早稲田小劇場どらま館では、3月2日(水)〜6日(日)にかけて、劇団献身の奥村徹也さんにご提案いただき、早大演劇サークルOBOGの方々を講師に迎えた5つのワークショップを開催します!
『あのとき、私は』は、早稲田大学演劇サークル卒業生に学生時代のお話を伺うインタビュー記事企画です。
今回は、ワークショップ開催にあたり、『あのとき、私は』出張版として、劇団くるめるシアター所属の関口真生さんをインタビュアーに迎え、講師の方々に学生時代やワークショップについてのお話を伺いました。
この記事では、タカハ劇団主宰・高羽彩さん(劇団てあとろ50’出身)へのインタビューをご紹介します!
プロフィール
語り手)高羽彩(たかはあや)
早稲田大学第二文学部2010年卒業。脚本家・演出家・俳優。早稲田大学の学生劇団「てあとろ50’」を経て2004年に個人演劇ユニット『タカハ劇団』を旗揚げ、主宰・脚本・演出を手掛ける。緻密な構成と生々しくチープでありながら何処か叙情的な言語感覚が高い評価を得、近年ではアニメ・実写ドラマ・ゲームシナリオとジャンルを問わず活躍の場を広げている。
聞き手・文)関口真生(せきぐちまお)
2003年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部1年。劇団くるめるシアター37期。都立総合芸術高校舞台表現科演劇専攻卒。サークルの内外で役者と執筆業を主に活動中。最近の出演歴は青年団若手自主企画vo.87 升味企画『動ける/動けない 言える/言えない』を考えるWS、gekidanU家公演vol.5「TREE」など。気になる団体を公演前にインタビューする企画「演劇団体に突ゲキ!」noteにて随時更新中。行動力と真面目さが取り柄。将来何になるかは分からない。
インタビュー
ーー 本日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございます。高羽さんとお話しできることを楽しみにしていました。よろしくお願いします。高羽さんは、今から何年前のOBなんでしたっけ。いろんな世代の方がいて時系列が曖昧になってきてて。
高羽 えー、あんまりよく覚えてない(笑)卒業後はあんまり代を気にしなくなるよ。でも2003年入学かな?
ーー 卒業後も早稲田OB間の縦の繋がりは強いんですか?
高羽 私は歳が近い人との縦の繋がりは全然ない。すごい年上の人が「僕も早稲田ですよ」って言ってくれたりして歳が離れた方と繋がりを感じることはあるけど。でも横のつながりは強くて、同期は今でも一緒に仕事したりします。
ーー なるほど。ちなみに私は2003年生まれです。なので大先輩ですね。
変わらぬ役者への思い
ーー 高羽さんが初めて演劇に触れてからタカハ劇団で活躍している現在までの過程をお聞きしたいのですが、高羽さんが演劇を始めたのはいつですか?
高羽 中学の時に演劇部を作ったのが最初です。中学校に入ったら演劇部に入ろうと思ってたんだけど、演劇部がない中学校だったので自分で作りました。
ーー 当時から熱意があったんですね。
高羽 そうだね。行動力があったのかもしれないです。思いついたらやりたい!みたいな、我が強かったのかもしれないですね。
ーー 演劇に興味を持ったきっかけはありますか。
高羽 物心ついた時からごっこ遊びやなりきり遊びとかがすごい好きで、一日中アニメのキャラクターになりきって過ごしてたんですよ。なので「演じる」ことに対しては幼少期から親しみを感じていたと思います。それが演劇だって分かってきたのは小学校3年生の時で、授業参観でちょっとしたお芝居を発表する機会があって、その時に「すごい上手だったね」って大人たちに言われて、楽しい!ってなってからですね。
ーー 最初は演じること、表現が楽しかったんですね。
高羽 そうそう、というか今も役者志望なんだよ。
脚本演出はもちろん好きでやってるんだけど目指していたことは一度もなくて。たまたまそこに自分の才能を求めてくれる人がいたのでやってますけど、自分的にはもっと役者の仕事が増えたらいいなって思ってます。
ーー あー!そうなんですか!劇団を立ち上げる方って脚本や演出に興味があるイメージがあったので、タカハ劇団を立ち上げた時から作・演出に回ってるのかなって思ってましたがそうではないんですね。
高羽 全然違いますね。客演したいけど声がかからないから自分で書いて出るしかないって思って始めたんです。2、3回やって私の客演の話が増えてきたら辞めればいいやって思ってました。
ーー では、今でも客演の仕事が増えてきたら脚本家は中断するんですか?
高羽 中断するかもしれないんだけど、そこがなかなか難しいところで…
私も脚本家として仕事を始めて結構経つんですよ。そうなってくると自分の人生と脚本を書くって仕事が切り離せないものになってるし、自分のアイデンティティの中に脚本家ってものが深く組み込まれつつあるので、「明日から脚本書かない人生になります」って言われたら多分どっかで書きたくなるような気はしてるんですよね。役者の仕事で忙しくなったら嬉しいけど、脚本の仕事があるのは本当にありがたいと思ってますよ。
ーー 脚本を書くことが生活の一部に組み込まれてきていて、それを外したら生活がなくなっちゃうみたいな。
高羽 人生の形態が変わっちゃいますよね。何書こう、次の締め切りまでにどうしよう、ってことを毎日毎日考えて生きているので。脳みそが全然違う使い方になるのは間違いないです。
ーー 酷な質問かもしれないんですけど、高羽さんは「演技が上手かったよ」って言われるのと「脚本が良かった」って言われるの、どっちの方が嬉しいんですか。
高羽 私が役者をやってること自体を知ってる人がもうあんまりいないんですよ。高羽と言ったら脚本家・演出家ってイメージが定着してるので、私の役者業に言及されること自体が稀なんですよね。珍しいから、今は役者のことを褒められた方が嬉しいかもしれない。「私の役者の仕事によく目をつけたねえ、わかってますねえ!」みたいな感じで(笑)
てあとろ50’について
ーー 高羽さんは早稲田大学に入学して、てあとろ50’に入るわけじゃないですか。そこでてあとろを選んだ理由を是非お聞きしたいです。
高羽 本当は劇研に入りたかったんですよ。私は寺山修司さんがすごく好きで、演劇と言ったら早稲田だ!みたいな思い込みがありまして。劇研のために早稲田に入ったんですよ。
新人訓練が厳しいことは重々知りながらも、どんなに肉体的に精神的に辛くても我慢するぞ、それができなきゃプロとして食べていけない、くらいの気持ちで新人訓練に行きました。けど初日に「男は苗字で、女は下の名前で呼ぶから」っていきなり言われて。もう20年ぐらい前のことなので、現在の劇研とは考え方も状況も随分変わっているとは思いますが、当時の私は、どんなに辛い新人訓練でも耐えられるけど、そういう差別的な発想のある集団ではとてもやっていけないって思ってしまって。この団体のために一年間浪人までして頑張ったけど、一気に入る気が失せちゃいました。
そしたらもう正直どこでも一緒だった。プロになりたかったからプロになってる先輩の多い劇団がいいって思って、てあとろはキャラメルボックスを輩出した劇団なんだ!っていうので決めました。当時は森とかエンクラでも伸びてる劇団はあったけど、地方の高校生の考えはキャラメルボックスで止まってたから。でもエンクラの方が良かったなーってずっと思ってる(笑)
よく考えたらてあとろって、ラッパ屋とキャラメルボックスは今も続く本当に素晴らしい劇団なんですけど、それ以降生まれた劇団って私もあんまり知らない。さっき縦の繋がりがないって言ったのは私がてあとろだったからっていうのもあるんだよ。エンクラとかなら近い世代でバリバリ活躍してる人が多いから縦のつながりが凄いあっただろうなーって。てあとろの同期は演劇辞めちゃった人が多いので。
ーー 実際に入って、てあとろ50’の新人訓練はきつかったですか。
高羽 きつかった!楽しかったけどね。13時から学館の閉館時間の22時まで稽古なんですよ。だけど18時までは身体訓練なの。ほんとバカじゃない?って今考えると思う。そんなに稽古の時間があるんだったら一分一秒でも長く立ち稽古をするべきなんだよ本当は。
ーー ほんと脳筋っていうか体力系ですね….
高羽 全部成井豊さんが悪いと思うんだけど(笑)成井さんが出した演劇トレーニングの本を馬鹿正直に参考にしてやってたんでしょうね。でも若い時に体力をつけるのはすごく大事。ちゃんとした指導者がいない中何時間も立ち稽古するよりは体力つけといた方がいいかもしれない。筋肉は裏切らないからね。
ーー 新人訓練のいいところはそこですよ。基礎が積まれているのって舞台に出るとすぐわかりますし。
高羽 そうそう、集中力と体力って密接に関係してるので、脚本家も体力がないと長時間書く事ができないんですよね。だから私は今慌てて体力つけ直してるとこなんだけど。だから本当にあの時期に馬鹿みたいに訓練したことは本当に良かったなーって思ってますよ。
ーー 今でも新訓の時に得た基礎は残ってるんですか?
高羽 体力はもう完全になくなっちゃったけど、辛さを我慢できるレベルが上がったから踏ん張りは効くんじゃないんですか。忙しい時とか辛い時とかに「あの時に比べればまだいける」みたいな。精神論ですけど。
学生の強み
ーー このあと劇団を立ち上げることになるので結構がっつりてあとろで活動してたと思いますが、その中で学生生活の両立とかはどうでしたか?
高羽 両立…してないよね。私は7年間大学に行ってるんで。両立をする気もなかったんだよね。本当に演劇をやるために早稲田を目指したので演劇ができる環境さえ手に入れてしまえば別に辞めても良かった。でも親はね、「大学は卒業してほしい!」って。そういうせめぎ合いもあって7年行ってたんですけど。
ーー 全時間を演劇に費やしたって感じなんですか。
高羽 そうですねえ。でも演劇やってなくても大学はあんまり真面目に行かなかったと思う。公演がなくて暇な時期もあるじゃないですか。その時もちゃんと大学生はやってなかったので。やる気がなかったんだと思います。周りは卒業しなきゃって思ってるけど、私は思ってなかったもん。だからやる気出ないよね。
ーー 大学って「人生の春休み」とか言うじゃないですか。高羽さんにとってこの7年は演劇にどっぷり浸かった期間だったと思うんですけど、春休みって感じでしたか?
高羽 春休みですよ〜。自分の中で進路が決まってるっていう意味ではモラトリアムではなかったけど、あの時ってお金もそんなになくて社会的にも認められてなくて、って状況で、唯一「学生」っていう社会的に認められた身分がある保険は凄かった。「学生さんね。」で全て済むわけよ。卒業して演劇やってますって言うのと、大学生で演劇やってますって言うのだともう重みが違いますね。
ーー 学生って強いです、本当に思います。
高羽 そうそう。周りも甘く見てくれるし、私の場合は本当に運良く親の支援もあって。ぬるま湯ですよね。ちょうど私は脚本家として稼げない時期と大学生の時期が重なってて、まあ大学生だったから稼げなかったのかもしれないけど。卒業後には物を書いてお金をもらうことで生活できるようになりました。大学生でいる限り死ぬことはないだろう、みたいな心の余裕は凄くありましたね。
ーー 自分のアイデンティティというか、1枚学生証があるだけで何か心の支えになりますよね。
高羽 そうなの。本当に素晴らしかった。とんでもないチート期間だったと思いますよ。
表現を職業にするには/脚本家について
ーー 卒業後から脚本でお金を貰えるようになったと先ほど仰っていましたが、タカハ劇団をてあとろの中で立ち上げて、そのあとサークルから独立して続けることにしたきっかけはありますか。
高羽 そもそもてあとろって、劇研みたいに内部に小さな劇団を持つシステムじゃなかったから、劇団の立ち上げに関してはてあとろと全く関係がなかったの。私は私でタカハ劇団っていう活動名を掲げてやっていきますよって言って、てあとろは辞めますって感じでした。
ーー じゃあ、サークルから離れる怖さとか、自分一人でやっていく不安はなかったんですか?
高羽 全くないですね。私はプロでやりたいと思ってるけど、てあとろのほとんどの人は違うわけですよ。基本的には大学の間だけ演劇やりたいですって人たちの集まりなので。そういう場所で活動することにあんまり意味を見いだせてなかった。
ーー 同期と切磋琢磨って感じはなく、本当に一人で突っ走ってたんですね。
高羽 いや、もちろん同期と切磋琢磨はしてた。でもみんな悩んでたの。続ける?続けない?って。私は悩んでなかったからそんな悩みに付き合ってる時間ねーよって思ってた。劇団っていう小さな小さなコミュニティの中で切磋琢磨はしたと思うけど、その小さなコミュニティで素人の若者が頑張ったところで限界があるよね。
ーー 高羽さんがなんの迷いもなく独立できたのは既に成功するビジョンが見えていたからですか?何をするにしても目標や見通しがないと進めないような気がして。
高羽 ビジョンはないけど自信があった。自分に才能があるって事に対する疑いがなかったので、私が食べていけるようになるのは当然のことだと思ってたし、今も思ってる。
ーー すげえ…
高羽 というか、ちゃんとビジョンを立てて人生設計をしてその通りにタスクをこなしていくってやってたらこんな水商売やってらんないと思いますよ。
ーー そうなんですけど、高羽さんの前にも何人かインタビューさせて頂いて、本当に色んな考えで演劇を続けている人がいたんですね。「上の代は演劇を続ける自信がある人が多かった」って仰る方もいて。高羽さんの代はその代に当たるのかな、と。それより下の代になっていけばいくほど、現実的だったり計算高い活動だったり、売れることに重きを置かず続けていくことを大切にした人が増えたような気がするんです。現役の私たちの代もそうです。ご時世のことも影響していると思いますが、自分の自信と才能だけで突っ走る人って減っているように感じます。
高羽 日本が徐々に貧しくなってるのは大きいと思います。私は当時、てあとろ入って3年後には大河出ようって思ったぐらい売れる気はあったし、「表現で飯を食う」ってことを一つの目標にしてた。漠然と売れたいんじゃなくて、お金を稼ぐっていうね。現金って具体的じゃないですか。これだけの仕事をしたら何万円もらえますって。その金銭的目標があったからやりやすかったのかもしれないですね。
ーー 自分のやりたい表現を突き詰める続け方ではなく、人生の生業、職業として続けることが一番大きな目標だったんですね。
高羽 一番大きな生存戦略としての表現みたいな。
本当は役者がやりたかったっていうのもそこで。結局役者だけじゃ食べれなかったのよね。でも脚本だったらお金もらえて、今私が持っているお金に変えられる才能は脚本を書くことなんだなーって思えたのが大きい。脚本が書けなかったら私には才能があるって思い続けられなかったかも。
脚本は書ける人が少ないので、売れるのも早いし評価もされやすい。役者ってたくさんいるじゃないですか。脚本家を目指す人は少ない。競争率が低いです。
ーー 確かに…役者に比べれば全然いない。
高羽 全然少ない。その代わりカンパニーに一人しか要らないから間口は狭い。一座組に何人いてもいい役者と 、一人しか要らない脚本家、どっちが食べてくの大変かなって考えたら意外とトントンかもしれない。
ーー 高羽さんはタカハ劇団の脚本、演出に加えてご自身で出演もされているじゃないですか。やることが沢山あってキャパオーバーにならないんですか?
高羽 なるよ。なるけど、演劇の良いところは「現場が短い」ってことなんですよ。どんなに長い現場でも3ヶ月以上って滅多にないでしょ。だから堪えなきゃいけない期間が短いんだよね。これが普通の会社員とか、アニメ、ゲームみたいな業界になってくるとまあ長い。何年っていう単位の関わり方になる。演劇は忙しい時期がすごく短いの。だから全然大丈夫ですよ。
ーー 直前だけガーって駆け抜けたら休めるのか。確かに。
高羽 そうなんです。どっちかっていうと公演が終わった後の方が精神的にダウンします。公演が終わるとそれまで止めてきた他の仕事から「高羽さん公演終わったんですって?そういえばこっちの進捗どうですか?」みたいな連絡が押し寄せてくるので、その時の方が大変かな。本当に忙しい時よりも止まっていた時間が動き出す瞬間の方が。
ーー 面白い。そうですよね。色んなことを同時にこなしてるから。公演終わって脚本も書いて、客演もして…ってぐるぐる。
高羽 常に脚本の仕事は最低3本ぐらい同時に走ってて、自分の劇団の準備もしつつ、客演先の稽古もしつつ。でもそんなに忙しくないかもしれない。もっと売れてくると大変になってくるかなと思うけど、あんまり忙しくしたくないので。
ーー 高羽さんは仕事を楽しんでいる印象を受けるので、いいなって思います。
OBOGワークショップについて
ーー ワークショップについても軽くお聞きします。高羽さんは演劇のハード面、予算の立て方や制作に近いようなことを扱っていただけると聞きました。まず、ここのハード面を扱おうと思ったのはなぜですか?
高羽 実はみんなよく知らないからです。早稲田で演劇やってると劇場を抑えたりしないでしょ。私も学外に進出する時に、劇場の借り方とか何にも知らなかったんだって気がついたんですよ。
ーー ずばりそうだと思います。学館が使えますし、どらま館の方も優しいですし。外部で公演を打とうとしても、かかるお金とかの話って公にしちゃいけない空気が流れてる気がして。ここをがっつり扱っていただけると需要はかなりあると思います。
高羽 そうですねー。今特に学内で演劇ができないことが多いじゃないですか。ってなると学生が公演やるには、学校のサークル活動って枠を飛び出して自分たちで劇場借りて全部お金出してっていうやり方になりますよね。そのやり方を知らないとどんどん活動の場が狭まってしまうので、「早稲田にいなくったって演劇できるわ!」って力をつけないと今後厳しいだろうと思ってます。
タカハ劇団の制作をお願いしてる方にもワークショップの資料作りをお願いするつもりです。私自身も主宰なので金額交渉とかはするけど、どの程度の予算を各セクションに割り振るかって判断はプロの技なのであんまり知らないんだよね。でもどこから考えればいいのか、何を大事にするかっていう取捨選択の判断は分かるので、制作さんのお話も聞きつつ総合的に学ぶ場になればと思っています。
ーー ありがとうございます。すごく興味深いし、演劇をやっていく上での教養になりそうですね。
最後になりますが、情勢を気にしながらの活動を余儀なくされる私たち(早稲田演劇に携わる後輩)に、何か応援の言葉をいただけたらと思います。
高羽 やりたいと思った事は迷ってる暇があるならやった方がいい。「学生だから」「才能が」っていう枠にとらわれないこと、自分の限界を自分で決めないようにってことですね。
厳しい状況の中で、現役の方の「こういうサポートがあれば自由にできるのに…」っていう思いが上の世代にもっと共有されるといいなと思います。現役世代からの発信を待ってます。ためらわずに声をあげてください!
インタビュー後記
高羽さん、お時間を頂き本当にありがとうございました。同席していたどらま館職員宮崎さんが「アメリカ人みたいなマインド持ってるよね」とこのインタビュー直後に言っていて妙に納得しました。本当にパワフルな方だなというのが率直な感想で、学生時代の迷いの無さを聞きながら進路に迷いまくりの私は圧倒されました。「役者だけじゃ食べていけなかったから脚本も書いた」と仰っていましたが、自分の持つ技術、才能をお金に変えるには視野を広く持つべきだということを身を持って私たちに教えてくれた気がします。今回は時間の都合上お聞きできなかったのですが、高羽さんが脚本を書く際に大切にしていることや、高羽さんは社会をどう見ているか、なども機会があればお話ししたいです。ろりえの公演、そして芸劇eyes plusも観に行かせてください。本当にありがとうございました!(関口)