Waseda Shogekijo Drama-kan Theater早稲田小劇場
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【あのとき、私は】OBOGワークショップ編(Guest:高島優毅)

早稲田小劇場どらま館では、3月2日(水)〜6日(日)にかけて、劇団献身の奥村徹也さんにご提案いただき、早大演劇サークルOBOGの方々を講師に迎えた5つのワークショップを開催します!

『あのとき、私は』は、早稲田大学演劇サークル卒業生に学生時代のお話を伺うインタビュー記事企画です。
今回は、ワークショップ開催にあたり、『あのとき、私は』出張版として、劇団くるめるシアター所属の関口真生さんをインタビュアーに迎え、講師の方々に学生時代やワークショップについてのお話を伺いました。
この記事では、映画監督・映像ディレクターの高島優毅さん(演劇倶楽部出身)へのインタビューをご紹介します!

 

プロフィール

語り手)高島優毅(たかしまゆうき)
早稲田大学文学部2011年卒業。映像ディレクター、早稲田大学演劇倶楽部出身。新卒でテレビ局に入社。その後ネット動画ベンチャー企業に転職しYouTube用のオリジナルコンテンツ制作を経て2018年からフリーランス。企業のYouTubeチャンネルの運営・制作・監修を主に行い、担当した動画の合計再生回数は7億回を超える。2017年から短編映画制作を始め、これまで国内外の映画祭で30回以上の受賞・入選を果たす。

聞き手・文)関口真生(せきぐちまお)

2003年生まれ、東京都出身。早稲田大学文化構想学部1年。劇団くるめるシアター37期。都立総合芸術高校舞台表現科演劇専攻卒。サークルの内外で役者と執筆業を主に活動中。最近の出演歴は青年団若手自主企画vo.87 升味企画『動ける/動けない 言える/言えない』を考えるWS、gekidanU家公演vol.5「TREE」など。気になる団体を公演前にインタビューする企画「演劇団体に突ゲキ!」noteにて随時更新中。行動力と真面目さが取り柄。将来何になるかは分からない。

 

インタビュー

ーー 初めまして、関口真生です。本日はよろしくお願いします!事前に調べているので高島さんのことは存じ上げてはいますが、一応ざっくり自己紹介していただけたらと思います。

高島 高島優毅です。早稲田大学の文学部卒で、2011年卒業なので第一文学部から文学部になった最初の年の入学生です。2年生の時に早稲田大学演劇倶楽部に入って、卒業まで在籍しておりました。卒業後はテレビ局に入社して、バラエティの配属になってテレビの AD 、ディレクターをやってました。4年間働いた後に動画制作のベンチャー企業に転職して、そこで3年間YouTube動画の再生回数の伸ばし方などを研究しました。YouTube がその後ビジネスとして盛り上がり、ラッキーなことに世間より少し先に YouTubeについて詳しくなっていたので独立できそうだと思い、その後4年くらいはフリーランスで主に企業のYouTubeチャンネルの動画制作や管理、成長戦略を担当しています。
それに加えてここ数年は、元々ドラマ志望でテレビ局に入ったこともあって、「せっかくフリーになったんだからやりたいことをやろう!」と思って自主制作で映画を作ったり、そのご縁でシナリオの仕事をいただいたりしています。流れとしてはそんな感じです。

 

熱量先行型の高島さん

ーー 大学に入学してから現在に至るまでの流れを時系列でお聞きしたいです。まず高島さんは文学部演劇映像コース出身ということで、早稲田に入学した時から映像系の道に進むことを視野に入れていたんですか。

高島 映像に関しては大学卒業してテレビ局に入るまでほぼやってませんでした。演劇しかやってなかったです。大学に入るまでは演劇も未経験でした。ただ、その前からなんとなくお笑いや演劇、小説などが好きで、せっかく早稲田っていう演劇が有名な大学に入ったので演劇をやってみたいなと思いながら入学したっていう感じです。

 

ーー 演劇の方に興味があって演劇映像コースにしたんですか?

高島 そうですね。コース選択は2年からなので入学当初ははそこまで深く考えてませんでしたが。

 

ーー 演劇を始めたのは大学に入ってからなんですね。それは早稲田が演劇で有名だったからと、元々演劇に興味があったからですか。

高島 当時はお笑い好きの高校生で、舞台上でお客さんを笑わせることに興味がありました。社会の授業の発表の時間とかでも、ただ発表するよりちょっとコント風にしてみて、それがうまくいった時「楽しいな」っていうのが原点だと思います。

 

ーー お笑いが好きで、面白くないものを面白くしようみたいな気概があったんですね。エンクラも演劇サークルの中ではお笑い寄りじゃないですか。 だからエンクラに惹かれたんですか?

高島 僕、実は1年目にエンクラとは別の演劇サークルに入ったんですけど、そこでちょっと空回りしちゃって。そこまで熱血じゃないサークルに入った結果、実力ないのにモチベーションだけある奴になっちゃって。
最初すごいやる気があったんですよ。主要な演劇サークルって6月に入部が決まって9月に新人公演です、みたいな感じじゃないですか。でも4月の時点で「入部まで2ヶ月も待てねえよ!」って思って(笑)「即入部可能」ってとこに入っちゃったんですよ。それでうまくかみ合わなくて、1年生の終わりに反省し、一回ちゃんと新人訓練を受けようということで、2年生から演劇倶楽部に入りました。確かにその時はポップでお笑いっぽいような作風の公演が多かったです。時代によって違うと思うんですけど。

 

ーー 一年だけ入ってた演劇サークルとかみ合わなかったっていうのはどんな感じだったんですか??

高島 チラシに「即戦力募集」って書いてあったんで、「俺は即戦力だ!」って。本当は即戦力でもないし、戦うタイプの演劇でもなかった(笑)演劇の常識とか普通を何もわからないままそこに入ったんで、自分でも何がかみ合ってないのかよく分かりませんでした。

 

ーー 私もくるめるっていうゆるめのサークルに入ってて、いろんな熱意の人がいるのでなんとなく分かります。そのサークルからエンクラへ、編入のような形で入った訳じゃないですか。となると学年が一個ずれますよね。

高島 そうです。2年生で”新人”として入って、同級生の先輩には敬語で喋ってました。

 

エンクラでの活躍〜就職

ーー 実際に脚本演出を経験してどうでしたか、楽しかったですか。

高島 最初の一年は役者の訓練を受けたのでそのまま先輩の公演に出たり、あるいは外部の社会人劇団に出演したり、演出助手入ったりとか色々と経験を積ませて頂いて、3年生の秋に初めて脚本演出をやりました。その時にようやく、脚本を書いたり演出をやることに少し手応えを得た感じです。ただ、もうすでに3年生の秋なので、就活の入り口なんですね。少なくともエンクラ入ってからは演劇しかやってなかったのでどうしようかなと。けどせっかくだしマスコミ関係を受けようと思って、そこから半年ぐらい演劇を休んで就活をがっつりやりました。運よく3月前にはテレビ局の内定をもらえて、4年生の1年間は単位も取れてたのであとは演劇だけやろうとなり、そのあと3つぐらい脚本演出やったかな。

 

ーー 卒業後も演劇を続けていく気持ちは無かったんですか。

高島 それもちょっと迷ったりはしたんですけど、やり始めると気合いでやっちゃう熱量先行型タイプということもあって、思いのほか就活がうまく着地しちゃったんで。

 

ーー 就活がすごく頭にあったというよりは、内定もらったから「じゃあ就職するか」っていう感じですか。

高島 1回はやっといた方がいいかなという気持ちはありました。そこで就活をやり始めたらそれはそれで楽しいというか、例えば「面接をどう攻略するか」とかを考えるのは楽しかったです。

 

ーー テレビ局はすごく倍率が高いと思うんですけど、演劇をやりながら就活して内定もらってすごいですね。

高島 ありがたいことだなと。面接でも話すことが演劇しかなくて、ほぼ演劇の話だけでやってましたね。テレビ局に入ってみたら、ミュージカル研究会にいた先輩とか寄席演芸研究会出身の人など、早稲田大学で舞台に立っていた人たちもいました。

 

再び自由に表現できる場へ

ーー 4年後にそのテレビ局を辞めることになったきっかけはあるんですか。

高島 入社して知ったんですけど、その時すでに深夜の23時の番組でもメインの視聴者って30〜40代とかなんですね。なので、当時20代だった自分が同年代に向けて何かモノを作るのはテレビ業界では難しいんじゃないかと、徐々に感じるようになってしまいました。当時、普通にめちゃくちゃ激務だったこともあって(笑)インターネット動画の世界に行こうって思いましたね。

 

ーー それは、テレビよりもインターネットの世界の方が自分と同年代向けのものが作れるからですか。

高島 当時は特にそう思ってましたね。多少荒削りでもいいから若者向けの面白いものを作りたいっていう思いが強くて、それでまた熱量先行型でテレビ局を飛び出すことになってしまうわけです。いわゆる若気の至りですね(笑)

 

ーー 経歴を見る限り高島さんは卒業後演劇の世界にほぼ関わっていないけど、今お話を聞いていたら演劇が楽しかったことが印象的だったみたいで嬉しかったです。

高島 そうですね。原点は原点です。あの時に自由にやってたことが理想というか、テレビで働いている時も、「俺はもっと面白かったはずなのに!」ってずっと思いながら仕事してました(苦笑)当時、テレビのコンプライアンスがどんどん厳しくなっていく過渡期だったこともあり、特に歯痒さを感じていた部分はあったと思います。

 

ーー 転職して YouTube関係の仕事を始めた頃からは、どんどん自分のクリエイティビティを活かせたのかなって思いました。

高島 いや、実際そんなに甘くなくてその後も失敗は色々するんですけど(笑)
ただ、その当時の2015年ぐらいの YouTubeって「YouTuber」っていう言葉が出始めの頃で、今よりも特に無法地帯というか「ルール無し」みたいな世界だったので、ある意味、そこで色々失敗できたことが後々の糧になっているかもしれないですね。コンプライアンスを言い訳にするわけにもいかないし、自分の実力不足を痛感できたのが逆に良かったのかなと。

 

ーー 実際自分の腕が試されるような場でいろんな成果をあげて、その後に自主制作の映画とかも作っていらっしゃいますが、そういうのに繋がったのは前職の知恵やご自身の腕力もあったと推測します。

高島 意図してるわけじゃないんですけど、大学のとき演劇やって、テレビ局でバラエティやドキュメンタリーみたいな番組に関わって、フリーになってからネット動画をやってWEB CMとかもやって、最後は映画作りに片足突っ込んだので、割とオールジャンルに触れてきたのが今となっては武器となってくれてるのかな、っていう気はしますね。でもやっぱり、やるのは演劇が一番楽しかったですね。それは今でも思います。

 

ーー 高島さんが大学入学から今に至るまでで、影響を受けたなって思うような作品や影響を受けた人はいますか。 

高島 大学時代に松尾スズキさんの「マシーン日記」を何度も見ました。あとは三谷幸喜さんの「笑の大学」とか「コンフィダント・絆」もよく見てました。そのお二人に影響を受けた部分が大きいです。

 

ーー ”笑い”が高島さんの根源にあるんですね。

高島 ストーリーがあって、笑いがふんだんにある演劇がとにかく好きですね。

 

フリーランスは◯◯が足りない?

ーー 今フリーランスで活動していらっしゃいますけど、フリーランスってどういう風に仕事を入手するんですか。

高島 今は紹介で仕事をもらうことが多いのでめちゃくちゃ営業活動するとかは無いです。でも、例えば僕がやっているような短編映画作りビジネスとして捉えると赤字だし生産性がなくて一見意味のないことに見えるんですけど、それを見た人から仕事を貰ったりもするので、結果的には営業活動になっているのかもしれませんね。

 

ーー 人脈が大事な分野でもあるんですか。

高島 そうですね。
人脈とは少し違うかもしれないですけど、例えば人柄がいいとか、締め切りや時間を守るとかって仕事において半分以上だと思うんですよね。めちゃくちゃ良い演技する俳優でも、ワンチャンこいつ公演に遅刻するってなったら出しづらいじゃないですか。会社員はそういうことができる人が多いので目立たないですけど、フリーとかちょっとふわふわしてる人の中に入るとそこが出来てるだけで上位半分ぐらいに入れるんじゃないか、と最近思います。

 

ーー 社会人としての基礎ですよねー

高島 社会性は大事ですね。僕もオーディションやキャスティングの時は、俳優さんの演技力はもちろんですが、そもそも連絡が通じるか、とかも気にします。印象が良くても連絡が全然通じなかったりするとかなりマイナスに捉えますね。

 

OBOGワークショップについて

ーー ワークショップのことをお聞きしたいのですが、「俳優が映像の現場をどう攻略していくか」ということで、舞台と映像の演技の仕方って全然違うと思うのですがどのようなワークショップにする予定ですか。

高島 僕も最近自主制作映画やCMなどを撮ったりする中で、演劇とあまりにも違うなって思ったことが色々ありました。そういうのっていきなり現場に来て役者さんが局面したら気の毒だし実力が発揮できないので、知識や経験として少し伝えられたらと思いました。逆にそれを知ることで、普段の演劇活動をする時の心持ちやスタンスが変わってきますし、その糧にしてもらえればって感じです。

 

ーー ワークショップの中で実際に短編の映画を撮るそうですね。

高島 時間の関係でできるかわからないのですが、トライしてみようと思います。
自分なりに演劇と映像の現場を比べた時に大きく違うなと思うのは、単純に”時間がない”ってことです。何日もかけて演技を仕上げていくことは低予算の現場でできないので、すぐ本番です。監督もその日のうちに撮り切らないといけないので、テイク2とか3で大体OKっていうんですね。60点で妥協してるOKと120点のOKって、俳優さんはどっちなのかわからないじゃないですか。その監督に次も呼ばれることを目指すとしたら短い時間でチューニングを合わせないといけません。本当に俳優として将来的に食っていきたい人、演劇もやりながら映像もやりたいって人には有益なことをお伝えできる気がしますね。

 

ーー このワークショップに来る人はほぼ映像未経験だと思いますが、参加するにあたって演劇しかやってこなかった役者はどういう心構えで行けばいいですか。

高島 でも、そういう人に向けて話すので大丈夫です。
ただ夢のない話になるので覚悟しておいてください(笑)学生生活の中で自由に演劇をやっている状況がどれだけ貴重か、って話になるかもしれないですね。夢はないです。けどそんな夢のない世界で食っていきたいという覚悟がある人は是非という感じです。

 

ーー 表現や俳優活動を今後続けていくなら、映像の演技についても学ぶべきですよね。

高島 演劇と映像の境目って今後どんどんなくなっていくと思うんですね。演劇公演でも映像が使われるし、配信がメジャーになってきています。逆に言うと、テレビや映画がネットの世界で見られる中で演劇のライブ性、「そこでしか見られない」ことを強みにしていかなきゃいけない。特に映像の方はもう映画、テレビ、ネットなどの垣根がドロドロに溶けてて境がないんです。そこに対して演劇も今後そんなに独立していられないので、そこで映像の経験の有無、自分が今カメラにどういう風に撮られているか分かってるかどうかっていうのは、いずれ必須教養みたいになってくる気がしますね。

 

ーー 演劇の人ってどうしても映像配信を嫌って生にこだわり続けるんですよね。でもやっぱりこういうご時世になったし、どうしても避けては通れない道だと思うので、映像のことは演劇人の教養になりつつあります。

高島 知っておいて損することはないかなという気がしますね。はい。もちろん生が一番いいのは間違いないんですけどね。

 

ーー 最後になりますが、このワークショップに参加してくれる早稲田で演劇をしている方々に何かメッセージや応援の言葉を頂けたらと思います。

高島 大学は自分の強み、やりたいこと、表現について失敗してもいい状況で見つめられる時間でした。10年前ですけど、振り返ると煮詰めるにはいい期間だったと思います。いくら煮詰めても、社会に出たらいくらでも薄めようとしてくる人がいますから、薄まっちゃうんですよ。だから多少薄まっても俺の味は消えないぜっていうぐらいに煮詰める時間だと思って色々とトライするのがいいのかなって思います。

 

インタビュー後記

高島さん、お時間をいただきありがとうございました。
演劇が楽しかったと何度もおっしゃっていたのが印象的で、私もこの4年間の煮詰める期間のありがたみを感じながら過ごそうと思いました。熱量先行型で突っ込んで紆余曲折ありつつも、現在は映画制作などやりたいことにガンガン取り組んでいるのは尊敬です。おっしゃっていた通り、今後映像を避けて演劇だけに携わることは難しくなっていくでしょう。そんな中でも演劇の役者が映像の現場の教養を学ぶ場ってあまりないので貴重な機会になるのではないでしょうか。いろんな業界を経験した高島さんだからこそできるワークショップ、どんなものか気になります!(関口)

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