石碩(法政大学経済学部 准教授)
私が中国語中国文学コースを志望した理由
生まれは中国黒龍江省の斉斉哈尓(チチハル)市で、六歳の時に来日しました。幼い頃に中国語で暗記した漢詩のリズムや世界観が好きで、国語の授業で漢詩を扱うたび、わくわくしていました。
早稲田大学に進学後、漢詩について学びを深めたいと思い、学部2年次に中文コースを選択。「語文双修」(言語も文学・文化も修める)、「古今兼学」(過去も現在も学ぶ)というコースの基本方針のもと、個性豊かな教授陣による多彩な授業を受ける中で、この環境で学び続けたいと思い、大学院への進学を決めました。
中国語中国文学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流
大学院文学研究科中国語中国文学コースには、古典から当代、語学まで幅広い専門を志す院生が在籍しています。自分の専門分野外の授業や勉強会にも積極的に参加するよう推奨されており、そのおかげで広い視野を持つことができました。学会発表の予行演習をする際には、分野を超えて先輩たちが意見を出してくれるなど、とても刺激ある空間でした。
また、少人数なのでみんな仲が良く、コース室に集まってお菓子を食べながらおしゃべりするのも楽しみの一つでした。隣の東洋史学コース・東洋哲学コースの院生や、他大学の院生が大学院の授業に参加することもあり、知識の幅を広げることができました。
研究にかけた思い
中国古典詩の最盛期は唐代です。これに先駆けて、六朝期(3~6世紀末)には詩の形式や語彙・主題などが整えられ、後の唐代の李白や杜甫、白居易らに大きな影響を与えます。六朝詩と唐詩の影響関係、そして中国古典詩の受容と展開の特異性を探ることが私の研究テーマです。大学院在学中は、南斉時代の謝朓(464~499)という人物に焦点を当てて、彼の詩文が誕生し、盛唐の李白に発見され、評価されていく経緯について研究を行いました。
謝朓は、文学史的に見ても重要な功績を残した詩人ですが、実は200年ほど後の李白に愛好されたことで、その後の評価がぐっと高まります。文学には、それを評価し、広めてくれる理解者が不可欠なのです。特に古典詩の場合、どんなに優れていても、理解者がいなければ、歴史に埋もれてしまうこともあります。同時に、その理解者が、もとの文学に対する後世の見方を決定づける側面もあります。いま私たちが目にしている古典文学が、どのような経緯で受容されてきたのか、丁寧に読み解く必要があります。
現在は、李白の影響力に着眼し、中国古典詩史の形成について研究しています。
大学院の思い出
国語の教科書で扱う文学は、有名どころばかりです。俳句で言えば、松尾芭蕉の「古池や」、漢詩で言えば、孟浩然の「春眠暁を覚えず」や杜甫の「国破れて山河在り」など。私たちはこれらを「優れた」文学作品として学ぶわけですが、一体誰が「優れている」と決めたのでしょうか。唐代の詩は、清代に『全唐詩』としてまとめられ、おおよそ五万首が収録されています。良い詩とそうでない詩の違いは何か。どんな作品が後世まで受け継がれていくのか。かつて国語の授業の時に漠然と抱いた疑問が、私の後の研究テーマにも繋がっていきます。
大学院に入ってすぐの頃、コースの助手さんにその疑問を投げかけたところ、それなら唐詩五万首を全部読んでみて判断しようと言って、勉強会を開いてくれました。すべてを読むことはできませんでしたが、疑問を解決するために、地道な努力をする習慣が身についたと思います。
現在教鞭を執っている大学では、中国研究をテーマとするゼミを開講していますが、学生には、自分が抱いた疑問は、それがどんなに小さなものでも放置せず、丁寧に調査を進めることの大切さを伝えるようにしています。
プロフィール
中華人民共和国出身。2009年早稲田大学第一文学部卒業、11年同大学大学院文学研究科修士課程修了、17年同研究科博士課程修了。博士(文学)。14年~17年早稲田大学文学学術院中国語中国文学コース助手、18年より法政大学経済学部准教授。著書に『謝朓詩の研究―その受容と展開』(単著)、『朱熹絶句全訳注』(共著)等。