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2006年度受贈資料展 ―資料が織りなす125年の物語―

flier9早稲田大学には毎年、大学の歴史を物語る多くの資料が寄贈されています。これらの多くは、従来知られていない貴重な新出資料であるといってよいでしょう。本展示会では、2006年度中新たに寄贈された資料を中心に、大隈重信・大隈家にかかわる資料、実業之日本社の創設者増田義一(東京専門学校邦語政治科卒)関係文書の他、戦前期の早稲田とその学生生活を伝える多くの資料をご紹介いたします。

詳細

日時 2007年 6月8日(金)~ 8月5日(日)
会場 早稲田大学 大隈記念タワー10階 125記念展示室
時間 10:00~18:00
閉室 日曜・祝日 ※8月5日(日)は開室いたします。
主催 早稲田大学大学史資料センター
お問い合わせ 03-5286-1814

大隈重信とその家族

左より大隈豊子・熊子・重信・信常・信幸・綾子・光子。撮影場所は旧大隈邸庭園にあった温室内である。

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外国事務局書翰 大隈重信宛

諸外国との交渉結果を知らせるよう依頼する外国事務局よりの書翰。書翰中の「新潟一件」とは、新潟裁判所設置後の治安状況や、新潟開港の時期に関する諸外国公使との交渉と想定される。

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大谷光勝書翰 大隈重信宛

両堂(本堂・大師堂)再建への援助に対して謝礼を述べた書簡。大谷光勝は東本願寺第21代法主で、法名は厳如。東本願寺は1879年(明治12)から1885年(明治28)にかけて本堂・大師堂の造営(再建)している。書翰が書かれた当日、光勝は門徒に対して「御再建御発法主殿御親諭」を発している。

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稲蒔絵重箱(左)

寄贈者の曽祖父戸田熊次郎は大隈重信の政府高官時代より、大隈家料理方を務めた。その後料亭『萬久満』(現中央区銀座8丁目)を開いたが、本重箱は大隈家寄贈の品として、戸田家に伝えられたものである。『萬久満』では重信没後、戦後の信幸氏まで大隈家と関係がなかったが、重箱や収納木箱に古さを残す点からも、本品は重信寄贈であった可能性が高いと考えられる。蒔絵には珍しい稲穂の図柄が用いられている点も、注目に値する。

愛新覚羅溥傑三行書(右)

愛新覚羅溥傑(1907~1994)は清朝最後の皇帝溥儀の弟で、戦前日本に留学、侯爵嵯峨家の浩と結婚した。書家としても著名である。本額の漢詩は、溥傑が来日して「大隈学友」のため作ったもので、「肺腑(心の奥)を傾けんと欲して羞譚(恥じ話)旧く 各おの鬚眉(ひげとまゆ)を指し笑って年を問う」とあり、大隈信幸との親密さが偲ばれる。

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