「野性味こそが早稲田らしさ」 フリーアナウンサー 吉田照美さん

CAMPUS NOW 新緑号(2015年)通号215号

第二世紀へのメッセージ

個性を尊重し、野性味あふれる人材の創出を。

吉田照美さん1アナウンサーとして活躍し、個性的かつ奇抜なラジオ番組を手がける中で、放送界の一層の発展・隆盛に大きく寄与してきた吉田さん。早稲田大学での印象深いエピソードの数々を通じて、本学に期待することを伺いました。

激動の中で、他人に流されないことの大切さを学ぶ

―早稲田での印象深いエピソードについて教えてください。

早稲田では、教員や学生の多彩な個性に触れる機会が多く、その中で自身の考えやスタイルを持つ大切さを学びました。当時は学生運動がまだ続いていて、過激派の学生が授業を妨害することが珍しくなかった時代です。ヘルメットにマスク姿でゲバルト棒を携えて押し入ってくる彼らに対し、印象的だったのが、フランス語の石井先生の対応でした。「ナンセンス!」と叫びながら入ってきた過激派の学生に対して、おとなしそうな風貌の石井先生は「そう思っているのは君だけで、他のみんなは授業をやりたいんだ」と言うのです。これには過激派の学生もすごすごと出ていかざるを得ない。そういう先生の毅然とした姿を見て、他人の考え方に流されないことの大切さを実感しました。

目標を見据え、挫折と克服の繰り返し

―アナウンサーを目指したきっかけは何ですか。

きっかけは、早稲田のアナウンス研究会に入部したことです。といっても当初は対人恐怖症の克服が目的で、アナウンサーになろうとは考えていませんでした。

入部して気付いたのは、問題を解決するには自分から努力しなければダメだということです。

私の人生を振り返ると、まず障害にぶつかり、試行錯誤をしながらそれを克服すると、また次の障害が現れて…というパターンの繰り返し。それでも諦めずに立ち向かい続けることができたのは、このときの気付きが大きいように思います。

最初の挫折を味わったのは、初めての夏合宿のときでした。原稿の読み上げと3分間のフリートークをする、1、2年生対象のアナウンスコンテストがあり、順調にフリートークする同学年の仲間の中で、私だけが絶句状態。ただただ屈辱で「何とかしなくては」という思いに駆られ、当時4年生でニッポン放送に採用が決まっていた先輩に相談しました。そして、紹介してもらったアナウンサーの専門学校に通うことを決意。忸じくじ怩たる思いのもと、周囲に黙って通い続けたのですが、ここで積んだ自己PRの訓練が対人恐怖症の克服につながりました。

アナウンサーを目指す転機となったのは、2年生の頃、卒業したサークルの先輩がラジオ番組で活躍する様子を耳にしたことでした。しかし、当時の私の実力は低く、テープレコーダーで録音した自分の声の暗さに自らショックを受ける有様。このときも「なんとかしなくては」という一心で、いろいろな番組を参考に、小島一慶さんなどプロのしゃべり方をまねすることから始めました。話し方が明るくなるにつれ、周りから性格が明るくなったと言われるようになりました。日常会話にも変化が起き、コミュニケーション力も向上させることができたのです。

吉田照美さん2「やりたいようにやろう」
試行錯誤の日々と思い切り

―アナウンサーとして活躍する中で、早稲田での経験が役に立ったことはありますか。

自分なりのスタイルで試行錯誤を続ける姿勢は、仕事をする上でとても重要でした。

やっとの思いでアナウンサーとして文化放送に就職したのもつかの間、私はなかなか活躍の場が見出せず、深夜番組を担当したいという夢も言い出せないまま、時間だけが過ぎていきました。「3年でモノにならなかったら異動」というプレッシャーに打ちのめされる中、日の目を見たのは最初の1年が終わりかけていた頃でした。好きだった相撲の支度部屋リポートを任されたのです。ところが、朝稽古から土俵に上がるまでを取材する中で、社交性の低い私はベテラン力士の皆さんに相手にしてもらえません。それでもネタは持ち帰らなければならないので、他局のリポーターがインタビューするのを後ろでこっそり聞き、自分なりに面白おかしくアレンジして伝えるなどの工夫を常に心がけました。

局の中でも存在感を出せるようになってきた頃、平日夕方の生放送番組の外中継コーナー『夕焼けトピッカー』でリポーターを担当。電車の中でいきなりみそ汁を食べ始めて乗客の様子をうかがうなど、奇抜な企画を試みた結果、徐々に人気が出て、念願の深夜放送『セイ!ヤング』のパーソナリティーに抜擢されました。ところが、その裏番組が、当時大人気だった『タモリのオールナイトニッポン』だと知り、また愕然。しかし「どうせ誰も聴いていないだろうから、自分のやりたいことをやろう」と開き直り、一層思い切った企画を展開しました。中でも東大の合格発表日に受験生を装って胴上げをする企画は、実際の合格発表風景としてニュースで報道されたこともあり、大いに話題になりました。次第にリスナーも増え、番組自体が深夜放送の新しいモデルケースとなるなど、期待以上の成功を成し遂げられました。この番組はもちろん、どんなに苦しい状況でも「何とかしなければ」と41年間挑戦することができたのは、早稲田での経験があったからこそだと思います。これからも自分の目指す理想のアナウンサーを目指して、できる限り続けていきたいですね。

野性味を大切にして積極的に活動してほしい

―本学と、本学の学生に期待することは何ですか。

私は「野性味」こそが早稲田らしさだと思います。私たちの学生時代に比べて今の社会は窮屈で、学生は言いたいことを言っていない印象があります。しかし、均一化された個性だけでは新しいものが生まれませんし、社会も面白くなくなってしまいます。ぜひ早稲田大学には多様な個性を認め、応援する風土を維持していただきたいと思います。学生の皆さんには、野性味あふれる活動を期待しています。その結果、多様なジャンルの面白い人が早稲田から出てくるとうれしいです。

フリーアナウンサー吉田照美さん

1951年東京都生まれ。1974年早稲田大学政治経済学部卒業後、アナウンサーとして文化放送に入社。深夜ラジオのパーソナリティーを務め、『セイ!ヤング』、『吉田照美のてるてるワイド』をはじめとした数多くの人気番組を世に送り出す。1985年3月に退社後はフリーアナウンサーに転身し、テレビにも進出。『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)、『11PM』(日本テレビ)、『ぴったし カン・カン』(TBS)など、人気番組の司会を務めた。主な著書に『吉田式 グングン会話術』(藝神出版社)、『ラジオマン 1974 – 2013私のラジオデイズ』(ぴあ)など。

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