板口典弘(慶應義塾大学文学部 助教)
私が研究者(大学教員)になった理由
早稲田大学第一文学部時代に“認知神経心理学”,そして恩師である福澤一吉先生に出会いました。認知神経心理学は,脳損傷症状をもとに,こころ(あるいは行動)のメカニズムを探る学問分野です。学部~大学院を通して,福澤先生には学問の面白さだけでなく,正しく議論をする方法を学びました。この“議論の方法”を知ると,論文に書いてある研究者の主張の“構造”が整然と見えてくるのです。修士課程1年の春ごろにこの関係を初めて理解した瞬間からは,文字通り世界が違って見えています(目が悪くなった可能性もあります)。そんなスキルを身につけた私ですので,それまで以上に研究が面白くなってしまい,紆余曲折もなく,多少の努力と大きな運によって無事大学教員のポストを得ることができました。教員になった理由は,研究ができることも重要ですが,まとまった休みが取れるし,授業がなければ何時に大学に行ってもいいし,行かなくてもいいし,給料は悪くないし(とても高いわけでもない)…と,挙げればキリがありません。さらに,未来の研究者を育てられるという,研究と同じくらい楽しいチャレンジが可能なのも魅力です。
心理学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流
心理学コースの大学院生は基本的には常識的で真面目な人間が多く,いわゆる“文学部の大学院生”というイメージとは程遠いかかもしれません。コースの雰囲気はその時にいる学生やポスドクに大きく依存するため,昔話をしても仕方ないですが,とても楽しく過ごすことができました。教員・学生との交流という点については,特に博士後期課程に進んだ後には,多くの先生方と,ゼミを超えてとても仲良く研究の話を(多量のアルコールとともに)させていただきました。他ゼミの先生とは特に,酒の席くらいでしか長くお話しすることはないため,(忘れたことも多いですが)貴重で学びの多い経験でした。また,私は現在慶應義塾大学で教育・研究を進めていますが,これから古巣の心理学コースとつながりを深めて,お互いに刺激的な研究環境にしていけたらと企んでいます。
研究にかけた思い
「卒論では大学内,修論では国内,博論では世界で一番そのテーマに詳しくないといけない」という,アカデミアではそこそこ有名な目標があります。実現は困難ですが,私も一応そういう目標を真に受けて頑張っていました。研究は楽しむべきですが趣味ではいけません。でもその厳しさがあるからこそ,世界で誰も知らないことを自分の手で示すことができますし,学生という身分であっても世界の研究者とフラットに議論することができます。その頃も今もですが,人生常に下り坂,歳とるほど頑張れなくなる,と思いながら毎日を過ごしていました。研究に心は捧げなくていいと思います。でも少なくとも大学院時代には時間をフルに捧げないと,研究の基礎は確立できないのではないかと思います。
修了後、博士後期課程での生活を振り返って
私は,手先位置の位置知覚メカニズムを運動制御理論から考える,といった内容で修論や博論を執筆しました。現在も同様に,計算論的運動制御を背景にして,身体・運動・認知の相互作用に関する基礎研究,およびその知見の臨床応用(リハビリや定量的検査の開発)に携わっています。早稲田の心理学コースでの経験の何がそこに繋がるかと考えても,あまり思いつきません。ただし逆に考えると,どのような研究アプローチも受け入れてくれるような寛容さがあったのではないかと想像します。近年,研究者を目指す学生や若手研究者を取り巻く環境のネガティブな側面ばかり取り上げられますが,そこまで悲惨な状況ではありません。これには生存者バイアスがかかっていることも確かですが,少なくとも現在の心理学コースの先生方はどなたも信頼できる先生ですし,大学や国の機関からの金銭的なサポートもあります。また,心理学コースは博士号取得までの道筋も明確です。心理学で博士号を取得した後には,アカデミアだけでなく,企業就職の道も多く存在します。将来の不安は尽きることはないでしょうが,少しでも研究を続けたいと思う方は是非進学を検討してみてください。
プロフィール
千葉県出身。早稲田大学第一文学部心理学コース卒業後,文学研究科心理学コースに進学。在学中は身体の位置感覚や,運動学習などをテーマに研究。修士論文の題目は「筋のばね特性を考慮した位置知覚モデルの検討」。修了後は同大学院博士後期課程(2013年博士(文学)取得),早稲田大学文学学術院助手,日本学術振興会特別研究員PD(札幌医科大学保健医療学部,慶應義塾大学理工学部),静岡大学情報学部助教を経て,2021年4月から慶應義塾大学文学部にて助教。
2022年2月24日作成