School of Social Sciences早稲田大学 社会科学部

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【社会科学部報 No.50掲載】早稲田の「ニオイ」。

【社会科学部報 No.50掲載】早稲田の「ニオイ」。

1997年卒 村瀬 健 さん

Profile
村瀬 健(むらせ けん)
畑惠子ゼミ(ラテンアメリカ研究)出身
現在フジテレビドラマ制作センター所属。2007年末に日本テレビから移籍し、大きな話題となった。
「太陽と海の教室」「14才の母」「バンビ~ノ!」「あいのうた」「愛情イッポン!」「火垂るの墓」など多くの作品を手掛け、
「14才の母」では民放ドラマで唯一、ギャラクシー賞や日本民間放送連盟賞を受賞。敏腕の社会派プロデューサーとして活躍している。

Q.プロデューサーになられたきっかけは?
A.大学時代から、やりたいことがいくつかあり、バンドでプロを目指していました。サークルは3つやっていて、真心ブラザーズも出身のGuitar Enjoy Club、シネマ研究会、そして劇団。自主映画を作ってシナリオ書いて、というようなこともしていました。でもあまり馴染めず、自分でサークルを立ち上げ、真剣に活動していました。そのサークルを一緒に立ち上げた仲間の一人が、今、社学で教鞭を取られている横野恵先生の旦那なんです。卒業してからも「やりたいことがやれるのは?」というのを考えたら、テレビ局だった。学生時代は奨学金をもらったりもしていて、映画を作るためにアルバイトをしたりしていま した。

Q.どのような学生時代を送られていましたか?
A.特に、サークルに力を入れていました。その時に仲間と一緒に話していたことが、今自分が作っているドラマや企画のベースになっている。社学に午前がないと いうことは、みんなと違う時間が空くということで、裏をかえせばそんなメリットはない。そういう時間をどう使うかですね。

Q.社会科学部の良いところは何でしょうか?
A.本当に自由で、早稲田らしい学部だと思っています。僕は、実は初めの頃、授業にあまり出席していなかった。でも、ある時、出るほうが面白いんじゃないかってことに気が付いて。それからは自分からちゃんと出席するようになりました。最初から無理やり出席させられていたら、そんな発見はなかったんじゃないかな。畑先生の授業に出たときも、すごく面白いと思ってゼミにも入った。1年のころは文学に興味があったので、内藤先生の一般教養のゼミに入っていました。そういった授業や先生は今でも印象に残っているし、決して忘れないし、感謝しています。社学には、いろんなものを目指す人間がいます。それが一番の魅力です。他の学部では得られない出会いが多くあると思いますし、それは将来に絶対に役に立つ。社学出身であることは誇りです。

Q.大学での経験が今に生きているのですね?
A.はい、特にゼミでの経験は、今のプロデューサーとして、とても役立っています。プレゼンの仕方、パッケージの作り方というのは、企画を作り、それを視聴者にいかにおもしろく見せられるかということで、卒論の書き方で学びました。卒論は手書きで書いて、必死で書いていたから腱鞘炎になった(笑)鮮明に覚えているよ。南米における日系宗教についてで、新興宗教に取材もして、事前に、「もし帰ってこなかったら拉致されているかもしれないから、よろしく」って友人にも連絡しておいたりもしましたよ。

Q.早稲田に進学された理由はどのようなことでしたか?
A.ザ・大学みたいなイメージがあって、憧れていました。僕が見ていたのは、授業ではなく、大隈講堂ではなく、日本一のサークル活動だったけれど(笑)入学試験を受けた時も、壁を見ながら、偉大な先人たち、先輩音楽家や映画監督はこの壁を見て育ったんだな、なんてことを思いながら・・・。まだ僕が学生の頃は、半地下に学生会館があり、第二学生会館もあった。同じ場所に、右には演劇、左にはアカペラサーサークルがいたりして、お互いに「うるさいなー」と思いながら練習していて。でもそれが後々、八嶋智人とゴスペラーズになっていたりして。なんか、そういうのが早稲田だよね。早稲田文化というか、大学は、おもしろそうなことが見つかりそう、クリエイティブな才能が生まれそう、あそこにいったら自分がもっとおもしろい人間になれるんじゃないかなってニオイを持っていると思う。会社でも、「学閥」なんていうものはないのだけど、なんとなく、早稲田出身の人間を見ると、あの空気を味わってきた奴なんだなと思う。僕、どこに行っても「早稲田ですよね?」って言われるのだけれど、それってすごいことだと思いませんか?僕にその雰囲気があるというより、早稲田にそういう雰囲気があるということ。同じ会社では、「のだめカンタービレ」プロデューサーの若松さん、ディレクターの武内さん、二人ともフジテレビのエースで、社学出身なんですよ。

Q.久しぶりに大学にいらした感想は?(インタビュー前、14号館の畑先生の研究室にも少しお邪魔しました)
A.僕の頃は、まだ古い14号館だったので本当に驚きました。綺麗!!大学も随分と変りましたね。でも、さっき大隈銅像の横を歩いていて、ふと学生の頃を思い 出し、当時の自分が前を歩いていて、とても考えさせられました。夢だった今の仕事、あの頃の俺が憧れていたことを、今の俺ができているのかなって、ドキッとした。この仕事、辛いことや、大変なことが本当にある。「あの頃の未来に僕らは立っているのかな・・・」ってスガシカオの歌詞があるけれど、すごく好きな歌で、いつも肝に銘じています。ここに来て、また頑張ろうって、身が引き締まりました。

一番左が村瀬さん、右にいる女性が横野恵本学准教授

一番左が村瀬さん、右にいる女性が横野恵本学准教授

Q.普段心がけていることはありますか?これからの村瀬さんの目標は?
A.絶対に、「とりあえずやる」なんていう作品は作らないことです。テレビドラマは年間4クール、3ヶ月ごとで、1回に10本くらいしか連続ドラマはない。ということは、そのリアルタイムに、日本にドラマを投げているプロデューサーは10人しかいない、そのうちの一人であるということなのです。一本たりとも無駄にできない。自分の訴えたいこと、伝えたいテーマ、やる意味、しっかりした思いがある作品しかやらない、と決めています。自分にも昔から好きなドラマがあり、そのドラマを見て人生が変わりました。誰かの人生を変える強さがある、世の中に何かを投げかける、そんなドラマを作っていきたいと思います。

Q.社会科学部生に向けてメッセージをいただけますか。
A.社会人になって本当に忙しく、時間がなく、他の人のドラマとかを見たりすることも、他のこともする時間がなく、インプットが一気に減ってしまいました。最初の頃の僕がどんなものを企画にしたかというと、学生時代に考えていたことでした。学生時代の経験が、将来にものすごく大事。何でもいい、やりたいことをやって、大学4年間をぜひ満喫してください。

村瀬さんにとって、早稲田は“今の自分の原型を作った場所”だそう。こう思えるような学生生活を送りたいですね

(聞き手・構成:志熊万希子)
掲載:社会科学部報No.50 2008年春号

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