荒井洋樹(大阪大谷大学教育学部 講師)
私が日本語日本文学コースを志望した理由(研究者を志した理由)
もともと和歌に関心があり、高校の時に調べた結果、専門を和歌としていたのが兼築先生だけだったこともあって、大学進学後、先生の研究会に押しかけたのがきっかけ(今にして思えば当たり前で、通常、古典文学の専門分野は時代で示し、和歌と書く方が珍しい)。
日本語日本文学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流
日本語日本文学コースは所帯が大きく、全体が一堂に会する機会は年に二度ほどしかないため、コースの雰囲気どうこうというより、指導教授のカラーが強く影響する。兼築先生は細かな点についてはあまり触れることなく、自由な研究を推奨していた。窮屈な環境を嫌う私としても、たいへんありがたい環境であったと思う。自身の研究が、上代和歌や散文作品、さらには日本史学といった周辺領域とも関わるものであったので、それぞれの分野の専門教員の配置があり、直接指導していただいたのはありがたかった。また、私の学年は博士課程に進学したものが多く、よく同期で集まって近況を語りつつ盃を交わしたことも忘れがたい。
日本語日本文学コースで学んだこと
兼築先生は常に和歌と向き合うことにこだわっていた。学位論文の中核を占める延喜六年内裏月次屏風に関する論攷も一首の和歌から出発して、それをどう位置づけるかを追求しており、私自身の研究も明らかにその影響を受けている。和歌を精密に読むスキルは自分一人で身につけられるものではなく、先生のご指導のたまものだと思っている。
研究にかけた思い
博士課程二年の時に、博論の中核となる論の口頭発表を行った折、ある先生から私信で「史的背景が大きいほどに和歌史的意義は限定される。まずは考察を」と指摘されたことがある。はたして「和歌史的意義」なるものはアプリオリに存在するものなのだろうか。もし存在するのであれば、九世紀の国風暗黒時代など到来しようはずもないのである。和歌に不動の価値があると信じられるようになったのはいつなのか。それは十世紀にほかならない。では、どのようにして和歌はその地位を確立し得たのか。これが私の研究の根本的問題意識である。ここに関して学位論文までで一定の見通しを示すことができたと思う。今後、学位論文で積み残した課題に取り組みつつ、周辺領域に視野を広げながら、さらに追求してゆきたいと考えている。
修了後、博士後期課程での生活を振り返って
学位論文をまとめ終え、次のステップに進みつつあるが、やはり在学中に深めた専門分野から大きく離れたものは構想できておらず、学んだことの恩恵を感じるとともに、学ばなかったことについても思い返すことがある。もちろん、在学中にそう選んだからであり、それ以外にはないのだが、違う道もあったのではないかとふと思うことがある。
大学院生の時間は有限であり、教員免許を取得するか否か、非常勤として中高の教壇に立つか否かも悩ましいところだが、なるべく現場で経験を積んだ方がよいと思う。私の場合、教育学部の出身ということもあるが、兼築先生の紹介もあり、修士一年次から非常勤講師として教壇に立ち、博士課程修了時点で八年の教歴を有していたことが、現在のポストに直結している。
プロフィール
神奈川県横浜市出身。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、文学研究科日本語日本文学コースへ進学。在学中は紀貫之を中心に十世紀和歌の研究を行った。修士論文の題目は「紀貫之論」、博士論文の題目は「紀貫之と屏風歌の展開」。博士後期課程を経て、現在大阪大谷大学教育学部専任講師、同大学院文学研究科兼担。博士(文学)早稲田大学。第53回窪田空穂賞受賞。
(2022年1月作成)