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ひとつの細胞の発熱を測る? 計算と実験との間の矛盾と、その解決案

早稲田大学重点領域研究機構 鈴木団(すずきまどか)主任研究員(研究院准教授)、理工学術院 石渡信一(いしわたしんいち)教授(先進理工学部物理学科、早稲田大学バイオサイエンスシンガポール研究所長)らの研究チームは、単一細胞からの熱産生計測に関する研究分野で世界的な研究課題となっている、「105ギャップ問題」を解決するための具体的方策を提示しました。

ヒトの体温調節にも重要な細胞の発熱について、一つの細胞の中で温度を測る研究が進められています。「105(10の5乗、または五桁)ギャップ問題」とは、単一細胞の計測から報告されている値(実験値)が、熱伝導方程式から期待される細胞の温度上昇(計算値)より桁が5つ(105)大きく、実験値と計算値に五桁のギャップがあることから、そう呼ばれてきました。

今回、研究チームは、細胞の発熱量を議論する際、細胞の種類、刺激の有無・種類について検討すること(1桁)、温度上昇を計測する際、熱源からの距離を加味すること(1から2桁)、細胞内の熱特性が解明されること(1から2桁)により、「105ギャップ問題」は消失しうると結論しました。この推測の真偽を確かめることは、今後、細胞熱産生計測分野における主要な課題になることでしょう。

本研究は「温度」という身近なパラメータを、細胞を対象とする全く新しい視点で見直します。ヒトをはじめとする生物・医学研究に幅広く影響するような、生理的に重要な成果に結びつくことが期待されます。今回の研究成果は、英国Nature Publishing Groupの科学雑誌『Nature Methods』に、8月28日16時(現地時間)に掲載されました。

 掲載論文:The 105 gap issue between calculation and measurement in single-cell thermometry
一細胞温度計測における計算と実験の五桁ギャップ問題
Madoka Suzuki, Vadim Zeeb, Satoshi Arai, Kotaro Oyama & Shin’ichi Ishiwata

ひとつの細胞の発熱を測る?

―計算と実験との間の矛盾と、その解決案―

(1)これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)

細胞の中の温度は一様だろうか?

地球上の生物は、環境へ適応するために体内で熱を生み出し、利用するよう進化しました。数兆から数十兆個の細胞からつくられる私たちほ乳類や鳥は、細胞が発熱することで、体温を暖かく保つことができます。この体温調節は私たちが生活するうえではとても重要で、たった1,2℃の体温の変化が大きな不快感や病態につながります。食事によるエネルギー摂取と熱産生とのバランスが崩れると、肥満という現代病に結びつきます。

一方で、この発熱するという能力を、これらの生物に限ってしまうこともまた、生物の実際を反映していません。魚類では深海魚のアカマンボウが、深海で周囲の水温よりも体温を高く保っていることがつい先日、米科学誌『Science』で報告されたばかりです[Wegner et al., Science 2015]。またサトイモ科の植物ザゼンソウでは、外気温が氷点下であっても肉穂花序の温度を約20℃前後に維持できます。

 個体レベルで見られる動植物の温度変化は、もとをたどれば細胞レベル、さらにはタンパク質レベルで発生した熱によるものです。たとえば上記ザゼンソウの発熱メカニズムについては、岩手大学農学部附属寒冷バイオフロンティア研究センター(現所属;宮崎大学)の稲葉(伊東)靖子研究員らが詳細に解析し、ミトコンドリアとの強い相関について2009年に報告しています[Ito-Inaba et al., J. Exp. Bot. 2009]。

「熱(温度)」は、生物の大きさによらず、タンパク質、細胞から個体まで、生物の階層構造をまたいで共通に働く物理量です。ミクロなスケールで作られた熱が、生物個体というマクロなスケールの体温、いわば生命のインフラ整備に利用されているのです。一つの物理量がスケールを超え、生物がこの特性を積極的に活用しているところが、この研究の面白さであると私たちは考えています。生物、すなわち細胞における熱の流れの正確な理解は、ヒトを含む生物のより深い理解に通じると私たちは期待しています。

 現在、生物による発熱の分子メカニズムと物理的背景の解明に向け、一細胞が生み出す熱の計測について、技術の新規開発をはじめとする多くの研究が物理、化学、生物学の多方面から進められており、世界的な研究課題の一つとなっています。私たちの研究についても、過去に研究成果を発信し、うち二報はプレスリリースしてきました [Suzuki et al., Biophys. J. 2007; Oyama et al., Lab Chip 2012; Takei et al., ACS Nano 2014; Arai et al., Sci. Rep. 2014]。また大阪大学、京都大学、東京大学、東北大学などをはじめとした、日本発の研究が報告されています。これらは全て、様々な条件下で、水中にある細胞の内部では、周囲よりも約1℃高い部分があることを報告しています。

 実験結果と理論計算との間の大きな矛盾

水中に、細胞と同じくらいの大きさの水の塊(水風船)を考えます。そこからの発熱量が0.1 nW(ナノワット=10-9ワット)とすると、周りの水よりも水風船全体の温度を1℃だけ上げるのは、ほぼ不可能です。それは、生じた熱が水風船の周りにある水へ素早く逃げることに起因しています。これを私たちを含む複数のグループが、計算と実験値に五桁のギャップがあることから「105(10の5乗、または五桁)ギャップ問題」と呼んで議論を進めていました。つまり、マイクロカロリメトリーにより得られる一般的な細胞の発熱量にもとづき、細胞を均一な熱伝導率の水と仮定して、熱伝導方程式

温度上昇=発熱量/熱伝導率/熱源と温度計との距離

を用いて期待される温度上昇を計算すると、これが単一細胞の計測から報告されている値より桁が5つ(105)小さいというものです。Baffouらは昨年、このような議論を展開し、単一細胞からの熱産生を計測する近年の全ての研究に対して疑義を唱えるコメンタリーを発表しました[Baffou et al., Nat. Methods 2014]。

 細胞からの熱産生を計測する従来の報告では、光学顕微鏡と蛍光色素を組み合わせて光を使うものや、カンチレバーや熱電対といった微細加工技術を使うものまで、それぞれが異なる技術を利用しています。上で述べた計算は完全に正しく、原理が全く異なる技術で測られた数字のすべてが誤りなのでしょうか。私たちが自身の論文でもたびたび議論してきたように、この自己矛盾的な問いに答えることは、この分野で研究を進める研究者にとって共通の課題となっています。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

最新の研究成果をもとに一つ一つの要素を見直すと、既に報告された数値を用いるだけでも、数桁のギャップが解消されていることが分かりました。またBaffouらも認めるように、細胞を「水と同じ」とみなすのは現実的ではない、ということも考慮すると、五桁のギャップ全てが解消されうることが説明できました(図、およびSuzuki et al., Nat. Methods 2015)。

 20150901

 (3)今回の研究で得られた結果及び知見

私たちは、刺激を受けた細胞からの発熱量(1桁)、熱源からの距離(1から2桁)、細胞内の熱特性(1から2桁)が解明されたとき、「105ギャップ問題」は消失しうると結論しました[Suzuki et al., Nat. Methods 2015]。この真偽を確かめることが、本分野における主要な実験課題の一つになると予想しています。

まず、細胞の発熱量について調べると、実験の条件や細胞の種類によって、値に大きなばらつきがありました。例えば、特に小型の齧歯類で発達し、最近ではヒトでも重要な生理的機能を担っていることが明らかとなった「褐色脂肪細胞」という名の、発熱で知られる細胞があります。この褐色脂肪細胞では、一細胞あたりの発熱量は1.6 nWまたはそれ以上の値が報告されています。つまり、想定している値(0.1 nW)よりも一桁大きな値が見出されていました。さらに、細胞を薬剤などで刺激した場合には細胞の活動状況が変わり、内部での発熱量も大きく変化する可能性があると考えられます。そこで細胞の発熱量を議論するときには、細胞の種類と、刺激の有無、刺激の種類について分けて考える必要があります。以上のことから、実験の条件によっては105のギャップのうち一桁ほどが解消されうると考えられます。しかし、これでギャップ全てが埋まるわけではありません。

次に温度計測の場所について、次のように考察を進めました。

計測される温度上昇は、熱源から温度計までの距離によっても変わります。細胞の全体が暖まる必要はありません。細胞用に開発された温度計の多くは非常に小さく、そのような温度計を用いて温度変化を検出するには、小さな温度計の周りの水だけが温まれば十分です。実際に、細胞内で温度計の位置がばらばらだと、一細胞内で計測される温度上昇は少なからず広くばらつくことを、私たち[Takei et al., ACS Nano 2014]を含む複数のグループが報告していました。そこで私たちは以前に、細胞内で主要な熱源と考えられる細胞内小器官に局在する温度プローブを新しく開発し、この仮説を検証しました。そしてこの開発により、細胞内で温度を測る位置を厳密に制御すると、このような温度のばらつきが見られなくなることを示していました[Arai et al., Sci. Rep. 2014]。以上の考察から、細胞内で、温度を測る位置を上手く操作できれば、細胞内の熱源の種類や量を見つけることができ、ギャップがさらに一桁から二桁は埋まることが考えられる、と結論しました。

続いて、ミクロな熱の伝わり方について、私たちは次のとおり詳しく考察しました。

Baffouらも比喩的に「『細胞の中のように』複雑な系」と呼ぶとおり、細胞の中は、水風船とは全く異なる複雑な構造をしています。熱源となる細胞内小器官それ自身が多重の膜構造を持っています。さらにこれらと細胞膜との間には、他の膜構造や水溶性タンパク質が密集して存在します。細胞内には物質の流れもあり、全てがナノスケールの熱的境界が、細胞内には文字通り無数に詰め込まれています。これらは均質な水に比べて高い熱抵抗を持つ境界として考えることができ、そこを通過する熱により作られる温度勾配は、「水と同じ」という単純なモデルで得られる値から外れます。このような、ミクロ・ナノスケールの多重な境界が存在する液体中での熱伝導には、不明な点が多く残されています。

以上の考察から、私たちは、細胞の中の熱的な性質は水とは違う可能性があり、その解決は、今後の重要な実験課題の一つになることを指摘しました。

 ところでBaffouらは、細胞より一回り小さい水風船を想定しても、その温度を周りの水よりも1℃だけ高く保とうとすると、細胞が持っているグルコースが数秒で消費されてしまうと計算しました。

最後に私たちは、この考察が、細胞がグルコースを継続的に取り込まないという非現実的な状況を仮定していることを指摘しました。実際には、生きている細胞は安静時にも盛んにグルコースを取り込んでいます。しかもBaffouらの計算は、すぐ上で述べたように、巨大な蒸気機関を説明するために18世紀から19世紀に発展した熱力学をその拠り所としています。これは、細胞の中で、ミクロなスケールを伝わる熱の様子を全く無視した議論となっています。そのため、彼らの議論は、実験的に報告される温度の時間変化を否定するには不十分であることを、私たちは指摘しました。

(4)研究の波及効果や社会的影響

生物は環境に適応するように進化し、その中で、環境変化に対応する術も身につけてきました。「温度」という、ある意味では「あたりまえ」のパラメータを、一細胞スケールという全く新しい視点で見直す研究は、生物・医学研究に幅広く影響するような、生理的に重要な発見に結びつくと考えています。

(5)今後の課題

本論説では、一細胞温度に関する「10の5乗ギャップの問題」の解決可能性について論じました。しかし、これを裏付ける補助的な報告があるだけで、直接的な証拠はまだありません。今後、これら予測される点について実験的に計測し、五桁のギャップが埋まるかどうかを明らかにすることが、“一細胞熱力学”という新しい生命科学分野の将来を決める、重要な研究テーマになるだろうと考えられます。

(6)引用文献

  • Arai, S., Lee, S.-C., Zhai, D., Suzuki, M. and Chang, Y. T., Sci. Rep., 4, 6701 (2014)
  • Baffou, G., Rigneault, H., Marguet, D. and Jullien, L. Nat. Methods 11, 899-901 (2014)
  • Ito-Inaba, Y., M. Sato, H. Masuko, Y. Hida, K. Toyooka, M. Watanabe and T. Inaba, J. Exp. Bot. 60, 3909-3922 (2009)
  • Oyama, K., Takabayashi, M., Takei, Y., Arai, S., Takeoka, S., Ishiwata, S. and Suzuki, M., Lab Chip, 12, 1591–1593 (2012)
  • Suzuki, M., Tseeb, V., Oyama, K. and Ishiwata, S., Biophys. J., 92, L46-48 (2007)
  • Suzuki, M., Zeeb, V., Arai, S., Oyama, K. and Ishiwata, S., Nat. Methods, 12, 802-803 (2015)
  • Takei, Y., Arai, S., Murata, A., Takabayashi, M., Oyama, K., Ishiwata, S., Takeoka S. and Suzuki, M., ACS Nano, 8, 198–206 (2014)
  • Wegner, N. C., Snodgrass, O. E., Dewar H. and Hyde, J. R., Science, 348, 786–789 (2015)

※本研究は、早稲田大学とロシア科学アカデミーとの国際共著論文です。

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