Waseda Shogekijo Drama-kan Theater早稲田小劇場
どらま館

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【あのとき、私は】OBOGワークショップ編(Guest:奥村徹也)

早稲田小劇場どらま館では、3月2日(水)〜6日(日)にかけて、劇団献身の奥村徹也さんにご提案いただき、早大演劇サークルOBOGの方々を講師に迎えた5つのワークショップを開催します!

『あのとき、私は』は、早稲田大学演劇サークル卒業生に学生時代のお話を伺うインタビュー記事企画です。
今回は、ワークショップ開催にあたり、『あのとき、私は』出張版として、劇団くるめるシアター所属の関口真生さんをインタビュアーに迎え、講師の方々に学生時代やワークショップについてのお話を伺いました。
この記事では、劇団献身主宰・奥村徹也さん(演劇倶楽部出身)へのインタビューをご紹介します!

 

プロフィール

語り手)奥村徹也(おくむらてつや)

早稲田大学文化構想学部2013年卒業。脚本家、演出家、俳優。早稲田大学演劇倶楽部出身。卒業後、1年間のサラリーマン生活を経て、2014年に劇団献身を旗揚げ。2015年には7本の新作を上演するなどハイペースに活動し、着実に動員を伸ばす。2017年からはドラマやアニメなどの映像分野でも活動を開始。2020年、脚本を手がけた映画「アルプススタンドのはしの方」がSNSを中心に話題となり、130館以上で公開。動員も3万人を超えた。

聞き手・文)関口真生(せきぐちまお)

2003年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部1年。劇団くるめるシアター37期。都立総合芸術高校舞台表現科演劇専攻卒。サークルの内外で役者と執筆業を主に活動中。最近の出演歴は青年団若手自主企画vo.87 升味企画『動ける/動けない 言える/言えない』を考えるWS、gekidanU家公演vol.5「TREE」など。気になる団体を公演前にインタビューする企画「演劇団体に突ゲキ!」noteにて随時更新中。行動力と真面目さが取り柄。将来何になるかは分からない。

 

インタビュー

ーー 奥村さん初めまして、本日はよろしくお願いします!

奥村 せっかくなんで色々喋りたいなと思ってますんで、よろしくお願いします。

 

学生会館で過ごした大学生活

ーー 奥村さんが演劇を始めたのは高校の時ですか?大学からですか?

奥村 高校の文化祭で一回やったのが面白くて興味を持ちました。でもこの段階では始めるとかは考えなかったですね。当時は小説家になりたいと思ってたんで、文化構想学部の文芸ジャーナリズム論系に行きたくて早稲田に進学しました。でも成績が悪くて最終的に違うゼミに入ったんですけど(笑)
入学したての4月に「ろりえ」っていう劇団の旗揚げ公演『ヤクザとアリス』がやってまして、それを観て衝撃を受けました。それまで自分の知ってる演劇ってNHKで放送される大きい劇場での公演とか劇団四季とかだったので小劇場の熱に圧倒されて、自分でもやってみたいなと思って、始めました。

 

ーー 他のサークルのお試し稽古には行きましたか?

奥村 行きました行きました。あ、劇研はなんか怖くて行かなかったですね。劇団森が良いのかなって思ってた時にエンクラの公演を観て、エンクラにしようって決めました。厳しいのが嫌な人はくるめるや劇団森に入って、バチバチやりたい人は劇研やエンクラって感じで各サークルでバランスが取れていたように思います。当時のエンクラはスパルタでしたよ。

 

ーー 当時のエンクラは劇研や木霊とバチバチ競うような厳しい劇団だったんですね。

奥村 劇研と同じぐらい厳しいサークルでしたね。
ダンスの時間とかひたすらテンション上がりきらないと終わらないみたいな…今は笑い話です(笑)僕らも「やってやろうじゃん」って燃えてた部分もありました。まあエンクラは新人公演を終えたら自由なので、サークルの中にもいろんな活動の仕方をしている人がいて、そういうところが好きでした。

 

ーー エンクラはサークルに縛られることなく、新人公演の後は自分の色を出していける感じがしますね。

奥村 そうですね。面白かったのが、僕より5個も6個も上のOB 達も学生会館に出入りしてたことです。そこで自然と上の世代とも交流できていて。今はコロナ禍で交流がなくなってるんで、なんか機会を設けられないかなと思い今回の企画を立ち上げました。

 

ーー 昔の方が先輩との縦のつながりが強かったんですかね。

奥村 この2年が特殊なだけだと思います。あとは今の若い方々が上の世代と積極的に関わりたいか分からず、上の世代が遠慮してるのはあると思いますね。

 

ーー 今はエンクラとかは特に先輩方の力を必要としてると思いますよ。

奥村 今のエンクラは単純に人が少ないですし、この2年間で思うように活動できなかった当時の1年代がもう3年代になってしまいましたよね。スタッフワークや役者、脚本の書き方など、今までなんとなく継承してきたものが途絶えるんじゃないかなって思って。もしかしたら今こそ上の世代の力が必要なんじゃないかなって思いました。

 

ーー 本当ですね。機会があって、もっと縦の繋がりが強くなればいいですけどね。奥村さんがエンクラで活動するにあたって「早稲田演劇」っていう他サークルとの広い繋がりはありましたか。

奥村 ありました。劇研と木霊はそれぞれアトリエがあったんで違ったんですけど、学生会館の人たちは結構交流してました。エンクラの公演でも出演者は劇団森やてあとろ、くるめるシアター、慶応の演劇サークルからも呼んだりして。けど、意外と今よりも演劇やってる人自体は少なかったと思います。少人数でずっとやってたので、そういう意味でも仲は良かったです。今はどうなんですか?

 

ーー どうなんでしょう…人数は確かに増えたような気がします。奥村さんって演劇界の中でも顔が広い印象がありますが、その繋がりは学生時代に得たものなんですか?

奥村 大学時代は自分が面白いなって思う人と一緒にいるようにしてたので、その人たちから数珠繋ぎに交流が広がっていきました。あとは暇だったんでよく飲みに行ってました。稽古と飲みにいくのってセットだったんで。

 

ーー 成績が足りなくて行きたい論系に行けなかったとおっしゃっていましたが、演劇に熱中しすぎて学業が…って感じですか。

奥村 そうですね。授業はサボってずっと学生会館にいました。それで一回留年したんですけど。

 

サラリーマン生活で実感したこと

ーー 奥村さんは卒業後も演劇を続けていますが、その前に1年間サラリーマン生活をしたと公式サイトに書いてありました。それはどういう経緯でしたか。

奥村 演劇じゃ食えないんじゃないかなと思っていました。僕より上の世代は楽観的な人が多かったんですよね、続けてる方がすごく多いというか…。でも僕らの世代はバブル崩壊とともに生まれて、大学に入学した頃にリーマンショックが起きてっていう不況しか知らない世代なんで、続けるって選択肢はないように思えました。やっぱり先輩たちを見てても、演劇って食えるようになる人の方が少ないですし、食えても30過ぎてからとか。僕も実際そうでした。それを見て、やっぱり演劇の道は厳しいんだなと。

 

ーー それでも就職後に劇団を立ち上げて演劇を再開したのはどうしてですか。

奥村 演劇が好きだったからですね。ずっと演劇やってたいなって1年働いてても思っちゃって。もう一個は、社会って意外と何度でもやり直せる場所なんだなと知ったからです。
僕は運送会社の総合職で就職したんですけど、ドライバーとかは9割ぐらい中途入社でした。色んなことがあって今ここにいるであろう40歳くらいのその人たちが、家族を養って毎日幸せそうに生きてるのを見て、学生時代じゃ想像できなかったいろんな人生の形があるんだなと気づきました。新卒で就職しないと終わり、みたいなことは全然ないんだなって。それなら30ぐらいまでは好きに生きてみよう、チャレンジしてみようっていう覚悟がそこで決められました。
この経験は自分にとって意外と大きくて。大学卒業してすぐ立ち上げた劇団って、20代後半で解散することが多いんですよ。それって社会に一回も出てなくてすごく焦るからだと思うんですよね。けど、僕は一回社会を覗き見できたから、その焦りはなくなったし、たとえ劇団がうまくいかなかったとしても、自分の幸せの形がいくつもあり得るのを知ったことで楽観的になりました。

 

プロデューサー的視点で立てた目標

ーー 会社員として一度社会に出てみて、それまで想像の産物だった社会をより具体的な自分の生活として確認した上で、改めて演劇をやろうと決意されたんですね。最初は早稲田演劇で知り合った人たちに声をかけていったんですか?

奥村 最初は完全にそうでしたね。30人ぐらい断られたかな。同世代はみんな就職しちゃってるし、割と前途多難でした。そんな中でも、普段社会人やってる人とかサークルの後輩とかに一人ずつ会いに行って、出演してもらってって感じでなんとか旗揚げ公演はできました。

 

ーー 先ほど、20代後半で解散してしまう劇団が多いとおっしゃってましたが、劇団献身がそうならなかった理由は何かありますか?

奥村 「3年後に駅前劇場で動員1000人」っていう目標を設定して、そこまではやろうって決めてました。最初の3年間は全部投資だと思ってやってました。最終的に僕は借金がすごいことになってキャリーバッグ一個になったのであまりおすすめしないですけど。

 

ーー ある意味賭けじゃないですか。投資だとしてもそこに賭けられるのが凄いです。

奥村 でも、今はできないかもしれないです。何にも持ってなかったからこそできましたね。だから20代ってほんと尊いなって思います。

 

ーー 奥村さんがすごく勇気がある人みたいな風に感じるんですけど、3年後に具体的な目標を立てたのもがむしゃらに立てたものではなく、そこまでいける何かしらの計算があったような気がするんです。最初サクセスストーリーのようにも感じたけど実際はそうじゃない、不思議な感じがしました。

奥村 そう言われるとなんて返せば良いか分からないんですが…。
僕は、こういう話を学生の時に聞いておきたかったなと思って話してます。僕は今、自分が成功してるとは思ってないですけど、楽しく暮らしてるんで、「演劇を続けても意外と大丈夫だよ」って学生に知って欲しいです。今、働き方改革的な感じで演劇も持続可能性が追求されています。働きながら劇団で公演やるのも良い生活だなぁと思いつつ、そうじゃなくて「この世界で勝負したいんだ!」みたいな人もいていいんだろうなって。

 

ーー ありがとうございます。さっきの私の言葉はちょっと不足していました。奥村さんって「俺には才能があるんだ!」って気持ちで突き進んではいないじゃないですか。そこが疑問だったんだと思います。才能や自信で進まず、何か理論立てて「成功するはず」っていう根拠を元に進んでいたような感じがしました。

奥村 そうですね。僕は1年間サラリーマンやってた時ずっと演劇観てて、「この劇団はこのぐらいの面白さで動員が1000人いってるなー、2000人だとこんな感じかー」など自分なりに調べていました。その中で、動員が1000人いく劇団は外部の仕事が来てることに気がつきました。あとはTwitter のフォロワー1000人ですね。これらを達成したら仕事が来るなって感じて、そこ目指してました。具体的に数字を把握すると動きやすいと思います。自分はプロデューサー業務や事務仕事が得意だったのもあって、どうすれば演劇で食っていけるのか、その作戦をずっと練ってました。主宰とは別に「プロデューサー」って役割が劇団にもう少し普及していけばいいんですけどね。

 

ーー 良い脚本が書ける人が良い劇団運営ができるかって全然別の話だと思いますし、おっしゃる通りです。今後ドラマトゥルクなどがそれに近い役割を担うのかなと思いますが、学生劇団ではまだまだ主宰と脚本家に委ねられてる部分がありますからね。

奥村 そうですね。僕は役者として「ゴジゲン」という劇団にも所属しているんですけど、そこは特殊で、主宰脚本演出の人とプロデューサー専任の人の二人三脚で大学時代からやってるんです。プロデューサー業務を任せることで作演に専念できるので、理想的な形の劇団です。でも稀ですね。

 

ーー 11月の「スケールⅡ」の打ち上げブログを拝見して私が思ったのは、奥村さんは計算高いけど冷たいとかではなく、ちゃんと人情もあるけど自分の身を削りすぎず、すごく良いバランスだなってことです。天才でもマネージメント力がないとか、安全志向すぎるとリスクのある公演を打てないなど、どっちかに偏ったら崩れてしまう世界なので。
奥村さんは元々創作も運営もできる性格だったから上手くいったんですかね。

奥村 劇団運営に関しては、学生時代に学んだことも多かったです。とにかくスタッフさんに感謝しろ、とサークルで教わりました。自分の劇団公演に関わってくれる人への感謝って結構当たり前だけど忘れがちなんで、学生の時教えてもらって良かったなって思ってます。

 

演劇の好きなところ

ーー ここ数年では映像の脚本も書かれていますが、やはり動員1000人いってから外部の仕事が来るようになったって感じですか。

奥村 そうじゃないかな。初めて映像の作品をやったのが旗揚げして3年経ったタイミングでした。

 

ーー 2020年に「アルプススタンドのはしの方」がヒットしてからは映像系のお仕事もたくさん頂くようになりましたか?

奥村 それも一個ありますね。

 

ーー 映像系の脚本などの方の仕事に専念すればきっと演劇よりも生活が潤うと思いますが、それでも劇団や演劇を続けている理由はなんですか。

奥村 2つ理由があります。
ひとつは、劇団、演劇が自分のやりたいことが一番表現できる場所だから、この場所を絶対守り続けたいと思っています。
もうひとつは、シンプルに楽しいから。劇団公演で利益を出すのは今でも無理ですけど、他のとこでお金を得る形でやってます。僕は今1年のうち10ヶ月働いて2ヶ月劇団で公演するくらいのバランスになってますね。

 

ーー 奥村さんの作りたいものとはどういうものですか。

奥村 僕はね、稽古場が好きなんですよ。稽古場で生まれたものが、僕の作りたいものです。エチュードでシーンを作ったり、みんなで話し合いながら作っていくこと、それは映像や外部のプロデュース公演で中々できないんです。だから劇団公演は楽しい。稽古場で作るというのは、学生時代からずっとやってたんで、その影響は大きいですね。

 

ーー ずっと大切にしているものが変わらず、今もエンクラ魂みたいなものを引き継いでる感じがしますね。

奥村 そうですね。僕はエンクラでしか演劇学んでないんで。やっぱサークルの4年間って大きいですね。卒業したらお金を払わないと誰も教えてくれなくなりますから。エンクラでの学びから試行錯誤してきた何年かって感じですね。

ーー なるほど、ありがとうございます。

 

奥村 すいません、これでもだいぶ抑えてますけど僕いつも喋りすぎちゃうんで、大丈夫ですか?

ーー 全然!喋ることって創作活動において本当に大事なことだと思います。人との交流も喋ることだし創作に対して意見を交換することも喋る事の一つだし。演劇をやっていく上で、喋る技術って役者でも演出家でも両方必要ですね。だから喋りの上手さって成功の秘訣でもあるのかもしれないです。

奥村 喋りは大事かもしれませんね。平田オリザさんが「演劇入門」か何かの本で演出家に必要な要素をいくつか挙げてて、「カリスマ性」「コミュニケーション能力」とかも入ったんだけど、「どれか一つがとんでもなく秀でてればできる」とも書いてました。関口さんはどんな演劇が好き?演劇をつくりたい?

 

ーー うーん…作ることにも興味があるんですが、色々な作品を観ていると学生演劇のクオリティの限界みたいなものを感じてしまったり、自分が作ったとしても私が好きな演劇たちを越えられないなって思ってしまってあまり自信がなくて…

奥村 つまんなくてもいいって思えるといいですけどね。とにかくまずはやることが大事なので。でも学生演劇でもとんでもなく面白いものは作れますよ。セクションの枠を超えて全員で創作できるから、魅力的で楽しい公演になる。卒業後はだんだん役割が独立してきてしまうので。

 

ーー 奥村さんは、今後優先的にやりたいこととかはあるんですか?

奥村 脚本5:演出4:役者1ですね。舞台は一番優先してやりたいかな。この2年は舞台の仕事もあまりなかったんで映像ばっかりやってましたけど。

ーー 7月には献身の本公演も控えていると思います。その時にはまた情勢も変わってるといいですね。

 

OBOGワークショップについて

ーー ワークショップについてお話を伺います。奥村さんは「参加者の日常のワンシーンを劇にして発表する」とのことですが、これってエチュードに近いことですよね。

奥村 演技経験のない人もやりやすいようにテキストは使わないです。
俳優は、自分の経験したことしか舞台上で出せないなと思っていて。例えば、「悲しくて泣く」っていうのは「悲しくて泣いたことがある人」しか分からないとか、結局自分の実体験から感情を呼び起こしてるなって思います。なのでいつも稽古場でも、親が病気で倒れてしまって悲しいっていうのを演じてくださいとかなった時の自分の演出のアプローチとしては、「なんか最近悲しいことあった?」「犬が倒れちゃった」「じゃあ、その気持ちでやってみようよ」みたいな。置き換えっていうテクニックでもあるんですけど、そういう実体験に基づく演技をすごく大事にしています。ワークショップでは置き換えるとかじゃなくて、参加者の皆さんが実際に経験してきた本当のやり取りや感情をそのまま舞台上でやってみるっていう、「その時の再現」をやります。テキストの台詞だと壁ができちゃうんで、一番シンプルな形で表現できたらいいかなって感じです。

 

ーー 自己分析という面で就活にも役に立つと書いてありましたが…

奥村 僕ね、いろんな人と会いたくて(笑)いろんな人が来たらいいなと思って書きました。ワークショップのコメントにも書きましたが、繋がりが大事だと思っています。

 

ーー 長くなってしまいましたが、最後に早稲田で演劇をやっている私達に励ましや応援の言葉をお願いします。

奥村 大学で演劇やってて一番良かったなって思うのは、いろんな人と会えたことなんですよね。それが将来にどう繋がるかはその頃は考えてなかったですけど、先輩でも後輩でも面白い人にたくさん会えました。今、演劇が気楽にはできない状況が続いてますが、人と会うってことはできるんじゃないかな。それが一番価値のあることだなって思います。演劇は公演中止になってもそこまでの時間は消えないので、過程をぜひ楽しんでほしいなって。その上で公演ができたら一番いいですね。
人との出会いと演劇を作る過程を楽しんでください!

ーー ありがとうございます!楽しみます!

 

インタビュー後記

普段なかなか聞けない貴重なお話をありがとうございました!
今の私たちにすごく関心を向けてくださっているのが伝わり嬉しいです。
一度就職をしたからこそ見えた人生観は、演劇の道にストレートで進んだ人とはまた違った豊かなものでした。動員1000人いけば外部の仕事がもらえると発見し、その目標を達成して今も演劇を続けている事実が奥村さんのプロデューサーとしての腕を物語っているように感じました。そして稽古場が好きだという奥村さんの演劇愛は凄まじいです!「つまんなくてもいいって思えるといいですけどね」と言われた時、私は演劇を通して評価されることを求めていただけで演劇を愛せていなかったと気づきました…。ワークショップでは、奥村さんと現役世代が交流してどんな化学反応が起こるのか楽しみです。どちらにも刺激的な時間になりますように!(関口)

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