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“移民”の視点から掘り下げる、現代アメリカ文学の多様性【文学分野】都甲幸治教授

“移民”の視点から掘り下げる、現代アメリカ文学の多様性【文学分野】都甲幸治教授
Posted
Mon, 27 Apr 2026

 

研究と翻訳を往還しながら、歩んできたキャリア

専門分野は現代アメリカ文学です。特に1980年代から今日に至る作家・作品を対象にしています。

学生時代の私は、文学やアートから哲学のような理論まで、多岐に関心があって、したがって進学先もいろいろ模索していました。そうした中で出会ったのが、アメリカ文学の翻訳者でもある柴田元幸先生の授業です。内容が刺激的だった上、ディスカッション形式の授業での発言を評価してくれたことを、今でも覚えています。高校時代からJ・D・サリンジャーをはじめとするアメリカの文学やロックなどのポップカルチャーに親しんでいた私は、どこかアメリカ現代文学に相性の良さを感じたのでしょう。

ただし、すぐに研究者の道を進んだわけではありません。大学院修了後しばらくは、フリーの翻訳家として活動しました。ほとんど稼ぎにならない中で、あまり文学の専門的なトレーニングを受けなかったという反省が生じ、再び修士課程に入り直しました。翻訳だけでなく、研究や教育にも軸足を置けば、生活を安定させながら文章や翻訳の力も深められると考えたのです。

そこからは、朝から晩までトレーニング漬けの日々でした。語学力を上げるトレーニングはもちろん、作品や論文を読み、書き、ディスカッションをしてフィードバックを受ける訓練を、日本で3年間ほど続けました。さらにその後、アメリカ・南カリフォルニア大学の英文科大学院へ留学して、ここでも3年間トレーニングを積みました。

南カリフォルニア大学の環境は、それまでの視界を大きく拡げるものでした。師事した一人である、ベトナム人のヴィエト・タン・ウェン先生は、創作もしながら英文科で教えていました。授業の内容も、作品から文学理論まで幅広い。しかも彼は私より年下です。また、クラスは創作コースと研究者養成コースに分かれておらず、小説家と大学教員、両方の志望者が混在していました。クラスメイトの出身地もアフリカやアジアなど多様で、アメリカで自作の出版を志す人も多かったです。

帰国後、早稲田大学に着任した私は、翻訳と研究の両軸で活動をスタートしました。以後、書評、エッセイ、講演会、中高生向けの解説書など、幅広い分野でお声がけいただいて、活動の幅が広がりました。今までの雑多な関心や様々な人との出会いが、こうしたキャリアに影響しているのかもしれません。

 

 

外国人としての体験が与えた、移民文学への視座

最近では、日系アメリカ人の文学作品にも関心を拡げています。少し前まで、スタイリッシュだと思われていた作家は、ポール・オースターやドン・デリーロなどの白人男性が多かった。一方で、移民などマイノリティの作家たちは、苦しい境遇を描くリアリズム的作品を担っていました。しかし近年、スタイリッシュなマイノリティ文学が増えています。背景には先述したような、多様な学生が大学で創作を学べるという環境があるのかもしれません。

たとえば日系アメリカ人のジュリー・オオツカは、そうした作家の一人です。『スイマーズ』という作品では、アメリカ社会で忘れ去られていく日系人の歴史が、母親の認知症と重ねて描かれるのですが、その文体と構成には、独特の魅力があります。

また、過去の日系人作家の作品も読んでいます。ミルトン・ムラヤマというハワイの作家の『俺が欲しいのは自分の体だけ』は、ハワイのサトウキビ農場で働く日系二世の青年たちが、地獄のような日々から抜け出そうとする話です。本書は作者が日本語訳を禁止しているのですが、そのことはハワイの日系人と日本人との間に未だ断絶があることを示しているのかもしれません。

移民文学に関心を抱いたきっかけは、南カリフォルニア大学時代です。留学から間もなく9.11同時多発テロが起こり、イスラム教徒や移民を迫害する動きが拡大して、外国人である自分には居心地の悪い状況が続きました。一方でキャンパスに目を向けると、ナイジェリア出身のクラスメイトは政権批判をして母国で投獄された経験を語っていた。ヴィエト・タン・ウェン先生も、ベトナム戦争末期に5歳で家族と故郷を脱出し、サンフランシスコ近郊の収容所でしばらく生きた人でした。リアリティに満ちた彼らの話が、私の関心を引き寄せたのです。

また、自分自身が留学生という形で移民を体験したことも大きいです。もしアメリカの白人として生まれていたら、英語力やアメリカ文化の知識ももっと豊富だっただろうし、もっと良い大学にも入れたかもしれない。「なぜ日本で生まれたのだろう」という自己否定を、当時は感じることが多かったです。しかし徐々に、「もし白人のエリートとしてずっとアメリカで過ごしていたら見えなかったこともある」と考えるようにもなりました。さらに久々に帰国してみると、今度は日本の感覚とずれてしまっていて、どこにいても、しっくりこない自分に気づきました。

あとで移民文学を読んだ時、かつて自分が感じたような自己嫌悪や葛藤に再会しました。こうした作品を紹介することに意義を感じるのは、アメリカでの一連の体験があったからだと思います。

 

 

文学的感覚を共有する、対話空間の重要性

海外文学の研究者としては常に考えてきたのは、「文学作品をいかに読めば楽しめるか」を日本の読者に伝えることの大切さです。私にとって文学の体験とは、他者の精神的な世界に入り込める3D映画のようなものです。実はこうした感覚を掴むのはなかなか難しい。特に言語や歴史、文化の異なる海外文学には、日本の読者は隔たりを感じてしまいます。

さらに文学系の学生は、掴んだ何かを、論文や翻訳などで表現しなければなりません。そこには、論理的思考をする力や情報収集をする力、加えて感情などの見えない部分を察知する力の全てが必要です。こうすればいい、というあらかじめ出来合いの方法論を提示するのは難しい。だから学生には、読み方のコツを一つ一つ指導していくしかありません。けれども、そのプロセスに教員としてのやりがいを感じています。

同じ作品を読み、様々な人々とそれを巡ってじっくり時間をかけて対話するのは大切なことです。対話を重ねることを通じて双方に変化が生じる。そうやって徐々に文学的な感覚も掴めてきます。そうした対話の場所をつくることに、今後も注力していきたいです。

 

早稲田大学文学学術院教授
都甲 幸治(とこう・こうじ)

専門は現代アメリカ文学。
1969年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。早稲田大学専任講師、文学部准教授を経て、2012年より現職。翻訳家としても活動する。主な著書に、『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)、『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)、『狂喜の読み屋』(共和国)、『読んで、訳して、語り合う。――都甲幸治対談集』(立東舎)など。主な訳書に、ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(共訳、新潮社)、同『こうしてお前は彼女にフラれる』(共訳、新潮社)、ドン・デリーロ『天使エスメラルダ』(共訳、新潮社)、同『ポイント・オメガ』(水声社)など。

(2026年4月作成)