早稲田大学図書館の歴史は、大学が東京専門学校として創立され、その建物の一部に図書室が設置される1882年にはじまります。1902年、東京専門学校が早稲田大学と名称を変更し、大学として組織の整備がすすめられるなかで「図書室」ははじめて独立した施設をもつにいたり「早稲田大学図書館」は新たなスタートをきることになりました。
早稲田大学総合学術情報センターは、早稲田大学創立100周年記念事業の一環として、大学の学術情報の中核を担うべく1991年4月1日に開館しました。この施設は、中央図書館施設と研究・会議施設からなり、学術情報の収集・提供(図書館施設)、生産・発表(研究・会議施設)を有機的に一体化することを目指しています。さらに学内のすべての図書関連施設をオンラインでむすびネットワーク化をはかることにより、この施設は文字どおり学術情報のセンター(中核)としての役割を果たすことになります。
中央図書館は全体で27,705平方メートルを有し、収蔵可能規模は400万冊にのぼります。すべての図書は一部の重要書をのぞき利用者がじかに手にとってみることができる開架式書架に配架されています。この他に、閲覧個室、展示室、AVホール、マイクロ資料閲覧室など、多彩な利用者のニーズにこたえる施設が準備されています。
研究・会議施設は、約450席の国際会議場を中心として、会議室、研究室、共同研究室を有しています。これらの施設は内外の研究者の利用に供されています。
早稲田大学総合学術情報センターは、その規模、機能、そしてその内実において大学全体の教育研究活動の戦略的拠点として、あらたな可能性をきりひらく学問創造の場となることが期待されています。
“QUAE SIT SAPIENTIA DISCE LEGENDO” (知恵の何たるかを読むことによって学べ)
ローマ時代の政治家カトー(Cato)の息子への教訓
中央図書館内の2階から3階へと通じる中央階段踊り場に展示されております。日本を代表する日本画家で本学名誉博士でもある平山郁夫氏の画(1.7mX3.64m)です。「真理探究の奥深さ」がテーマとされています。森の奥深く消える古道は学問の深遠さを象徴し,上方に輝く曙光は厳しい道の果てにある希望と安らぎを暗示しているとされています。
2~4階に展示。薮野健(やぶの けん、1943~)氏は1969年に本学大学院美術史科を修了し、1994年に本学教授となられた画家です。これらの絵画は、2000年3月3日より順次、中央図書館に展示されております。
早稲田大学総合学術情報センター(中央図書館・国際会議場)の敷地は、早稲田大学野球部の球場として使われていた「安部球場」がありました。さらに、センター建設の際に敷地調査したところ、弥生時代の大規模な環濠集落が発見され、「下戸塚遺跡」と名づけられました。
早稲田大学図書館の初代館長である市島謙吉(号・春城,1860-1944)の生誕150年を記念して、2010年3月に2階入口ホールに銅像を建立しました。市島謙吉は1902年に図書館長に就任し、15年の長きにわたって資料の収集と積極的な公開に尽力しました。
2Fロビー(図書館入口前)に「早稲田大学創立100周年事業募金寄付者芳名録」があります(2部あり、1部は開いてご覧頂けます)。 また、入口両側の壁面には「創立100周年記念事業タイル募金寄附者芳名」のプレート(2面)が飾られております。