Art and Architecture School早稲田大学 芸術学校

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「空洞3部作」再考 2/4

ディテール・モデルと建築のアンチ・ユートピア

鈴木了二(2007年度紀要AARRより)

そして「空洞3部作」はそのことに、以前よりもはるかに自覚的であった点が共通していた。個別的には竣工時や展覧会などの機会に記述を試みてきた。しかし今回、ディテールのレベルで「空洞3部作」全体を網羅的に考え直す貴重な機会を得たので、以前から試みたいと考えてきた「ディテール・モデル」を作ることにした。

「空洞3部作」に関しては、もちろん幾つかの全体模型を作ってきたがそれ自体が全体として完結しているようには見えず、いつもなにかの断片のように思われた。おそらく「空洞3部作」のどの住宅も、偶然だが、東京の都心部に集中していたことによるのだろう。郊外などの低いスカイラインの場所であれば、住宅の「全体」性も意味を持ったかもしれないが、「空洞3部作」の置かれた場所は巨大なマンションやオフィスビルに取り囲まれ、まるで大地のクレバスか、断崖か、あるいは井戸の底のような景観である。

巨大な都市の力によってあらかじめ即物的に切断されている「空洞」を前にして、「全体」性はあまりに無力であるように思われた。こじ開けられた空隙に作用する断片として住宅を見るほうがはるかに自然であり、また考えやすい。

「空洞3部作」にとっては、全体模型といっても、さらに大きな建築の一部であるように思えたし、また部分模型といっても、それがそのまま全体模型であるようにも思えたのだ。

とすれば、「空洞3部作」に望まれる模型とは、「全体」でも「部分」でもないような模型ではないだろうか。

現物は竣工しているのに、わざわざディテール部分を取り出して模型化するのははじめての経験であったため試行錯誤を繰り返すことになり、思いの外大変な作業に発展したが、結果としては、このプロセスそのものが「空洞3部作」について考察することであった。

その意味では1980年代半ばに試みた物質試行23である「標本建築」を想起させる。すでに存在するものを、あえてモデル化することを通じて考察し直そうとする点では、バラックのファサードを写真に撮り、それをもとに図面化し、最終的に模型化した「標本建築」と同じ作業であった。縮尺や素材を変換しながらモデル化することが、実物に沈潜していながら直接的には把握し難い事柄を見出すことを媒介的に可能にするのである。

異なるのは、今回の「ディテール・モデル」の対象とした建築が、自分たちの設計したものであることだ。モデル化するためには、自分とその対象との間に距離をとり、クールに相対化しなければならないが、現場のプロセスでの葛藤を一度通過しているために、出来上がった実物のイメージに囚われやすく、大胆な部分化に踏み切るまでにしばらく時間がかかった。

モデル化の対象がディテールに特化されたことも「標本建築」と異なっていた。普通に考えると部分模型には違いないので、部分詳細図を適当に拡大し、適当な範囲を区切って模型化すればディテール・モデルになると思うだろう。でも、それではまったく違うのだ。実はわれわれも最初はそう思い、試しに2、3個作ってみた。しかし出来上がったテスト・ピースはほとんど面白いものにはならなかった。部分をただ大きくしただけでは、いくら精密に作ってもサッシュメーカーあたりの断面サンプルとさして違いはなかったし、また、部分を同一縮尺で再現するだけなら、全体から切り離された分だけ貧弱な印象にしかならないのである。

何故だろうか。「ディテール・モデル」が「全体」でも「部分」でもないものに成るためには、物質同志の関係を表現できなければならないからである。さらに言えば、関係の強度を現す模型でなければならないのだ。

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