Graduate School of Letters, Arts and Sciences早稲田大学 大学院文学研究科

News

ニュース

私の「アルマ・マータ」(演劇映像学コース:ノルドストロム ヨハンさん)

ノルドストロム ヨハン(都留文科大学文学部 講師)

 

私が演劇映像学コースを志望した理由

ストックホルム大学の修士論文では山中貞雄論を書き、その後は日本で博士課程に進み映画研究を続けたいと考えていました。そんな時ポルデノーネ無声映画祭で、世界的な映画研究者である小松弘先生と知り合い、演劇映像学コースへの進学の扉が開かれました。

海外でも早稲田大学大学院演劇映像学コースの日本映画研究の歴史と業績は知られており、演劇博物館には豊富な資料が揃っています。ですから、日本映画の研究を志す者には最高の環境だと思いました。

演劇映像学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流

当時、早稲田大学演劇博物館は文部科学省のグローバルCOEプログラムの教育研究拠点に選ばれており私も博士論文を書きながら研究員を務めました。全国から若手研究者が集まって積極的に国際会議に参加したり論文を発表しており、切磋琢磨するその雰囲気に感動しながら、私も研究に邁進しました。また、そこに関わった演劇映像学コースの先生方が背中を押してくれて、NYのコロンビア大学に研究に行くこともできました。

先生方は教室の中に限らず親身に指導してくださり、学生は皆、いい師弟関係を築いていたと思います。外国人として、日本の大学の理想的な在り方を知ることができました。

研究にかけた思い

私が研究している1920〜30年代は日本の映画産業が飛躍的に発展し、人々の娯楽の中心となった時代です。大量生産による経済と消費社会において、映画は既存の伝統や価値を覆し「モダニティー」の形成に役立ちました。

特に無声映画からトーキー(発声)映画への移行は、映画史における重要な出来事です。これによって、映画のスタイル・美学・ジャンル・制作方法などが大きく展開していったのです。

中でもトーキー映画スタジオP.C.L.(のちに東宝に発展する)の作品群は大衆文化の流行と密接につながり、この時代の人々のモダンな生き方や娯楽を映し出していました。これは私にとって非常に興味深く、博士論文のテーマとなりました。

現在は国内外で論文集を出したり、NY近代美術館(MoMA)やボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)にキュレーターとして参加し、日本の初期トーキー映画や歴史的な作品を紹介したりするなど、映像文化を通して日本と西洋の架け橋となれる様に活動しています。

修了後、博士後期課程での生活を振り返って

早稲田大学大学院演劇映像学コースは私が研究者として成熟するために理想的な環境であったと思います。先生方の的確な指導やコミュニケーション、大学の設備や貴重な資料。研究者同士のネットワークも得ることができました。同期の仲間やサークルの早大バーベルで過ごした時間も、かけがえのないものとして思い出されます。

早稲田大学は私のアルマ・マータ(愛すべき母校)です。

プロフィール

ストックホルム(スウェーデン王国)出身。ストックホルム大学院文学研究科修士 程(日本学科)卒業後、早稲田大学大学院文学研究科演劇映像学コース博士後期課程に進学。在学中は日本の初期トーキー映画と1930年代の映画産業をテーマに研究。博士論文の題目は「「トーキーはP・C・L」―映画製作所P・C・L を再考する―」。修了後は日本学術振興会外国人特別研究員(明治学院大学)を経て、現在は都留文科大学文学部国際教育学科専任講師。早稲田大学文学部演劇映像コース非常勤講師、早稲田大学文化構想学部国際日本文化論プログラム非常勤講師も務める。

(2022年3月作成)

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/flas/glas/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる