School of Humanities and Social Sciences早稲田大学 文学部

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「社会学:人間社会を理解するための全面展開」文学部 岡本智周教授 (新任教員紹介)

自己紹介

大学に入学した頃には、中学校・高校の社会科の教員になることを考えつつ、小説を書いて同人誌を発行するサークル活動に参加していました。社会科教員になるにしても、何か創作をするうえでも、自分が生きる社会をもっと根本的に理解することが不可欠だと感じて、専攻は社会学にしようと決めていました。

学部学生の時には、マックス・ウェーバーやアンソニー・ギデンズといった社会学者の著作を読むことに、村上春樹の作品を読むのと同じように熱中しました。そのうちに、それら社会学者たちが取り上げてきた論題のなかでも「ナショナリズム」という社会現象を自分もさらに解明してみたいと思うようになりました。以来、ナショナリズム論と、もう一つ、共生社会論に軸を据えて研究活動を行っています。

大学院では、学校教育とナショナリズムとの関わりについて歴史的に探索する勉強をしました。アメリカの大学院でも勉強する機会を得て、日米それぞれの歴史教育の内容の変化を比較し、共通点や相違点を検討しました。アメリカでは、盛んに行われている多文化教育の実際の取り組みを見たり、それによって目指されている多文化社会という社会像について、様々な立場の人たちから教わったりすることができました。

【山川出版社高校世界史教科書の変遷】
教科書は改訂のたびに内容が変わり、「正しい歴史像」も変化します。
その変化には社会状況・政治状況の影響も反映されます。

【ロサンゼルス・リトルトーキョーのGo For Broke(当たって砕けろ)モニュメント】(筆者撮影)
第二次世界大戦中に合衆国軍に従軍した日系アメリカ人兵士たちの活躍の記念碑。
「Country」「Rights」「Loyalty」「Citizenship」といった概念が集合する場所。

その後は、ハワイや西海岸の日系アメリカ人の3世・4世がアメリカの学校教育で受け取っているメッセージ、そしてその影響のもとに作られる彼らのナショナルアイデンティティについての研究を行いました。また翻って、日本国内の外国人児童生徒の教育状況や、日本社会の文化的アイデンティティの変化について考えることになりました。

そうした探索から、人種・民族・国籍に基づく社会的な葛藤、あるいは断絶が見えてきたのですが、同じような摩擦は社会のなかで、性別の違いや障害の有無、世代や社会階層の相違によっても生じています。そのような社会的カテゴリの間の摩擦や葛藤を調停し、時には社会的カテゴリ自体を組み直す作用として、社会的共生という現象に着目するようになりました。社会のなかの分断と共生について様々な側面に着目して研究している研究者たちと共に、共生社会論の議論を深め、書物にまとめて世に問う活動を行ってきました。

【共生社会論のアウトプット】
「共生」と「教育」と「社会」が複合的に組み合わされた問い。
その問いを解明する探索活動が展開されています。

私の専門分野、ここが面白い!

社会学は人間社会をトータルに、かつ深く理解しようとする学問です。そのために諸々の社会現象を解明する作業を行います。その作業は、質問紙調査を行って回答結果を数量的に解析するものであったり、一人ひとりからお話を聞いてその内容を解釈するものであったりと、多種多様です。また、社会現象の個別具体的な経緯を把握するためには歴史学の方法による探索も必要となりますし、ある社会を別の社会と比べて考える比較の視座を設定することも求められます。そしてなにより、そもそも社会とは何か、私たちが社会的に生きるとはどういった意味においてであるのかといったことを考える、哲学的な考察も必須となります。

つまり社会を理解するためには、哲学・思想の理解や、統計解析のための数学の素養、人と会い話を聞くための技術や態度など、身に付けるべき要素が限りなく存在することとなります。それらを少しずつ身に付け、実践し、やがて様々に組み合わせて社会学的探索が全面展開していくことになります。社会を理解するための勉強、そしてその勉強を活用することによって得られる知見、これら両者が絡み合いながら互いを豊かにしていくところに、社会学のダイナミズムがあると言えます。

このような社会学的探索が必要であるのは、「社会は、人間が社会について考えることによって成り立っている」からです。社会というものは当然ながら、人間が居ないところには存在しません。そしてまた、複数の人間たちがただその場に居合わせただけでも、社会とはなりません。社会は、そこに属する人間たちが「自分たち」を見つめ、そこに意味を見出し、そのようなものとして「自分たち」を再び認識した時に、一つの実体として生じ始めることになります。

社会学とは、人間が自分たちに向けるそのようなモニタリングを実践する学問でもあるのです。大学で社会学を学び、そこで採用されている社会理解のための諸々の方法を自らも採用し、得られた知見について議論することは、それ自体が社会を支え、あるいは変化させていく重要な作用だと言えるでしょう。

したがって大学での学生・院生による社会学的な議論は、常に静かな熱を帯びたものになるのです。

【共生教育社会学ゼミ】
ディスカッション

【共生教育社会学ゼミ】
社会は、人間が社会について考えることによって成り立っています。
したがって大学での社会学的な議論は、常に静かな熱を帯びたものになります。

プロフィール

専門は教育社会学、共生社会学、歴史社会学、ナショナリズム研究、社会意識研究。

研究の主軸は、①ナショナリズム論と②共生社会論に据えている。 ①においては、世界をネイション単位で認識しようとする観念自体を研究対象とし、現代社会におけるその生成・維持・変容に対して、学校教育をはじめとする人間の社会的行為がいかに関与しているのかを理解することを目的としている。

②においては、ナショナリズム・エスニシティ、ジェンダー、身体、世代、階級・階層の相違をめぐる社会的葛藤・対立の分析と、社会的共生のための理路と資源の探索を行っている。

早稲田大学第一文学部・同大学大学院文学研究科社会学専攻・ニューヨーク市立大学クイーンズ校大学院応用社会学専攻で、社会学・教育社会学を学ぶ。博士(文学)。早稲田大学助手、日本学術振興会特別研究員を経て、2005年に筑波大学教員。そのほか東京大学・上智大学・大阪大学・名古屋大学などでも社会学・教育社会学を講じてきた。2018年より早稲田大学教員。

主著:
『教育社会学』(共編著)ミネルヴァ書房、2018年.
『共生の社会学――ナショナリズム、ケア、世代、社会意識』(共編著)太郎次郎社エディタス、2016年.
『「ゆとり」批判はどうつくられたのか──世代論を解きほぐす』(共著)太郎次郎社エディタス、2014年.
『共生社会とナショナルヒストリー――歴史教科書の視点から』勁草書房、2013年.
『共生と希望の教育学』(共編著)筑波大学出版会、2011年.
『国民史の変貌――日米歴史教科書とグローバル時代のナショナリズム』日本評論社、2001年(第1回日本教育社会学会奨励賞[著書の部]受賞).

 

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