社会にどれだけ残されているでしょうか。その中に足を踏み入れ参加できたことを、私は心から良かったと思っています。

浜渦 良明 HAMAUZU Yoshiaki

2015年度建築都市設計科卒
1991年生まれ、東京都出身。早稲田大学人間科学部人間環境学科在学中に、早稲田大学芸術学校へ入学。建築都市設計科卒業。卒業後、リスボン大学建築学部建築専攻修士課程(Mestrado integrado em Arquitetura, Faculd ade de Arquitetura, Universidade de Lisboa)へ進学。2019年3月修士課程修了。

 

スタジオで切磋琢磨した日々は私の創作活動の原点

 坂野智子

姉が建築関係の仕事をしている影響もあり、自然と建築に興味を抱くようになりました。 偶然手にとった建築雑誌で芸術学校の存在を知り、学校見学に行きました。その時に感じた先生方の建築に対する情熱的な思いに惹かれ入学を決めました。 大学では化学を専攻していたため異なる分野への挑戦となり不安もありました。 しかし、今までの経験は決して無駄ではなく、他分野での経験や知識も多角的な視点で建築を考えることの助けとなっているように思います。 芸術学校で特に印象に残っていることは、二、三年時に行う設計課題です。 スタジオで同級生と切磋琢磨しながら模型をつくり図面をかいた日々は今でも私の創作活動の原点となっています。 芸術学校を卒業後は早稲田大学大学院の古谷研究室に所属し建築の意匠を学びました。このような環境で学べたのは、 建築を一から教えていただき、建築の魅力に気づかせてくれた先生方のおかげであり、大変感謝しています。 これからも芸術学校で学んだことを支えに、夢に向かって進みたいと思います。

坂野智子 BANNO Tomoko

2012年度卒業設計稲門建築会賞受賞作品「Tokyo Metroporitan Stage」

2012年度 建築都市設計科卒 1986年生まれ、東京都出身。 青山学院大学理工学部生命科学科卒業後、早稲田大学芸術学校建築都市設計科へ入学。 卒業設計で稲門建築会賞受賞。卒業後、特別選考制度で早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻へ進学。 現在は(株)松田平田設計に勤務。

 

それぞれの学生が持っている「芽」を育てる

三浦詩織

早稲田大学第二文学部で美術史を専攻していて、その中でインテリアに興味を持ち、 芸術学校で当時開講されていた生活デザイン・インテリアコースを受講しました。 そのうちに建築自体を学びたいと考え、大学卒業後、芸術学校に入学しました。

入学してみて、学生と先生の距離が近く、 様々なバックグラウンドを持った方とともに学ぶ環境がとても新鮮に感じられました。 設計課題の場面では、それぞれの学生が持っている「芽」を先生方がマンツーマンで育ててくれ、 自分のアイデアをもとにアドバイスを受けながら徐々に形にしていくという感じです。 敷地周辺のリサーチの重要性や、図面の基礎的な表現から細かいところまで、先生方に丁寧に教えていただけたことが、 現在の仕事にとても役立っています。

卒業後は大学院を経てアトリエ系の設計事務所に就職しました。 芸術学校の課題作品をまとめたポートフォリオを見せたときに「清潔な設計をするね」と褒めていただいたことがとても嬉しく、 印象に残っています。現在は住宅の設計を主に担当していますが、出来上がった住宅もお施主様に長く大切に使っていただき、 時間が経つにつれてより美しくなっているように感じます。将来は独立して長く愛される住宅を作っていきたいです。

三浦 詩織 MIURA Shiori

2011年度卒業設計 稲門建築会賞受賞作品「NEPUTA Station」

2011年度 建築設計科卒 1985年生まれ、青森県出身。早稲田大学第二文学部卒業後、早稲田大学芸術学校建築設計科へ入学。 卒業設計で2011年度稲門建築会賞受賞。特別選考制度で早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻修士課程へ進学。 2014年度に大学院を修了し、(株)城戸崎建築研究室に勤務。2020年よりフリーランス。

 

間違っていてもよいから、思い込むことの力を持ちなさい。

早野洋介早稲田大学理工学部に所属していた大学時代に、専攻とは異なる建築に興味を持ち、学部の教授がそのまま授業をしてくれる、芸術学校の授業内容の充実ぶりにも惹かれ入学を決意しました。

在学時代での出来事として今でも強烈に記憶に残っているのは、現校長である赤坂教授が授業の中で、「間違っていてもよいから、思い込むことの力を持ちなさい。そして、とことんそれを信じていきなさい」と、ミースの解説においてされていた言葉は、その後の自分の進む道に大きな影響を与えてくれました。

自分にとって本校は、想像力と手で考える習慣。どんなにデジタルなツールが発展しても、発想の原点というのは自分の手で考えるしかなく、その基本を教えてくれた場所であると思います。

本校を卒業し、海外にて建築を学び、独立して帰国し、様々な世界を見てきた中でも、これほど熱心に、これだけ面白い先生方と、濃厚な時間を共にできる学校は稀だと思うので、ぜひ建築の楽しさをこの場所で見つけてもらえればと思います。

早野 洋介 HAYANO Yosuke

2000年度 建築設計科卒
MAD Architects共同代表  1977年生まれ、愛知県出身。早稲田大学理工学部材料工学科在学中に早稲田大学専門学校(現:芸術学校)建築設計科に入学。その後ロンドンのAAスクール大学院を修了。ザハ・ハディド・アーキテクツを経て独立。主な作品は 「トロント・アブソリュート・タワー(トロント、カナダ)」(国際コンペ1等入賞)「オルドス美術館(内モンゴル、中国)」「ハルピンオペラハウス」(中国)「清津峡トンネル」(新潟、日本)他、2019年 稲門建築会特別功労賞(奨励)受賞。
 MAD Architects Official website

 

建築の魅力について身体を通して学んだ芸術学校の時間

大学院に進んだ当初からフィリピンの不法占拠地域を対象にフィールドワークをしてきました。建築を研究成果の社会還元の方法と捉え、人類学や民俗学を根っこに、いろいろな分野から建築にアプローチをしたかった。そのために芸術学校に入学しました。
芸術学校で過ごした3年間はとても刺激的でした。建築の第一線で活躍する先生や、アグレッシブな同期の仲間たちとの出会いを通して、建築の見方、プレゼンのスキル、コミュニケーションの手法が磨かれていきました。以前は個別の家そのものの設計に関わりたいと思っていました。しかし、芸術学校に進学してからその思考はさらに広がっていきました。私にとって建築は人間学の中にある一分野です。あらゆる分野を横断していて、これほど生活に密着している分野は他にはないでしょう。人の生活の場の研究から建築に関わっていくことが、私の歩みたかった道なのだと確信しました。特定の分野の枠内で身につけた知識や技術では物事の一面しか見えてきません。まだ学ぶべきことは山のようにあります。
卒業後も仲間たちとの付き合いは続いています。同期の多くが独立して、建築設計事務所を開設しました。現在はお互い多忙な時間を縫って、新しい時代を見据えた広い意味での建築プロジェクトに共同で取り組んでいこうと模索しています。その軸となるのが、建築の魅力について身体を通して学んだ芸術学校の時間でした。

牧野 冬生 MAKINO Fuyuki

フィリピン・メトロマニラの不法占拠地域

2008年度建築設計科卒
1975年生まれ、長野県出身。早稲田大学理工学部情報学科を卒業後、大学院で文化人類学を専攻。民間企業勤務と並行して早稲田大学大学院博士課程へ進学し、その後スイスのチューリヒ大学大学院博士課程民族学教室へ留学。帰国後、早稲田大学芸術学校へ入学。博士(学術)、1級建築士。専門は文化人類学と建築計画。お茶の水女子大学・早稲田大学大学院文学研究科などで非常勤講師を歴任。現在、東洋大学教授。

 

授業で見た建築をいつか訪れてみたい

芸術学校を卒業して、大学院に進学した後、2013年に3人で設計事務所を設立しました。

大学で比較生活文化学を専攻していたこともあり、旅先で色々な地域を歩き回っているうちにその場所の文化と密接に関わっている建築に興味をもつようになり、芸術学校への入学を決めました。

芸術学校の授業は、日々刺激的で、よく旅に出たくなりました。特に近代建築デザイン論は、毎回、一人の歴史的建築家とその代表作にスポットをあて、膨大な枚数の写真を通して建築の中を一歩一歩巡っていくようなレクチャーで、スライドのカシャンと響く音と薄暗い教室が印象深く、今思い返してみるとなんとも特別な時間でした。毎回授業には冊子と言ってもよい厚みのプリントが配られたので、半期の終了後にまとめて参考資料集にしていました。そのときに知った作品はいつか訪れたいと思う建築ばかりで、今でも旅行先を決める指針のひとつとなっています。

授業やエスキスを通して知った、建築ってすばらしいなという実感からくる喜びが、今も設計を続ける軸となっています。

西川 日満里 SAIKAWA Himari

BONUS TRACK

2009年度 建築設計科卒
1986年生まれ、新潟県出身。お茶の水女子大学生活科学部とのダブルスクールを経て、早稲田大学芸術学校建築設計科卒業。横浜国立大学大学院建築都市スクール/Y-GSA修了。建築設計事務所CAt (Coelacanth and Associates tokyo)勤務を経て、2013年に「TSUBAME ARCHITECTS」を設立。

TSUBAME ARCHITECTS

 

芸術学校で培ったコミュニケーション能力

桜並木の美しい石神井川沿いに佇む、外観が印象的な一軒家。そこが松尾宙さん・由希さん夫妻の建築事務所兼自宅だ。4階建ての建物には、由希さんの弟家族や両親、由希さんの叔父夫妻が同居する。「初めはこんな大家族で生活して、うまくやっていけるか不安でしたが、和気あいあいと楽しく生活しています。今は核家族化により、2世帯以上で同居する人が少なくなっていますが、逆に複数の世帯が同居しやすい家を提案して、大家族で生活する楽しさを伝えてみるのも面白いと思いました」(由希さん)今では2人の子どもにも恵まれ、公私ともに充実した日々を送っている。在学中は現役の建築家である講師陣と至近距離で接することができ、建築の世界をリアルに感じられたという。「芸術学校に通うまで、建築家のことをあまり知らなかった僕ですが、偉大な建築家である鈴木恂先生や鈴木了二先生の授業を受けることで、お二人の存在と作品を知りました。そこで、先生方の作品や思想にとても惹かれました。両先生の作品集や実際に作品を頻繁に見て考察したり、建築に対する思想を追究するようになりました。両先生と出会ったことが、自分自身の建築観を模索するきっかけになったと思います」と宙さん。また、学生の年齢層が幅広く、それぞれ異なった分野を出身とする同期たちと接してきたことで、会話のバリエーションも広がり、臨機応変に対応する術も身についたと二人は話す。「建築」の仕事は、制限された予算や法規、期限の中で、施主や現場監督、役所と交渉する場面も多い。ときには難航を極めることもあるが、芸術学校で培ったコミュニケーション能力が大いに生かされているという。今後は住宅以外の設計も手がけてみたいと二人は言う。「美術館や図書館など、社会性の強い公共建築物を設計してみたいと思っています。ビルディングタイプが変わっても『設計する』ということに変わりはありません。」

松尾  宙 MATSUO Hiroshi ・ 松尾  由希 MATSUO Yuki

「A project」SDレビュー2008 奨励賞作品 「A project」SDレビュー2008 奨励賞作品

1998年度建築設計科卒
一級建築士事務所アンブレ・アーキテクツ代表。1972年生まれ(宙さん)、1973年生まれ(由希さん)、ともに東京都出身。宙さんは獨協大学法学部を卒業後、由希さんは成蹊大学文学部在学中に早稲田大学専門学校(現:芸術学校)に入学。1999年、同建築設計科を卒業。2000年に結婚、2008年に二人共同で建築士事務所を設立。2008年、SDレビュー2008 奨励賞。現在、宙さんは早稲田大学芸術学校非常勤講師を務める。

一級建築士事務所アンブレ・アーキテクツ

 

建築に対する様々なアプローチや思考・姿勢を学ぶ

山下大輔

大学在籍中は材料工学を専攻していました。 建築とは異なる分野ですが、視点を変えれば共通する部分もありました。 父親が建築を仕事にしていたからか、幼い頃から興味があり身近な存在であった建築の分野を模索し始めたのは自然な流れであったかも知れません。 そのような時に学内にある夜間の早稲田大学芸術学校の存在を知りダブルスクールを始める決心をしました。

芸術学校在学中に強く印象に残っていることは、最終学年のスタジオでの体験です。 第一線で活躍されている建築家の方々から個々にスタジオで直接ご指導いただける環境であるため、 設計課題へのアドバイスだけではなく、建築に対する様々なアプローチや思考・姿勢を学ぶことができ、 自身の考え方を大きく飛躍させることができました。その体験は現在も建築を考える上で大変役に立っています。

卒業後は鈴木了二先生の下で建築の実務を勉強させていただいた後に、現在は自身の設計活動を始める一方、 非常勤講師として母校の教育に微力ながら携わらせていただいております。 再び学校を内側から眺める機会を得ることになりましたが、 より一層教育環境が強化され自分の学生時代の頃から学校がますます成長していく様子を日々感じています。 この素晴しい環境で学ぶ新入生が増えること、そして在校生がこの場を有効活用し、英知を養われた卒業生たちが、 建築を通して社会に貢献し活躍していくことを心から望みます!

山下 大輔 YAMASHITA Daisuke

波板の家(愛西の住宅)

2000年度 建築設計科卒
DYA山下大輔建築設計事務所代表。1976年東京生まれ、石川県金沢育ち。 早稲田大学理工学部物質開発工学科在学時に、早稲田大学専門学校(現:芸術学校)へ入学。 卒業設計で2000年度稲門建築会賞受賞。卒業後、鈴木了二建築計画事務所を経て独立。 現在、早稲田大学芸術学校非常勤講師。

山下大輔建築設計事務所 DYA

先生の講演がきっかけ

内木博喜1979年名古屋での吉阪先生の講演がきっかけで前身の専門学校を知りました。当時校長であった吉阪先生の「働きながら学ぶ社会人のための大学院としての役割」についての言及もあり、一旦就職を見送り1982年大学卒業と同時に上京を決意しました。

まだ視野の狭い自分にとって、東京のもつ情報量やエネルギーに触れられたことも大きな刺激でしたが、多彩な講師陣によって進められる独自のカリキュラム、そこに集まる様々な経験と専門をもった学生や先輩達との出会い、そして現在も設計を共にし、建築への視座を下さった恩師鈴木恂先生との出会い。今思うと一旦就職を見送ってでもその環境に踏込んだことが、その後の自分自身の方向や可能性を大きく広げたように思います。

現在では歴史・理論などのカリキュラムがより強化され、当時は全く存在しなかった2、3年生のスタジオ環境など、一歩踏出せばその先には自らの建築への可能性が大きく広がっています!

内木 博喜 NAIKI Hiroki

TOCO(埼玉県/都幾川村文化体育センター)担当した実施コンペにて入賞、完成写真 1984年度 建築設計科卒
AMS Architects 代表。1959年生まれ、岐阜県出身。名城大学理工学部建築学科卒業後、早稲田大学専門学校(現:芸術学校)建築設計科へ入学。卒業設計で1984年度稲門建築会賞受賞。卒業と同時に鈴木恂建築研究所入所(現:AMS Architects)。早稲田大学大学院理工学研究科建築工学専攻修士課程修了。2014年−2019年 東京藝術大学非常勤講師。現在、早稲田大学芸術学校非常勤講師。

 

現代社会を生きる上で助けとなる実践

大学では金融・会計を専攻していましたが、東京での自転車メッセンジャー経験を通して都市・建築に興味を持ち芸術学校へ入学しました。

芸術学校には私のように建築外のバックグラウンドを持った学生が多く集まってきますが、それ自体が建築を学ぶ上で知識を勉強する以上に重要なトレーニングとなっていたように思います。建築をつくるには建築の知識だけあれば良いというわけではなく、人々の価値観、政治・経済・社会の状況、土地の記憶など今生きている時代のあらゆる事象を整理し、一つの形に統合していかなければなりません。芸術学校でのごった煮のような多様性の中でとにかく手を動かしてもがきながら建築を考える時間は、本質的には設計実務に取り組む姿勢となんら変わらないのです。

また少人数制のため、第一線で活躍している建築家の先生方から濃密な教えを直接受けられる稀有な環境が実現されています。先生とのやり取りを繰り返しながら自分の設計案をブラッシュアップさせていく設計エスキスの時間は情熱的でとにかく面白い。さらに様々な分野のプロフェッショナルである先生方から専門技術を学ぶ授業の他、受講後すぐ旅行に行きたくなるような建築論や建築史の授業も充実しています。

あらゆる複雑性に対して意味を見出して思考を整理し、事実関係を調整しながら一つの形に結実させていく力はAIでは代替することができません。芸術学校で得られる学びは最近よく聞かれる「リスキリング」よりもう少し深層の、将来建築設計を仕事にするかどうかに限らない現代社会を生きる上で助けとなる実践だと思います。

廣西 航多 HIRONISHI Kota
2019年度 修士計画 混淆による近代都市造替計画

2019年度 修士計画 混淆による近代都市造替計画

1990年生まれ、埼玉県出身。
立教大学経済学部会計ファイナンス学科卒業後、早稲田大学芸術学校へ入学。
卒業後約1年間の建築設計事務所勤務を経て、
特別選考制度で早稲田大学大学院 創造理工学研究科 建築学専攻 古谷誠章・藤井由理研究室へ進学。2020年3月に修士課程を修了。同4月〜 株式会社 日建設計に勤務。

 

なにより手で考えること

芸術学校での3年間、更に特別選考で進んだ大学院赤坂研究室での2年間は建築設計とはどうあるべきかを真剣に考え、学ぶことができた期間でした。

芸術学校に入学を決めたきっかけは、手で考えるという教育方針と多様な世代・背景をもつ生徒が集まる環境に惹かれたからです。自らの手を動かして考えると思いもよらぬ発見があり、その都度わくわくして設計課題に取り組んでいました。その発見が楽しくて、何度もスタディをしたことをよく覚えています。

また、同じ課題に取り組む中で、普段出会うことのない多様なバックグラウンドの同級生と会話をし、協業したのは貴重な経験になりました。私は大学では法学を専攻していましたが、同様に全く異なる分野から集まる同級生達の設計へのアプローチは本当に多種多様で柔軟な考え方に感心しました。

そのような中でも、芸術学校在学中に最も印象に残っているのは、3年次の設計課題です。2年次より更に少数のスタジオ制となったことで、マンツーマンで長時間、現役の建築家でもある講師の方々と真剣に議論をすることができました。知識量の多さに圧倒されつつも、設計に対する自分の意見をきちんと伝える良い経験となり、現在の自分の糧になっています。

現在、実務で建築設計をする上で、芸術学校での授業を通じて得た経験をもとに、なにより手で考えること、そして自分の意見を他者と共有することに重点を置きながら、取り組んでいます。

稲葉 隆太 INABA Ryuta

1992年生まれ。大阪府出身。早稲田大学法学部を卒業、早稲田大学芸術学校に入学。卒業設計にて、2017年度保坂賞受賞。特別選考制度により、早稲田大学大学院創造理工学研究科建築学専攻に進学。現在、(株)竹中工務店に勤務。

 


(最終更新日:2023年9月6日)

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