Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

〜第16回〜下戸塚遺跡―中央図書館下の大地に眠っていた人々の暮らし―

文学学術院 教授・大学史資料センター 所長 大日方 純夫
 1987年12月、安部球場の取り壊し(連載第12回「安部球場の85年」を参照)と、埋蔵文化財の予備調査がはじまった。創立百周年記念事業として、総合学術情報センター(中央図書館)を建設するためである。調査の結果、まず、江戸時代の遺物を含む地層が確認され、さらに掘り下げると、中世の掘立(ほったて)柱の建物跡や、弥生時代の竪穴住居跡などが姿をあらわした。そこで、翌年、本格的な調査が実施された。

▲空から見た中央図書館(建設中)の写真(『下戸塚遺跡第2・3次調査報告』掲載)

 「下戸塚遺跡(しもとつかいせき)」と名付けられたこの遺跡は、武蔵野台地の東部、神田川の中~下流の右側の台地の上に位置する。発掘された石器などは、ここに暮らしていた旧石器時代の人々の存在を裏付けた。縄文時代は、土器がほとんど破片で、石器類の量も少なく、住居跡も発見されなかったことから、狩猟などを営む場所だったのではないかと推定された。弥生時代、ここに集落があったことは、集落を囲む環濠や多くの竪穴住居跡などからわかった。甕(かめ)や壺などの土器も多数発掘され、住居跡から見つかった炭化した米は、稲作が行われていたことを物語った。古墳時代の竪穴住居跡には、竈(かまど)や貯蔵穴があるものも目立った。奈良時代の竪穴住居跡、平安時代の住居跡も見つかり、倉庫跡と考えられる掘立柱の建物跡もあった。中世の掘立柱建物跡は、豪族か武士の館ないし陣屋ではないかと考えられた。江戸時代については、棚、井戸、土坑などの遺構や、陶磁器、瓦、金属製品などの遺物が見つかった。

▲空から見た下戸塚遺跡の写真(『下戸塚遺跡の調査』掲載、北からの航空写真)環濠と竪穴住居跡が見える(正面は15号館・16号館)

明治の中ごろ、この一帯には茗荷(みょうが)畑が広がっていた。球場となったことが幸いして、以来、都市化による開発を免れてきた。図書館建設は悠久の大地のタイムカプセルを開いて、過去の生活の痕跡を呼びさましたのである。この場所に住み、歩きまわっていただろう人々の日々の暮らしを思い浮かべ、彼ら・彼女らの声に耳を澄ますことができるような感性を磨いていきたい。遺跡の全貌については、早稲田大学校地埋蔵文化財調査室編『下戸塚遺跡の調査』全5冊(早稲田大学、1995~97年)を参照。

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