菅野素子(鶴見大学文学部 准教授)
私が英文学コースを志望した理由(研究者を志した理由)
理由は2つあります。まず、卒業論文を書いた後、もう少し研究を続けたいと思ったためです。卒論を書いてはみたものの、疑問や分からないことばかりが残ってしまったのです。ふたつ目は、新しいことに挑戦してみたかったからです。私は第二文学部に3年次編入しているのですが、編入時には一般企業で働いていました。大学卒業後に勤め人生活に戻るのは何ともやるせなく、働きながら大学院で研究を続けてみようと思いました。
英文学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流
同じコースの学生は、研究仲間です。研究分野やゼミが異なっても、院生ラウンジで会えば研究の話や世間話で盛り上がりました。年齢が少々上でも、院生仲間として気兼ねなく接してもらえました。少しずつ、早稲田が母校と思えるようになりました。
修士課程のゼミは穏やかで和気藹々とした雰囲気のもと、丁寧に作品を読むことを学びました。ご指導くださった井内雄四郎先生はとにかく褒めてくださる先生で、「菅野さんらしく研究しなさい」と迷ってばかりの私の前に松明を灯してくださいました。博士後期課程では博士論文を書き、研究者として独り立ちすることを目指しますので、雰囲気にもお互いに切磋琢磨する厳しさが加わりました。私は研究と仕事の切り替えに苦労し、ご指導くださった藤本陽子先生の意にかなうような研究成果も挙げられなかったのですが、先生はジリジリしながら我慢して見守ってくださったのだと思います。ゼミ生が中心となって、早稲田大学で開催された日本カナダ学会第31回年次研究大会(2006年)のお手伝いをしたことが良い思い出です。
研究にかけた思い
修士課程での研究テーマは「カズオ・イシグロと日本」です。日系英国人作家イシグロの描く「日本」のギャップに惹かれました。作品には、生まれ故郷長崎への郷愁が色濃く滲んでおり、被爆やアーティストの戦争協力といった作家の問題意識が明らかに読み取れる。それなのに、作品の中の「日本」は西洋から見たステレオタイプな日本の記号で溢れている。どうしてこのような描き方をするのだろうと、気になりました。
私がこの課題に取り組んでいた1990年代後半は、イシグロは英国人作家なのだからいつまでも日本との関係を詮索するのは野暮であるというような雰囲気がありました。その一方で、イシグロは『わたしたちが孤児だったころ』で英国・上海(中国)・日本の三国間関係を軸にしたような小説を発表しました。また、2000年にはイシグロ小説における「日本」に正面から向き合おうとする研究書(Barry Lewis著Kazuo Ishiguro.)が刊行されました。イシグロの日本的な部分に関心のある研究者がいるのに驚きました。そこで、もう少し「イシグロと日本」をテーマにした研究を続けて、日本語で入手可能な資料の情報を英語で発表することに意味があるのではないかと考え始めました。この研究テーマはこの後、国際学会での研究発表や研究書の刊行へと発展していきました。その一例が、2020年に刊行された『カズオ・イシグロと日本』(水声社)という研究書です。
修士課程で始めた研究は点でした。その点が別の点と結びついて線となり、研究フィールドとして広がってゆくのを実感しています。
修了後、博士後期課程での生活を振り返って
現在、私は大学で教えています。大学院での学びを生かし、かつ経済的にも安定した仕事に就けたことは幸運でした。正直なところ、大学院に進学する時には英語を教える非常勤の仕事に就けたら本望、と思っていました。
ただ、今は大学院の時ほど研究する時間がありません。毎日の仕事に忙しく、研究は贅沢なのかな、と思うこともしばしば。また、学術的な正直さというのでしょうか。ダメなものはダメとゼミで揉まれる経験がいかに贅沢で貴重な時間であったかを痛感します。
早稲田大学文学研究科で学んでよかったと思うのは、研究者のネットワークです。学会や研究会に出かけると、顔見知りに出会います。また、就職先に稲門の先輩や同僚がいると、安心できます。大勢の方に助けていただいて、今の自分があると感謝しています。
プロフィール
神奈川県出身。早稲田大学第二文学部英文学専修卒業後、早稲田大学大学院文学研究科英文学コースに進学。修士在学中は日系英国人作家カズオ・イシグロの作品における日本的なメージをテーマに研究。修士論文の題目は「カズオ・イシグロと日本」。博士後期課程では戦後の英国小説と移動の経験をテーマに研究した。修了後は非常勤講師を経て、現在は鶴見大学文学部英語英米文学科にてイギリス文学および英語科目を担当。
(2022年2月作成)