2021年度卒業設計 稲門建築会賞
上野台地では海岸線であった頃の古墳や貝塚が多く発見されており、古代から物資の交換や人々の交流が盛んに行われていたことが分かる。さらに、江戸時代には江戸城の東北の鬼門として上野台地南端に寛永寺が位置し、現在の中央通り付近は門前町として栄え、台地の下には多くの商人や職人が集まった。その後、明治政府の構想によって、内国勧業博覧会を皮切りに多くの美術館・博物館が誕生した。このように上野台地は常に文化の中心であり、近代以降上野の美術館群は文化の継承や普及、教育などの役割を担ってきたと言える。しかし、現在の上野の美術館では西洋文化の発信や大型企画展ばかりが行われ、上野が育んできた文化の発信がおざなりになっている様に感じる。下町にあたる上野台地周辺には、江戸時代から続く伝統工芸の技術が今も受け継がれている。工芸品そのものはもちろん、工芸品の材料や道具、作業工程は上野の地域特性や歴史と密接に結びついており、保存すべき重要な文化である。そこで本計画では、上野台地の縁に建つ現在の上野の森美術館の敷地に、伝統工芸品の美術館を計画する。上野の美術館群を取り巻くハイカルチャーとアメ横に代表される下町のローカルチャーを繋ぐ都市型の美術館として、上野台地への新たなアクセスを提供し、市民に魅力的な体験をもたらすような建築を目指す。