われ、レオナルド ダ・ヴィンチとのありえない対話
ESSERE LEONARDO DA VINCI: UN’INTERVISTA IMPOSSIBILE
演出・主演:マッシミリアーノ・フィナッツェル・フローリ Massimiliano Finazzer Flory
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(公演説明)『われ、レオナルド ダ・ヴィンチとのありえない対話』は、俳優で演出家のマッシミリアーノ・フィナッツェル・フローリが、万能の人ダ・ヴィンチを取り上げ、演劇や美術、コンテンポラリーダンスを融合した作品です。フローリ扮するダ・ヴィンチが、さまざまな質問に答える形でストーリーが展開します。チェロの音色に誘われて現れたダ・ヴィンチ。どんな子どもだったのか? “良き画家”になるには? 絵画と科学の関係は? などと対話が始まります。そして話題は解剖学や心理学、「最後の晩餐」、宗教にも及びます。使われているのは当時の言葉で、『絵画論』をはじめ、ダ・ヴィンチの著作が多く引用されます。本作は、2012年ロンドンで、レオナルド・ダ・ヴィンチ展開催を機に初演されました。昨年のミラノ国際博覧会期間中にも上演されました。
演出・主演:マッシミリアーノ・フィナッツェル・フローリ 音楽:三上 由里子 上演時間:70分
(マッシミリアーノ・フィナッツェル・フローリ Massimiliano Finazzer Flory 俳優、劇作家、演出家。ミラノ、ニューヨークに在住。 1964年モンファルコーネ(ゴリツィア県)生まれ。2005年、「ウェルギリウスとの旅」で舞台俳優としてデビュー。同年、ミラノ・ピッコロ座で初演された「リルケのもうひとつの旅」にも出演する。自分で作品を書き、演出も手がける。それらの作品では、つねに文学、哲学、美術、音楽を巧みに融合させている。2007年、アストル・ピアソラの音楽を使った「ボルヘスの鏡」を演出、主演。ジュネーブ、パリ、マドリッド、ブエノスアイレスで上演している。2010年には、「グスタフ・マーラーの時間」で、スポレートの“二つの世界フェスティバル”に初参加。イタリア統一150周年にあたり、アレッサンドロ・マンゾーニ作の「婚約者」を制作し、ニューヨークのリンカーンセンターを皮切りに、世界各地で公演した。アメリカではその後、「ピノッキオ 操り人形の物語」や「未来派の夕べ」が上演され、批評家、観客から高い評価を受ける。2014年8月には「未来派の夕べ」が映画化された。ニューヨークで全編撮影された「ニューヨークのマリネッティ」というこの長編映画は、アメリカにおけるイタリアの未来派の歴史を描いている。
三上 由里子 Yuriko Mikami 東京芸術大学附属音楽高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部を卒業。在学中、弦楽部門最優秀者に贈られる安宅賞を受賞、第58回日本音楽コンクール、第2回日本室内楽コンクールで入選。その後、パリのエコール・ノルマル音楽院に留学し、首席で卒業。1997年にミラノに移り、オーケストラ・カンテッリに入団。2003年にオスロ・オペラハウスの首席チェロオーディションで認められ、数々のプログラムに参加。以降、ミラノ、北南米でソリスト活動。
本公演はすでに以下の都市で上演され、好評を博しました。
ニューヨーク(モルガン・ライブラリー)、ワシントン(ジョン・F.ケネディ・センター)、サンフランシスコ(アメリカン・コンサーバトリー・シアター) サンクトペテルブルク(エルミタージュ劇場)、モスクワ(ストラストノイ通り劇場) パリ(プティ・パレ) ヴェネツィア(フェニーチェ劇場)、ミラノ(国立科学技術博物館)、トリノ(王宮図書館) ジュネーヴ(CERN ザ・グローブ)
早稲田小劇場どらま館 1960年代に鈴木忠志、別役実らが創設した劇団「早稲田小劇場」の常打ち小屋であった劇団と同名の早稲田小劇場、後の「早稲田銅鑼魔館」が老朽化のため取り壊された後、2015年に再建された劇場である。早稲田大学の学生演劇の活動拠点として、また、次代を担う演劇人の育成の場として広く利用されている。
会場へのアクセス、施設案内等はホームページを参照 http://www.waseda.jp/student/dramakan/index.html