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早稲田キャンパスに眠る謎
‐『Museum Week』のクイズから‐

文化推進学生アドバイザー/大学院文学研究科修士1年 福森慎太朗

なぜ、今回のキーワードは、『宝泉寺と水稲荷神社』、『高田富士』なのでしょうか?

『Museum Week』はいかがでしたか。私たち文化推進学生アドバイザーは、今回の「ミュージアムワードパズル」「ワセダベアをさがせ!inミュージアム」のキーワード(答え)を『宝泉寺と水稲荷神社』、『高田富士』として、クイズを作成しました。なぜ、これらの答えにしたのか。その思いを含めて小話をご紹介いたします。

キャンパスの風景

早稲田キャンパスを正門から眺めると、大隈銅像が聳え立ち、両サイドには1号館、2号館、3号館と様々な校舎が建ち並んでいます。このエリアでは、早稲田祭、サークルの新歓活動、応援部やMuseum Weekのイベントなどが開催され、人通りも多く、さながら早稲田大学のメインストリートのようです。早稲田キャンパスに限らず、戸山キャンパス、西早稲田キャンパス、所沢、東伏見キャンパスに通学するみなさんにも自分が学ぶキャンパスの印象的な風景があるのではないでしょうか。

正門から大隈銅像を撮影。2024年6月午前中。

1962年にタイムスリップ

ここで昔の早稲田キャンパスにタイムスリップしてみましょう。昭和37年(1962年)に撮影された写真をご覧ください。今とは異なる光景が広がっています。

『早稲田大学80周年の歩み』より(早稲田大学校友会・昭和37年)。

早稲田キャンパスに野球場が!

青のエリアに安部球場、赤のエリアに高田富士などがあった。『早稲田大学創立80周年』より

青のエリアに安部球場、赤のエリアに高田富士などがあった。

はじめに、写真の左上のあたり、現在の中央図書館の場所(青い丸のエリア)に、広いグラウンドが見えています。こちらは当時の「安部球場*1」です。
安部球場には観客席もあり、野球部の練習や試合を自由に見ることができたそうです。時には、地域の方々が空き時間に草野球を楽しみ、当時のワセメシ店には野球部の選手たちも足繁く通っていて、街をあげて野球部を応援したという話を聞きます。また中央図書館と北門をつなぐ道路が「グランド坂通り」という地名から、野球場があった名残が感じられます。今も総合学術情報センター(中央図書館)の門をくぐると右手に、安部磯雄、飛田穂洲の胸像があります。東京六大学野球や大学選手権で優勝した野球部は、安部先生、飛田先生への報告式を行います。ここは、早稲田大学野球部の聖地なのです。

左から、飛田穂洲胸像、安部磯雄胸像。戸塚球場・安部球場の碑には、西原春夫元総長の言葉が書かれている。

*1 安部球場は、明治35年(1902年)、初代野球部長安部磯雄らの尽力により戸塚球場として開設され、日本初の始球式、日本初のナイトゲームが開催されるなど、大学野球の歴史と共に歩んできた野球場です。第二次大戦時は、『最後の早慶戦』の悲しい舞台ともなりました。 昭和24年(1949年)に安部球場と改称されました。全学運動会など大学行事、保健体育科目も行われました。その後、創立100周年記念事業の総合学術情報センター建設に伴い、昭和62年(1987年)、野球部の本拠地は東伏見キャンパスに移転しました。安部磯雄は、初代野球部長として野球部創設に関わり、野球部の米国遠征を実現させたり、また庭球部長でもありました。早稲田スポーツ、大学スポーツを大きく推進した人物です。また、飛田穂洲は『一球入魂』という名言を残しました。二人の功績は、早稲田スポーツミュージアムで詳しく紹介しています。

早稲田キャンパスに山が!

つづいて、写真中央(赤い丸のエリア)をご覧ください。何やら盛り上がっています。これは何でしょう?これが『高田富士』です。ここで歴史を紐解いていきましょう。その昔、江戸時代には「富士山」が信仰の対象として崇められていました。しかし、富士山を登頂するのは簡単ではありません。信仰の一環として人工的に富士山に模した形で山をつくり、信仰の拠点にしていました。このような築山を富士塚と言い、登れば、富士山に登ったのと同じご利益があるとされていました。現在も同様の富士塚が都内にいくつか点在しています。
『高田富士』は、安永8年(1779年)、日行青山(高田藤四郎)が築造した江戸時代最古の富士塚であり、都内でも最大級のものとして賑わっていたとのこと。まだ、早稲田大学も東京専門学校もない江戸時代にも、ここは多くの人々が集まる土地だったのです。早稲田キャンパス第三西門の先に富士塚跡が残されていますが、残念ながら、現在工事エリア内にあるため見ることができません。
『早稲田大学百年史』にこのような記述があります。「穴八幡と道路を隔てて反対側に水稲荷神社があり、境内に民間信仰として知られていた『富士講』の高田富士が祀られていたが、三十七年(1962年)に学苑の法商研究室棟建設用地取得のために学苑の甘泉園の一部との敷地交換の契約が成り、翌年七月に移転の遷座式を行っている。」というものです。昭和37年(1962年)当時、早稲田大学と『水稲荷神社』が土地交換を行い、同時に『高田富士』と共に大切に移設されました。今から約60年前まで、現在の早稲田キャンパスのエリアに水稲荷神社と高田富士が存在していたことが分かります。

「高田富士 1909年(明治42年)・早稲田大学歴史館所蔵」。よく見ると、岩に腰かけて、休んでいる人がいる。

「高田富士」 明治42年(1909年)・早稲田大学歴史館所蔵。よく見ると、岩に腰かけて、休んでいる人がいる。

早稲田キャンパスと宝泉寺

高田富士の右側のエリアは、現在の8号館があるところだと思われます。ここにも『宝泉寺』の墓地が広がっていました。この墓地も土地交換の時にご移設いただいたのです。大隈銅像のすぐ側にかつて墓地が存在していたとは、今の早稲田キャンパスの光景からは想像することは難しいかもしれません。
このように、昭和38年(1963年)、早稲田大学は、宝泉寺および水稲荷神社にご協力いただき土地交換を行って、現在の早稲田キャンパスの形へと近づいていきました。なお、高田富士を築造した日行青山(高田藤四郎)のお墓は、現在も『宝泉寺』にあり、この早稲田の地に眠っています。

早大南門通りでおなじみの「宝泉寺」。「W」の勝ち守りは2名の金メダリストも持っている。
5月3日には「富突会」・「毘沙門天王写し絵ご開帳」を開催。

変わりゆく光景

早稲田大学の周辺には、多くの寺と神社があります。令和の現在でも、『宝泉寺』は早稲田キャンパスの隣にあり早大南門通りからすぐに入ることができますから、訪ねた方もいらっしゃるでしょう。さて、『水稲荷神社』を参拝されたことはありますか?変わりゆく光景とともに早稲田大学との関係性を見つけにくくなっているのですが…。

水稲荷神社は、今どこへ?

水稲荷神社は、天慶4年(941年)現在工事中の早稲田キャンパス9号館のあたりに建立されました。『高田稲荷』とも呼ばれ、『江戸名所図会』にも描かれています。元禄15年(1702年)、大椋の下に、霊水が湧き出し、眼病に効能があると江戸で評判になりました。大隈重信も足繫く礼拝し、社務所建設や宮神輿に多大な寄付をされたとのこと。昭和38年(1963年)、水稲荷神社は早稲田大学と土地交換を行なって、現在の住所(西早稲田3丁目)に遷座されました。鳥居の前には早稲田大学の文字があり、また、かつて早稲田キャンパス内東門付近にあった高木神社も遷座するなど、早稲田大学とは深い縁があります。
現在の水稲荷神社は、19号館の前に道路を挟んで位置し、新目白通り沿いの緑豊かな甘泉園公園にも隣接していますので、早稲田キャンパスから近いおススメの癒しスポットです。大切に移設された『高田富士』は現在も整備されており、「高田富士まつり(海の日とその前日に開催)」では年に1度、高田富士を登頂することができます。

「江戸名所図会」の「高田」の図。1846年、国立国会図書館デジタルライブラリー。

「江戸名所図会」の「高田」の図。1846年、国立国会図書館デジタルライブラリー。

未来へとつながるキャンパスの風景

早稲田大学は、東京専門学校として創立以来、街とともに発展し、歴史を刻んできました。現在、早稲田キャンパスでは9号館の建設が着々と進んでいます。また、キャンパス周辺でも大きなマンション建設や建て替えも散見され、私たちの眼前に広がるキャンパスや街の風景も音を立てて変わっていきます。早稲田で学び生活する私たちにとって、今、周りに広がるこの風景や街の人々との出会いは、実にかけがえのない宝物です。早稲田大学やワセダの街、早稲田文化を大切に見つめていきたいと思います。

「早稲田大学全景(航空写真)」、1932年(昭和7年)・歴史館。右側に大隈講堂。中央左には、演劇博物館。そのさらに左上に、戸塚球場。

「早稲田大学全景(航空写真)」、昭和7年(1932年)・早稲田大学歴史館所蔵。右側に大隈講堂。中央左には、演劇博物館。そのさらに左上に、戸塚球場。

早稲田大学のミュージアム・文化施設

早稲田大学や早稲田文化をもっと知りたいと思った方は、早稲田大学のミュージアム・文化施設をぜひご利用ください。
早稲田大学歴史館
早稲田スポーツミュージアム
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
會津八一記念博物館・125記念室
国際文学館(村上春樹ライブラリー)
本庄早稲田の杜ミュージアム

参考URL

宝泉寺
水稲荷神社
『Vol.7「宝泉寺」-早稲田を一番近くで見守るお寺-』(早稲田文化 2021年記事)

問い合わせ

早稲田大学文化推進部文化企画課
E-mail: [email protected]

Museum Week 2024-予想外が待っている―

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