Drama-Kan Theatre早稲田小劇場
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どらま館WS『詩的言語をつくる』体験リポートその1

6月16日と23日の2日間にわたって、モデレーター三野新さんといぬのせなか座を講師に迎え、どらま館WS『詩的言語をつくる』を開催しました。

募集開始からすぐに予約が集まっただけに参加した学生の熱意も高く、両日とも密度の濃いWSとなりました。
参加した学生によるWS体験リポートを前編後編各1名、2回に分けてご紹介します!

 

詩的言語を考える 日々の生活を<制作過程>として救い出す手立てとは

どらま館WS『詩的言語をつくる』presented by いぬのせなか座

早稲田大学演劇倶楽部32期 伊藤鴎(イトウ カモメ)

日々の生活において生じる「気づき」との対峙は言語表現の核であり、また、あらゆる表現ジャンルにおいて制作の基盤となります。そんな日常におけるちいさな「気づき」を他者と共有することで、新たな「気づき」を見出そうというねらいのもと、どらま館WS『詩的言語をつくる』が2019年6月16日と23日の2日間にわたり、早稲田小劇場どらま館にて開催されました。主に言語表現や演劇に関心のある学生が受講し、ゲスト(講師)のいぬのせなか座による詩的言語の制作過程をのぞき見つつ、各々の「気づき」の共有を通じて、個々人が自分独自のテクストを制作し、発表しました。

 

書いているそのときが残るということ

何かを書くというとき、必然的にそこにはその言葉が書かれたその瞬間が毎瞬、痕跡として残されていきます。残された痕跡が「作品」となるための条件を考えることにおいて、今回は一般にいう「美的判断」とは異なるかたちでこれを検討してみる、という姿勢をとることにしました。ここでいう<「美的判断」とは異なるかたち>とは「“自分”に独自のルールや制限を課して、それを尊重する」(いぬのせなか座 鈴木さん)ことや「さまざまな価値基準が飽和するなかで、自分がそれを“選択”した自覚をないがしろにしない」(いぬのせなか座 山本さん)ことで見いだされ、日々の私的な生活のなかでの「気づき」の積み重なりにより、育まれていくのではないかという考えにいきつきました。

また、言語表現をはじめとする文化芸術の多くは少なからず「言葉」の機能に依拠するかたちで後世に残されてきましたが、同時にそれらを取り扱う人文学を軽視する潮流があることを無視することはできません。「言葉」が「役に立つ」ということを考えるとき、明日の自分にとって、顔の見えない誰かにとって、など、いろんな可能性を考える必要があるといえます。

 

喩のもたらす奇蹟

言語表現において「喩」をもちいることはどのような効果をもたらすのか。詩人・吉本隆明の思想を読み解くなかで得た知見をもとに展開された、山本さん(いぬのせなか座)の講義に一同は真摯に耳を傾けました。

「喩」とはなにか。「比喩」という言い方のほうが私たちは慣れ親しんでいるかもしれません。本来異なる意味をもつ言葉をもちいて、もう一方の言葉を形容する、これがいわゆる「比喩(喩)」の機能です。「喩」は、結びつくはずのない2つの対象を言葉によって、結びつけます。このとき、2つの対象のあいだにある隔たりが大きければ大きいほど、「喩」はその力を発揮します。この力が最大限発揮された状態を詩人・吉本は「奇蹟」と称しました。

そもそも言葉というものは、それを表現する人が信じていること、あるいは表現するその人自身を伝達するものです。ゆえに言葉は、それを受け取った者に、表現主体であるその人自身、またその思想を、さかのぼって立ち上げさせる機能をもちます。言葉はその言葉以上のバックボーンを孕むことでしか生まれることができません。言葉そのものもまた、その言葉を発したひとのバックボーンを形容する、というかたちでこの世に生まれてくるからです。つまり、言葉を言葉としてこの世に放つ行為は、その行為そのものの時点ですでに奇蹟が立ち起こる素養を十分に含んでしまっているといえるのです。私たちが日ごろ、無意識に行っている言葉のやりとりのなかでもちいさな奇蹟が実はささやかに立ち起こっているのかもしれません。

 

テキストの制作

山本さんの講義を聞き終えた一同は、いよいよテキスト制作のためのレクチャーを受けることとなりました。今回のWSでのテキスト制作の手順は以下のようなものです。

 

〇まず宿題として140字以内のテキストを各自4つ書いてくる。(→A)

〇その4つのテキストを参加者間でランダムに再配布する。(→B)

〇Bで自分のもとに配られてきた4つのテキストの同士から6つの関係性を見出す。(→C)

〇A、B、Cで得られた計14の素材から560字以内のテキストを制作する。(→D)

 

Aの作業にて、日常のなかでのさりげない「気づき」を言葉にします。Bの行程で、自分ではない誰かの言葉(「気づき」)に向き合い、その言葉が生まれるにいたったであろう思想に自分なりの方法でさかのぼります。Cでは書き手の異なる他人の言葉同士の隔たりを自分の解釈によって結びつける、という作業をします。最後の行程Dではそれまでの作業で対峙した14の素材を自由に加筆、改変、要約、翻訳、コラージュし、テキストに書き起こします。ここまでがテキスト制作の一連のながれです。

 

いずれの作業においても、自分の見出した「関係性」や「説明」をおざなりにすることがないようにとの指示がありました。

自分の言葉と、自分ではない誰かの言葉との隔たりを頭のなかで行き来しながら、一同は自分と自分以外の誰かの言葉が救い上げた日常における「気づき」を慎重に言葉のなかにおとしこんでいきました。

 

発表

1日目のWSにてレクチャーを受けた1週間後、各々は自分のテキスト(→D)を制作し、発表することとなりました。以下は私の発表したテキストです。

 

(→A)※一番最初に宿題で提出した140字以内のテキスト×4

①最近、アイツ(マクドナルドの飲み残し捨てる穴)のことばかり考えてる。

私、どうしちゃったんだろ。アイツ(マクドナルドの飲み残し捨てる穴)に、

胸がドキドキして、もうアイツ(マクドナルドの飲み残し捨てる穴)のこと以外、

何も考えられないの。私、アイツとなら月にだって行ける気がしてる。

 

②早起きすると「知りたくなかった真実」を知ってしまったが、知る前と同じようにしていなければいけない感、及び、「絶対に忘れてはいけないこと」を綺麗さっぱり忘れている、ことすら忘れているせいで、自分の知らないところで何か大変なことが起きている感に襲われるので、本当に嫌だ。

 

③どうして普段おともだちとお話するときの声が大きいひとは、授業中だとめっちゃ声小さいの?

 

④UFOキャッチャーに失敗しているところを見られる、みたいなタイプの恥を人一倍経験している自信があるし、いまだに20m先にいる知人に挨拶したあと、どんな顔で接近したらいいのかとかわからない。もっと優雅に生きたいけれど、スマホの画面がバキバキなうちはたぶん何をやって駄目。

 

(→B)※再配布された他人のAテキスト×4

1.春の最後の日、あるいは夏の最初の日

2.顔に綿毛がくっついて、そのまま右頬で芽が出て葉が繁り花が咲けばチャーミングかな

3.足がかゆい。左足の薬指外側と右足の親指。いずれも第一関節。無視できる程度。

シャワーを浴びたばかり。指と指の間に水滴が残っているのかもしれない。

4.上演終了後、知り合いとガストへ行く。冷麺を利き手の箸で持ち上げながら、「演技はつかれる」というと「本当は左利きなの?」と聞かれる。くだらなかった。彼は竜田揚げを食べながら「うまさには興味がない」とわざと憤った。

 

(→C)※Bのテキストから見出した6つの関係性

〇1-2 まちがえて快速に乗ったので、へんな駅で降りた。湿度の高い空気のなかで、容赦

のない暴風に吹かれる。髪が顔のまえまで散らばってきて、もう直す気にもならない。塗りたてのリップに髪が張りついて、さすがに拭う。あと10分。あと10分。

〇2-3 うつむいてだまっていたら、じゃあ、ほっぺにっていわれた。

〇3-4 明日は10時入り。明日は10時入り。だから逆算すると、えっと。

〇4-1 うなぎ、去年はおいしかったのに。ていうか、わたし、なんでこんなに沢山ビニー

ル傘もってるんだろう。ああ、ついでに電気代払っちゃえばよかった。

〇1-3 みぞおちから喉にかけて、なんか鈍く、気持ち悪いかんじ、なぜかわからないけど、尿意っぽい切迫もあったりして、カルキのにおい?と体臭と、あとなんかちょっと第二次性徴の不潔さみたいの、更衣室、わたし、きらい。

〇2-4 下画像。

(→D)※A,B,Cで得た14の素材からつくったテキスト

ケセランぺサラン、ケセらンパサラン、エアkンのリモコン、ファンタジーりモコン。

帰てきってよ。最後に風をあびtのは2月。長q冬眠。室内機nnaなか、まだ冬がたまっ

てりする?ベランダ、去年の夏からずっtと転がっる蝉の死骸、まだあるし。モンスーン。下着はたくさんないおyt、洗濯こまる。ケセランパ(笑)、丁寧な生活。

衣装にしわがよるないように、そういうのはちゃんとしてるです。一人暮らしの女の部屋に、ラバーカップ。生きてrだけで恥です、Dカップ。この、フチまで水がタプタプn便器で、こうなったら金魚でも飼ってやりたい。でも、金魚いないし、ケセランpン。潜水して、きったねぇなにもかもをくぐりぬけて、もういちど、いっしょに踊ってほしいよ、あのひと、抱きすじmぇていfよ、あのひと。ケssrンパサラン、既読、ケセぱさえあんン、返信。生まるてこのかた、ずっと右利きのはずんsのに、左脳がクソ。iCloud 200GB

請求、たまってく稽古MOVIE、たゃっれjyくタスク、まだ冬がたkdってたいrる?

※画面割れたの12月なんです(苦笑)ケせふぁんpン、昼夜正転。とりあêず、毛を剃り

ます。明日にめうkw、毛を剃ります。毛深い女は嫌わえうぇので、血が流れルほど、毛

を剃ります。明日の2限はちゃんと出る。馴染めてないけど、ちゃんと出る。

 

私のこのテキスト(→D)はA-④「バキバキなスマホの画面」を険しい現実、B-2「綿毛」を届きそうもない理想、と読み替え、この2つを軸にするかたちで制作しました。A-④でデバイス(スマホ)の出力に不具合が生じているようすを頭のなかでの言葉の出力にも不具合が起きているものとして表現しました。

 

Dにいきつくまでに各々が行った作業の詳細は人それぞれでまったく異なっており、それゆえに発表されるテキストもまた各々の個性がきわだつものに仕上がっていました。そのちがいは大変に興味深く、一同は熱心に他の参加者の発表に聞き入りました。

例えば、私の場合は得た14の素材をミキサーにかけ、再度型抜きのなかに閉じ込めるようにして、テキストを制作しました。このやり方は他の参加者の方々から具象→抽象→具象の手順を踏んでいるようだと評されました。対し、14の素材をほとんど無作為に登場させていくなかで、前後の辻褄があうよう、その都度「モノボケ」をするような危機にさらされながら、話を合わせていき、ひとつの一貫性のなかに14の素材を落とし込む、という仕方をしたひともいれば、14の素材のなかで自身が印象深いと感じたフレーズ・イメージを抽出し、それぞれの言葉のもとのかたちをなるべく崩さないように繊細に扱いながらコラージュのように書き起こす、という仕方をしたひともいました。皆、それぞれ異なる自分の独自の「手つき」によって、言葉と対峙し、言葉を生み出しました。

 

自分の言葉と、自分ではない誰かの言葉とを照らしあわせ、混じりあわせ、結びつけるという一連の行程はとても面白いものである反面、名状しがたい気持ち悪さをも含んでいました。自分のものではない言葉には「自分もそう思う」「自分もこんなことを書く」と思えるものもあれば「自分ならこんなことは思わない」「自分ならこんなことは書かない」と思えるものもあります。そういう言葉たちを自分の思想・言葉に絡みつけて扱うことは結構な体力を消費するものでした。前者の場合は、なぜ自分と同じことを考えているのに、この言葉を書いたのは自分ではないのだろうという不気味さがあり、後者の場合は、なぜ自分と違うことを考えているのに、この言葉を自分の思想に混ぜ入れて解釈しなければいけないのだろうという潔癖的なきもちが湧き起こったりしました。しかし、この言葉と言葉の隔たりを渡り歩く作業によって、参加者一同が発表したテキストのなかには、あるいはそれを共有し、再度言葉で説明を施す時間のなかにはちいさな「奇蹟」が随所で立ち起こっていたように思います。

 

 

WSを終えて

日常生活には沢山のちいさな「気づき」が静かに横たわっていて、それを救い上げる「言葉」は、自他という単位を介して、幾重にも「奇蹟」を立ち起こしている、はずなのだと、今回のWSでは、そんな言葉のもつ力の大きさ、取り返しのつかなさ、を身に染みて感じとることができました。この貴重な経験をへたことで今後「言葉」というものに向き合う際にはその力の厳かさを感じずにはいられないと、そのように思うので、いまこの記事を書くのにも、これまでの「それ」以上に、心地よい疲れを感じていたりします。もうすぐ書き終わります。終わりです。

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