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シアターオリンピックス観劇レビュー1 20年を経て変化した同性愛描写 ――オスカラス・コルシュノヴァス演出『浄化』

シアターオリンピックス観劇レビュー
オスカラス・コルシュノヴァス演出『浄化』

今年9月、富山県南砺市利賀村で行われた国際演劇祭「シアターオリンピックス」に観客として参加した3人の学生たち。早稲田ウィークリーで掲載されたレポート座談会に引き続き、どらま館ホームページでは、彼らが見た作品のレビューを掲載します。

劇団てあとろ50’に所属する片山さなみさんは、イギリスの劇作家であるサラ・ケインが98年に執筆した『浄化』についてのレビュー。リトアニアの演出家・オスカラス・コルシュノヴァスによって野外劇場で上演されたこの作品は、マイノリティに対する暴力が渦巻くショッキングな作品でした。片山さんは、この作品を、多様性をめぐる社会の変化を軸として振り返ります。

 

 

20年を経て変化した同性愛描写

「激しさ」によって描かれる同性愛

私にとって『浄化』は、非常にショッキングなお芝居でした。この作品で印象に残るのが、舌や腕を切断するといった暴力的な描写や、性行為などのセクシャルなシーン。それらが、かなり激しい手つきで描かれています。このような手つきの作品を私自身今まで観たことがなく、ただ驚かされるばかりでした。同性愛者や近親相姦の兄妹が隔離施設で暴力的に追い詰められていくというストーリーの激しさもさることながら、主人公のグレイスを演じるグレタ・ペトロヴスキーテが服を取り換える時に全裸になったり、女が男に飛びついて絡み合ったり、不安定な舞台美術の上をアクロバティック動き回ったりする演出からも、その「激しさ」が喚起されます。舞台からは、観客を圧倒するほどの熱量が発散されていました。

特に、この作品の「激しさ」を特徴づけるのが、作品中に描かれる同性愛の描写です。

作品中の同性愛者が異様に艶(なま)めかしく描かれていること、そして彼らが隔離されて監禁されて暴力を受けていること。今日本で暮らしている私から見ると、それらは非日常の、遠い世界の話でした。しかし、そんな描写がある種の迫力を持ち、役者によって観客席に投げかけられることによって、観客はその「遠さ」に冷めることなく集中して作品に入り込みます。

これまで、性の多様性を描いた作品において、こういった「迫力」を伴ったお芝居を私はあまり観たことがありません。男女の性差をテーマにした『わかろうとはおもっているけど』(贅沢貧乏)や、知的障がい者の兄を持つ主人公を描いた『アリはフリスクを食べない』(青年団リンクやしゃご)など、「性」や「障がい」といった私たちの間にある差異をテーマにした演劇においては、その差異を、日常の中にある言葉にできない微妙な違和感の重なりとして描いていました。しかし『浄化』において、「差異」は日常の枠組みを超えたとても大きなものとして描かれています。

なぜこのような違いが生まれるのでしょうか?

この戯曲が書かれた90年代後半と、私が上演を見ている現在では、社会が多様性をどのように受け止めているか、どのように多様性を描くことによって観客の現実感覚に近づけるかが異なるのではないか、と感じます。

『浄化』に見られる過剰な差異のクロースアップは、サラ・ケインがこの戯曲を書いた90年代後半には「典型的」な表現だったのでしょう。しかし「日常の中にある、言葉にできない微妙な違和感の重なり」としての差異を見慣れた私たちにとって、その表現はもはや「典型」ではありません。差異を持つ人々は、強制収容所のような異次元の世界にいるのではなく、私たちのすぐ隣にいて一緒に生活している。それが2019年に日本で生きる私たちの現実感覚であり、だからこそ、『浄化』は観客に衝撃を与えます。そして、その衝撃によって、「差別や抑圧は、見えにくくなりながらも今なお続いているのだ」という強いメッセージ性を持つに至ったのではないでしょうか。

社会における性の多様性に関する教養や思考の変化が、作劇や演出の違いに現れる。『浄化』と現代の演劇とを比較することによって、演劇が題材と作り手と観客との関係の中で成立していることを感じました。

 

 

現在も続いている「浄化」

そして、『浄化』というタイトルについて。このタイトルは、「民族浄化」という時に用いられる「浄化」を前提として付けられたものです。それは90年代のボスニア・ヘルツェゴビナにおける虐殺の歴史(※)を映しています。

きれい/きたないという前提のもとに、人種、肌の色、性など、人間に元々生まれつき付随する特徴を弁別していくことの恐ろしさは言うまでもありません。しかし、大多数が求める「きれい」が、少数を排除する構図はいまだに続いています。今年の11月に大規模改修が行われ、劇場公園としてリニューアルオープンする池袋西口公園から、もともといたホームレスたちが姿を消していることに、池袋をよく訪れる人は気づくでしょう。「きれい」なまちづくりの裏側で、ひっそりとホームレスがいなくなっている。そこには確かに少数者の排除が存在しているのです。

『浄化』は、客席という一歩引いたところから俯瞰して眺めさせるのではなく、役者の全身から発される叫びによって、観客の情動を直接揺さぶるようなお芝居でした。そのエネルギーが、観客の眼を、今も存在する排除や差別の問題へと強制的に向けさせます。現実に起きていることを描けるのは、日常を切り取った写実的な演劇だけではありません。人を揺り動かすという演劇のエネルギーを肌で感じることができました。

※旧ユーゴスラヴィア連邦からのボスニア=ヘルツェゴヴィナ独立に際して1992年〜1995年まで続いた内戦。死者20万人、難民・避難民200万人が発生した。セルビア、クロアチア、ボシュニャクという3民族によって引き起こされたこの紛争では、虐殺、強制退去、強制収容によって異民族を排除する民族浄化が行われた。

 

片山 さなみ(かたやま・さなみ)

劇団てあとろ50’では俳優・制作を担当。2019年7月に早稲田小劇場どらま館で上演された『夏じゃなくてお前のせい』(モミジノハナ)に出演。男性に免疫がないが、自分のことを本気で好きになったいわゆる“チャラ男”を振る女性を好演。

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