自己紹介
「西のかた陽関を出づれば故人無からん」
これは唐の最盛期、玄宗皇帝の時代に活躍した王維の詩「元二の安西に使ひするを送る」の結句です。長安(現在の陝西省西安)から西に遠く離れた陽関(甘粛省)。その陽関を出てしまえば古くからの友人などいないのだからと詠うことで旅立つものへの離別の情を示すこの詩に、中学生だった私は深い感銘を覚えました。
このような中国の古典文学、特に唐代とその次の宋代の詩文が私の主な研究対象です。とはいえ、最初から中国文学を志望していたわけではありません。高校生の頃、そして早稲田大学第一文学部に入学してしばらくは、軸を日本におき、そこに見られる中国の文学や思想の影響を考えるつもりでした。しかし、松浦友久先生が担当されていた唐詩についての1年生向けの演習授業を通して、中国の古典詩文を鑑賞するだけでなく、詩語や主題、韻律などを分析し、研究する楽しさに触れたことで、中国文学を学ぼうと思うに至ります。

四川省成都市の杜甫草堂。学部1年生だった1998年末、杜甫がまさに仮寓した場所に立ったことに感動しました。
こうして学部、大学院を通して、唐代の詩を中心とした中国古典文学を学び、研究してきました。さらに、大学院を終えて最初の赴任地であった沖縄で、琉球王国期に作られた漢詩文に出会います。そこには中国古典詩文の影響だけでなく、日本の和歌や琉球独自の文藝である琉歌との関係も見出されます。この琉球漢詩文との出会いを契機に東アジアの漢文学全体へも改めて関心を拡げています。

沖縄県うるま市伊計島の伊計グスク。琉球の漢文学者である蔡大鼎が唐の王勃や李白の詩を踏まえた七言絶句を詠んでいます。
私の専門分野、ここが面白い!
私の主な研究対象の一つが、中国古典詩文における創作、継承、再創作の展開です。
たとえば、上で名前を挙げた王維は長安の東南に「輞川荘」という園林(荘園や庭園に相当します)を構えていました。この地で作られた連作が現在、王維の代表作とされる『輞川集』であり、夏目漱石も『草枕』でそのなかの「竹里館」を引用するなど、東アジアでも広く受容されています。しかし、この『輞川集』は最初から誰もが知る著名な作品だったわけではなかったようです。詩歌である『輞川集』が王維の代表作、あるいは唐詩の名作となるまでには、同じく王維によって描かれた絵画「輞川図」、また詩と画の舞台としての園林「輞川荘」が大きく関わっています。そして、輞川をめぐって詩歌・園林・絵画が融合した結果、宋代以降、そのことを踏まえた詩文が新たに創作されました。
このように中国と東アジアの古典詩文における創作、継承、再創作の問題を考えるにあたっては、直接的な研究対象である詩や文を分析するだけでなく、歴史や思想などの関連文献、絵画などをも調査する必要があります。また実際に作品が創作された場所に赴き、その情況を把握することも重要です。実際、現地に立つことで、文献を読むだけではよくわからなかった風景などが明らかになった経験は何度もあります。

陝西省西安市の青龍寺。空海が学んだ寺としても有名。王維は弟の王縉と別れた後、この寺を訪れています。
この東南約50kmに輞川荘がありました。
中国では膨大な数の詩文が創作されました。それは東アジアにも広く波及し、各地で多くの漢詩文が作られました。したがって、それらの作品で詠われた場所もまた数多く存在します。皆さんもそのような詩文が作る豊かな森を味わい、時には自ら尋ね、そして考えてみませんか。
プロフィール
こんの たつや。1979年生まれ、埼玉県出身。早稲田大学第一文学部中国文学専修卒業、同大学院文学研究科中国文学専攻修士課程修了、同大学院文学研究科中国語・中国文学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。琉球大学法文学部講師・准教授、神戸市外国語大学外国語学部准教授・教授を経て、2024年4月より現職。単著に『王維『輞川集』の研究―詩歌・園林・繪畫の融合―』(研文出版、2024年)、『蔡大鼎漢詩精選集 漏刻楼集・欽思堂詩文集』(うるま市教育委員会、2015年)。共著に『杜甫全詩訳注(四)』(講談社、2016年)、『中国詩跡事典―漢詩の歌枕―』(研文出版、2015年)など。
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