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特集

早稲田に必要な演劇とは? 富山・利賀村「シアター・オリンピックス」で考えた

早稲田小劇場どらま館企画 演劇サークル学生出張座談会

多数の花火が打ち上がる『世界の果てからこんにちは』

早稲田大学卒業後の1966年に「早稲田小劇場」を設立した後、世界的な活躍をしている演出家・鈴木忠志さん(1964年政治経済学部卒)。1976年からは劇団「SCOT」として富山県利賀村(現・南砺市利賀村)に活動拠点を移し、80歳となった現在でも精力的に活動を続けている鈴木さんは、この夏、利賀村で芸術監督として「第9回シアター・オリンピックス」を開催しました。8月23日から1カ月にわたって開催されたこのフェスティバルには、ギリシア、トルコ、ロシア、中国、アメリカ、インドなど、世界中から約500人の演劇人による30の作品が集まり、人口わずか500人未満の村には、世界各地から2万人あまりの観客が訪れたのです。

早稲田大学の劇場「早稲田小劇場どらま館」は、「早稲田小劇場」の跡地に建てられ、その名を鈴木さんから譲り受けました。今回、その劇場で演劇を行った早稲田大学公認演劇サークルに所属する浜田誠太郎さん(大学院文学研究科修士1年、劇団24区)、片山さなみさん(文学部3年、劇団てあとろ50’)、田村将さん(文化構想学部2年、劇団くるめるシアター)の3人と、早稲田小劇場どらま館マネジメントスタッフ・宮崎晋太朗さん(2007年第一文学部卒、元演劇倶楽部)がシアター・オリンピックスを訪問。期間最後の3日間、5演目を観劇した彼らは、初めて訪れた利賀村で一体何を感じたのでしょうか?

シアター・オリンピックス】富山県南砺市・黒部市を会場に、2019年8月23日から9月23日まで開催された国際演劇祭。1994年に鈴木さんら世界で活躍する演出家・劇作家によってギリシアで創設され、9回目を迎えた。1995年のギリシアを皮切りに日本(静岡)、ロシア、トルコ、韓国、中国、ポーランド、インドで開催され、今回は鈴木さんがロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対面し、直接交渉して実現した日ロ2カ国による初の共同開催。テーマ「Creating Bridges」には、異なる文化に橋をかけて新しい共存のルールを見付けたいという思いを込めた。ロシアではサンクトペテルブルク会場(6月15日から12月15日)で開催中。

圧倒的に異なった演劇体験

宮崎

今回の利賀村滞在では、鈴木忠志さん演出のギリシア悲劇『ディオニュソス』と、花火を使った野外劇『世界の果てからこんにちは』、スペインの演出家・ラ・ザランダによる『すべては夜のなか』(作:エウセビオ・カロンへ)、イタリアの演出家・アレサンドロ・セラによる『マクベス』(原作:ウィリアム・シェイクスピア)、それと、リトアニアのオスカラス・コルシュノヴァスによる『浄化』(作:サラ・ケイン)を見ました。いろいろな作品を見たけれど、どの作品が印象に残っている?


【各演目紹介】
『ディオニュソス』『世界の果てからこんにちは』『すべては夜のなか』『マクベス』『浄化』

『すべては夜のなか』

浜田

後から思い出しても印象に残っているのは『すべては夜のなか』ですね。3人のホームレスが登場するこの作品は、ストレッチャーとスーツケースで表現された抽象的な空港のシーンから始まります。そして、だんだんと小道具を増やしながら状況がずれていき、最後にはシェイクスピアの『リア王』を引用しながら戴冠式の場面になっていくという不条理劇でした。シーンがどんどんと変化していくことにワクワクしたし、観客が見ているのが「ホームレス」であるという状況がすごく面白かったですね。お金を払って「価値」を見るのではなく、「価値から外れた人間」を見ているという感覚があったんです。


宮崎

じゃあ、片山さんが印象に残ったのは?

片山

鈴木忠志さん演出の『世界の果てからこんにちは』ですね。とにかく、今の私の周りにある演劇とは全く違うことにびっくりしました。

浜田

花火が上がる演劇なんて他にはないよね。

『世界の果てからこんにちは』は、車いすによる隊列の整然とした動きも見どころの一つ

片山

鈴木忠志さんの存在は知っていましたが、その演劇論までは追っていなかったんです。俳優の太く力強い発声方法や、ドシっとした重心の低い下半身の動き。作品を目の当たりにして、非日常的な、明らかに私たちの演劇とは違う基準や価値観で演劇を作っていることにワクワクしました。この作品でも、車いすに乗った人々の隊列とか、“お米の神様”みたいな登場人物とか、不思議なイメージの連続でしたよね。

一同:(笑)。

宮崎

白塗りで登場した僧侶のこと?

片山

そう! それに、花火がたくさん上がってエンターテインメントとして面白かったし、その中に鈴木さんの言いたいことも詰め込まれていた。この作品は歴史や民族など、「日本」という大きなものを語ろうとしていました。でも、それが大きな言葉だけでなく、個人の小さなサイズまで還元されていた。それを象徴するのが「日本は戦争に負けたんですぞ。日本は四つの島に縮んだんですぞ。日本が縮めば、自然とあんた方の住居の広さも縮んでくる」という劇中のセリフ。「日本」を語りながらも、同時に「個人」を見つめる視線に、私たちが普段行っている演劇と共通の部分を感じましたね。

20年で変わった同性愛の描き方

『浄化』。劇場は野外の岩舞台

宮崎

田村さんが印象に残ったのは?

田村

『浄化』ですね。僕は演劇を見たり創ったりするにあたって、「マイノリティ」「共生」あるいは、「虐殺」といったテーマを中心に据えています。『浄化』は同性愛者や近親相姦(そうかん)などに対する差別の問題を、セクシュアルかつバイオレンスに描いていました。暴力と性の二つが合わさることによって「排除」の恐ろしさが見えてきたんです。

宮崎

同性愛者の男性、そして近親相姦を行った兄妹が監禁され、徹底的に暴力を浴びせられる。かなりショッキングな内容だったよね。

片山

去年の早稲田祭2018で、私の同期が同性愛についての作品を上演したんですが、その作品とは同性愛の描かれ方がかなり異なっていました。私の周りには、同性愛が「異常なもの」として描かれる作品は少なく、「同性愛も異性愛も普通」という前提に立ちながら、いまだ生じる「でも…」という違和感を描くものが多い。しかし『浄化』では、同性愛は徹底的に「異常なもの」であり、排除されていく世界を描いていました。自分のリアリティーからは少し遠かったですね。

宮崎

イギリスの劇作家であるサラ・ケインがこの作品を描いた1990年代には、同性愛は社会に受け入れられた存在ではなかった。その意味では20年がたち、同性愛を取り巻く状況も変わってきているんだと思う。今回、この作品を上演したのはリトアニアの劇団だったけど、リトアニアでは同性愛はどういう位置付けなんだろう?

浜田

上演が終わってからリトアニアの女優さんと話したら、リトアニアでは女性でもガールフレンドがいるのは「普通」という感覚らしいです。ただ、同時に「上の世代では違う反応になる」と話していたから、きっと日本と似た状況なんじゃないかな。

田村

僕は日本のドラマや演劇で話されているような「隣にいる同性愛者」という描き方では、どこか議論が進まない感じがしています。セクシュアル・マイノリティの一人として、それよりも「同性愛が迫害された歴史がある」ということを生々しく見せていくことの方が、より多くの人に「差別してはいけない」という気持ちを起こさせるはず、と考えます。なぜ差別をしてはいけないのかといえば、その延長線上に『浄化』で描かれるような暴力があるからなんです。

演劇のために用意された濃密な空間

『ディオニュソス』が行われた野外劇場。大勢の観客が詰めかけた

宮崎

じゃあ、この場所で演劇祭を行うということについてはどう思った? みんな利賀村を訪れたのは初めてだけど。

浜田

限界集落と言われるような場所で、演劇を見るためにこれだけの人が来るという現象はとても興味深いですよね。東京のような都市では起こらない現象だと思います。

片山

東京にも複数の劇場を会場として使った演劇祭はありますが、劇場と劇場の間に街があるし、日常がある。「演劇祭」という感じが薄いんです。利賀村では、あの山奥でなければ生み出せない「フェスティバル」としての雰囲気を感じました。利賀村にいたら演劇以外にやることも考えることもない。来る前は「なんで利賀村で?」という疑問があったんですが、利賀村でやる意味をちゃんと感じられましたね。

田村

鈴木さんは、いつも「利賀村でないと文化の創造ができない」と話しています。実際に利賀村に行き、その言葉の意味が初めて分かりました。日常と隔絶された利賀村には、演劇のために使える濃密な時間しかない。時間の使い方が東京にいるときとは全く違いますよね。こんなに胸を張って「充実していた」と言える3日間はありません。

『すべては夜のなか』が上演された新利賀山房は、合掌造りとしては日本最大規模

浜田

ただ、僕は利賀村がすごいと同時に怖いとも感じていました。

宮崎

「怖い」ってどういうこと?

浜田

僕は「人が集まること」に興味があるんですが、そもそも、人が集まるというのは危険がある。強い目的を中心にして人が集まることによって、排除や目的に沿わない集団を攻撃する流れが生まれてしまうんです。僕自身、排除や対立がなく集まることはできないのか? と模索しています。シアター・オリンピックスには、鈴木忠志さんという中心に集まっている側面があります。もちろん、鈴木さん自身が危険だということではなく、その発言はうならされるものばかりです。ただ、一つの中心に集まって一色に染まるという方法論自体に、少し怖さを感じましたね。

利賀村を早稲田にインストールするために

シアター・オリンピックスの最終夜を飾った『世界の果てからこんにちは』終了後、野外劇場の舞台では役者と観客が一緒となった祝宴が開かれた。高校生の頃から劇団「早稲田小劇場」が好きで、鈴木忠志さんや別役実さんに関係する本も読みあさっていたという田村さんは、憧れの鈴木さんと記念撮影ができて大感激

宮崎

では、今回の利賀村の経験は今後どのように生きてくると思う?

片山

利賀村の経験を経て、これから演劇の見方が変わってくると思います。単純な感想だけど、この3日間を振り返ると「たくさんの演劇があるんだな」と実感しました。高校演劇、大学演劇、小劇場演劇の作品など、いろいろな作品を見てきましたが、どこか似た雰囲気を感じます。でも、利賀村で見たものはそれらに全く似ていなかった。高校生の頃に初めて演劇を見て、「すごく楽しい!」と思い、大学に入り小劇場を見て「うわー!」っとモチベーションが上がったように、全く異質の体験でしたね。

田村

自分の知らない演劇があることに気付き、自分の視野が広がる瞬間は楽しいですよね。僕の場合、利賀村で滞在した時間に刺激を受け、いつか地元である山口県に芸術公園を作りたいと思いました。利賀村のように文化を創造する場所がもっと多く作られてほしい。そのような文化を創造するためのシステム作りを行っていきたいですね。

宮崎

じゃあ、浜田さんは?

浜田

シアター・オリンピックスの期間中は、演劇を見るだけじゃなく、それを見た後に、この4人でそれぞれが思ったことをいろいろ話し合いましたよね。でも対立したり、マウントの取り合いになるのではなく、ちゃんとした議論ができた。そういう空間は理想的だと思います。できれば、早稲田小劇場どらま館もそういう場所になってほしい。どうしても早稲田の演劇の中では似たような関心領域で固まり、他人のやっていることに無関心になってしまいがち。どうやったら早稲田に適した方法で、利賀村のような雰囲気を作れるのか、と考えていきたいですね。宮崎さんはどうですか?

野外劇場で行われた『ディオニュソス』

『マクベス』では、全ての登場人物が男性俳優によって演じられた

宮崎

今回の滞在中、見た演劇の感想や利賀村の雰囲気についてだけでなく、早稲田の演劇の話、具体的なサークルの悩みといったいろいろなことを話すことができたよね。本当ならそういう話をどらま館や学生会館でしたいんだけど、早稲田にはそういう話ができない雰囲気がどこかにある…。

浜田

ありますね。

宮崎

僕も、この利賀村の雰囲気をどうやって早稲田にインストールしていくのかを考えていました。どらま館を運営していく立場として大事にしているのは、演劇作品を発表することだけじゃないんです。「劇場」というのは人が集まる場所。そこにはどのような人が集まるのか、それによって何が生み出されていくのか? そんな「場所」としてのあり方を普段からずっと考えています。利賀村は理想的な空間であるとともに、どらま館にとっても共通の「どのような場を作るのか」という問題を扱っている場所だと思う。だからこそ、利賀村で感じたことを持ち帰り、これからのどらま館の運営にも生かしていきたいですね。

合掌造り家屋の縁側にて

【プロフィール】
浜田 誠太郎(はまだ・せいたろう) 劇団24区では脚本・演出・俳優を担当。2019年2月、学生会館で上演した「どうしようもないほど巨大な力に対して、ちっぽけな私たちができることは何か、それを見つける物語」という『大怪獣』の演出を手掛けた。2019年10月から早稲田小劇場どらま館学生スタッフ。

片山 さなみ(かたやま・さなみ) 劇団てあとろ50’では俳優・制作を担当。2019年7月に早稲田小劇場どらま館で上演された『夏じゃなくてお前のせい』(劇団モミジノハナ)に出演。男性に免疫がないが、自分のことを本気で好きになったいわゆる“チャラ男”を振る女性を好演。

田村 将(たむら・まさる) 劇団くるめるシアターでは演出・舞台監督を担当。2019年9月に学生会館で行われた『ゴドーを待ちながら』で演出を手掛けた。本来、5人の役者しか登場しない劇に19人の役者を登場させる演出を披露し、著名な不条理劇に新しい解釈を与えた。

取材・文:萩原雄太(2006年第二文学部卒、劇団「かもめマシーン」主宰)

演劇しかすることがない幸せ!理想郷「利賀村」で過ごした早大生の3日間

蔦森皓祐さんについて

シアター・オリンピックス開幕が間近に迫った7月下旬、劇団SCOT創設メンバーの俳優で、早稲田大学第一文学部出身の蔦森皓祐(つたもり・こうすけ)さんがお亡くなりになりました。76歳でした。蔦森さんは早稲田大学の学生時代から鈴木さんと共に演劇活動を続けていました。1991年の『世界の果てからこんにちは』初演時の主役は蔦森さんでした。鈴木さんのブログ「裂帛の気迫」によると、シアター・オリンピックスに向けた稽古中に倒れ、舞台上で亡くなったとのことです。蔦森さんに心から哀悼の意を表します。

(早稲田ウィークリー編集室)

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