School of Education早稲田大学 教育学部

【地理歴史専修】「学びの基盤」と「大学という非日常」について

科目情報

  • 科目名 :歴史学概論Ⅰ
  • 科目区分:1年必修
  • 専門分野:鈴木千尋 (社会科地理歴史専修)

大学で歴史を学ぶ事は、何を意味するのか。

大門正克教授の「歴史学概論」は、大学における「学びの基盤」を提示する講義であったように思う。歴史的事象は「厳然たる事実の羅列」ではなく、むしろ可変的な存在であるという事。そして、現在を相対化する手掛かりになり得る一種の「手段」であるという事を、実感する事ができた。講義を受ける度に、私は薄皮の様に自身を取り囲んでいる幾重もの「思い込み」を認知させられた。私達は「現代」という一時代の「常識」の色眼鏡で歪められた世界に生きている。歴史学の出発点は、目の前に広がっている世界を、不変では無いと自覚する事にある様に思う。一年の最初に受けるこの講義によって、今後四年間「歴史」という学問に向き合う心構えや覚悟を得られたと感じている。

講義は、私達が当然の前提として受け入れている制度や環境が、歴史的に作られた存在であるという事を提示する所から始まり、一つの事象に対する複数の視点を明らかにしていくという内容であった。所与であると思い込んでいた身近な前提の全てが、歴史的プロセスを踏んで形成された概念であると理解する過程は刺激的で、学びとは、物事を多角的に認知する事によって、今まで平面で捉えていた現象を立体的に解釈する事なのではないか、と何か大きな存在の一端を垣間見た様な気分になった。特に興味深かったのは、犯罪や刑罰を、現代人のなかに刻印されている歴史性であると説く講義であった。善悪や、悪事への当然の対応としての罰則を疑わなかった私にとって、その講義はまさにコペルニクス的転換ともいうべき衝撃をもたらした。己が無意識に身に着けていた思い込みを自覚する事は、新鮮な驚きや新たな世界が開ける興奮を与えてくれる一方、認識の甘かった過去の自分の浅はかさを突き付けられる行為でもある。それは辛い作業ではあるが、だからこそ歴史を学ぶ意義があるのだと思う。

『<歴>として存在しながら<史>となり得なかった人々の生を求め、かれらの生を確認することが、かれらへの敬意と愛のかたちであると思う』これは、歴史学概論の春学期最後の講義で紹介された一文である。歴史を学ぶという事が、過去の人々への優しさであると肌で感じる事が出来たこの講義は、今でも学びの基盤として私の中で生きている。

受験生の皆さんへ:非日常が日常になる空間で、四年間を過ごすという事。

大学、という言葉を聞いた時に何を思い浮かべますか? 私が受験生の時に思い描いていたのは、漠然とした「なんだか面白そうな場所」というイメージでした。入学して一年半、その印象は概ね正しかった様に思います。入学式で、大学生活を「非日常が日常になる四年間」と形容した教授の言葉通り、子供でも大人でもない宙ぶらりんの「大学生」として生活を送る事によって、高校までの日常とは異なった新しい世界を知る事が出来ました。例えば先述した歴史に対する意識もその一つです。また、学問に限らず、今まで小さなコミュニティーで共有されていた「普通」が通じない様々な背景を持つ学生との出会いも、新しい発見でした。大学という非日常は、固定観念を自覚させる場である様に思います。自らが無意識に身に着けていた偏見を自覚する行為は、知らない世界を切り開いていく様な面白さがあります。

コロナ禍の混乱の中、ただでさえ大変な受験勉強がさらに大きな負担となっている事と思います。辛い時に無理をする事はせず、自身の体調と相談しながら、愚直に一歩一歩を積み重ねていけば、きっと望んだ結果に辿り着く事が出来ると思います。ささやかながら、受験生の方々の健闘をお祈りしております。

 

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/fedu/edu/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる