顕彰状 木村興治氏

顕彰状

木村興治氏は、1940年12月11日に秋田県秋田市に生まれた。県立秋田高校で知性を磨き、卓球への熱情を持ち続け、1959年早稲田大学に入学、卓球部の門をたたいた。入学後、全国の精鋭が集う関東で競い合い、毎日の弛まざる猛特訓の成果が見事に結実し、1961・1964年には全日本選手権シングルス優勝、さらに1961年世界卓球選手権北京大会では男子ダブルスで優勝を遂げた。隔年開催の世界大会では、1963年、1965年と連続して混合ダブルスで世界チャンピオンを獲得した。また、1967年開催の世界大会においては、男子監督兼選手として団体優勝に導くなどの卓抜な成果をあげ、長年にわたって国民に大きな感動と勇気と誇りを与え続けた。

会社生活を続けながら、選手・指導者として活躍した後、日本、アジア、世界の卓球組織の理事として、卓球の国際化に向けた活動を積極的に展開し、五輪種目採用に多大な寄与をした。

木村興治氏は、国際卓球ルールの変更においても、国内外で様々なリサーチをもとに、科学的実験や多くのテストマッチを実施した結果を総括し、最終的な方向づけを決定する総会での議論を牽引、多大な貢献を果たした。すなわち、2000年、ボールの直径を従来の38mmから40mmに変更するという卓球界史上初のダイナミックなルール変更、2001年、卓球競技の1ゲームの総ポイント数を21点から11点への変更、2002年、サービスルールの大幅改正などである。これらのルール改正は、卓球競技が五輪種目として更なる発展を目指す方向性の延長線上にあった。その一方で、木村興治氏は、「人体に有害な有機溶剤を含む接着剤の全面使用禁止」規定制定および「水溶性接着剤の開発」を強力に進め、揮発性有害物質を含まない水溶性接着剤の開発をメーカーに要請し、成功させた。この試みは、健康で明るく生涯にわたって実施できるスポーツとして、卓球が世界各国で行われるようになったことにつながり、全スポーツ種目中、陸上競技に次ぎ、世界連盟加盟国数の多い競技となっている。近年の世界卓球界の発展および競技ルールの変更および改善に関する氏の功績は誠に大きく、絶賛に値するものである。現在は、公益財団法人日本卓球協会副会長、国際卓球連盟執行副会長として、世界の卓球の発展策を考え、積極的に行動している。

2014年に東京で開催予定の世界大会では、組織委員会が設立されているが、木村興治氏は組織委員会委員長に就任し、東日本大震災後の日本の復興に対する世界各国の支援への感謝の気持ちを込め、大会に招待する被災地の少年少女卓球選手と大会参加選手との交流イベントを計画するなど、日本のお家芸「卓球」の復活を目指して獅子奮迅の働きを見せている。

本学においても、長きにわたり体育局およびオープン教育センターで教鞭をとり、後進の育成に尽力し多くの人材を輩出するとともに、本学のスポーツ振興に多大な功績を残した。

ここに早稲田大学は、卓球界、および早稲田大学に対する永年にわたる多大なる功績と献身に対して、木村興治氏を早稲田大学スポーツ功労者として表彰し、その名誉を永く讃えるものである。

2013年4月1日

早稲田大学

以上

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