小野梓は、大隈重信をたすけて早稲田大学の前身である東京専門学校の創設にもっとも心血を注いだ一人である。ゆえに大隈重信と小野梓は本学建学の父・母に並び称される。東京専門学校が創立された1882年当時、我が国唯一の高等教育機関であった東京大学では、お雇い外国人教師による西洋の書物・言語を用いた教授が主流であった。また日本は、旧幕府が欧米諸国と締結した不平等条約の改正を急務としている時代であった。小野梓は、東京専門学校の開校式の祝辞の中で、次のように述べている。
すなわち、「一国の独立」をまっとうする方途は、つまるところ「学問の独立」を措いてないと言うのである。
こうして、「学問の独立」を唱える小野梓は、日本語による専門学術の教授を力説した。小野梓は、東京専門学校創立後、わずか3年余で、その後の学園の隆盛を見ることなく、33歳の若さで亡くなった。しかし、小野梓の唱えた「学問の独立」は、1913年の創立30周年式典に際して宣明された「早稲田大学教旨」に明記され、今日に至るまで脈々と承け継がれて早稲田大学の根本精神となっている。
こうした小野梓の功績を顕彰し、建学の精神を顕揚することを目的に、1958年に小野梓記念賞が制定され、学術、芸術、スポーツの三部門において、特に抜群の成果を上げ、学生の模範と認められる者に対してこの賞が贈られることになった。
さらに1994年度より、三賞の選考範疇には属さないが、小野梓記念賞を授けるに値すると認められる成果、業績をあげた学生に対して特別賞が贈られている。
メダルは、中央に小野梓先生を象徴する像がギリシャ風に浮彫りされ、縁にラテン語でVASEDA VNIVERSITAS・PALMA IN MEMORIAM AZVSA ONO(早稲田大学小野梓記念賞)と刻まれている。デザインは、早稲田大学名誉教授今井兼次先生が考案され、日展審査員で東京教育大学教授木村珪二先生が彫刻されたものである。
1966年度の受賞者から授与されており、2007年度より、早稲田大学創立125周年記念に準じて、従来より大きくしメダルの重さを125グラムとした。原寸は直径5.5㎝、厚さ約5㎜の純銀製で金メッキを施したものである。