【社会科学部報 No.47掲載】二代に渡って「女房役」
1981年卒 山岡 長英 さん/2006年卒 山岡 剛 さん
2007年に本学は125周年を迎えましたが、ワセダに縁のあった家系、というのは意外に多いようで、三代続けてワセダ、という家系も散見されます。ひょっとしたら、これ以上の方もいらっしゃるかもしれません(ご一報ください!)。
単純に二代続けてワセダ、では珍しくないかもしれませんが、こんな「二代続けてワセダ」ならいかがでしょうか?
1981年卒:山岡長英さん(やまおか ちょうえい:文中では「長」と略)
2006年卒:山岡 剛さん(やまおか ごう:文中では「剛」と略)
■山岡長英さんは主将、剛さんは副将と野球部の要、二代に渡って神宮球場のホームベースを死守されました。これは!ということでスポットが当たりました。よろしくお願いします。
まずはお二人の学生時代を振り返っていただきつつ・・・既に安部球場(跡に、現在は中央図書館)も14号館も建て変わってしまいました。学生気質も変わりましたが。
長:当時、授業こそ夜間中心だったけど、独立した学部で学んでるという自負はありました。他学部の同期には留年するヤツもいたけど・・・負けねえぞ!と出席しましたよ。成績はほとんど「可」だけど(笑)。大事な試合の前も、「協力者」と共に頑張りましたね。今は昼間中心で授業が行なわれているから(注:1998年から「昼夜開講制」に、2009年から「昼間部」に移行)、昔とはだいぶ違うだろうか。
剛:基本的には変わらないですね。「協力者と共に」ってところまで(笑)。5・6限の授業も活用して、要領良く。野球部の社学生は、授業のフォローも含め、団結してるんですよ。越智さん(03年卒)や伊藤さん(03年卒)といった先輩もいらしたし。
■ワセダ進学は、長英さんが勧めたんですか?
長:早慶戦のベンチ裏に連れて行って、佐藤清さん(元早大監督)に頭を撫でてもらったりと、興味を持ってくれるような「演出」はしましたよ。
■幸い、慶應ファンにはならなかったんですね(笑)
長:「敵だ」なんて教えたつもりは、毛頭無かったけど(笑)
剛:策略どおり(笑)、漠然とワセダでやりたくなってました。無意識に「ワセダ」の文字を追ってましたし。真剣に意識し始めたのは、中3ぐらいからですね。大学まで野球は続けたいと思っていたので。
■社学の自己推薦制度を選んだのは?
剛:高3の夏までは野球漬けに近かったので、一般入試には準備が間に合わないかな?と。高校に商学部の指定校推薦枠が来ていたんで、それを狙って内申点で努力していたのも活かせると思って。
長:いざ受けようという高3の時には無かったんだけどな(笑)
剛:野球部の「練習会」で勧められたこともあり、受験を決めました。社学と教育に受かったものの、二次試験が同日で・・・野村監督(当時)のアドバイスもあって、社学を選びました。
■学生時代はハードでした?
長:当時、先輩は厳しかったねぇ(笑)。練習のスタイルも今とは違うし。大変だったけど、うまく逃げられた。「これから授業に行ってきます!」って(笑)。ベンチ入りは2年から、試合には4年から出ました。
剛:僕はベンチ入り・試合出場は3年からです。それまでは内、外野へのコンバートがあったり。親父がワセダでキャッチャーだったのは知ってました。意識はしないけど、愉しさを聞いていたので、やってみたいとは考えてました。
■「キャッチャーの愉しさ」とは?
剛:ピッチャーをリードするコツが分かるようになったことでしょうか。
長:レベルの高い選手がいるから、構えたところに投げてもらえるかっていうと、そうはいかない。だからこそ、確率とか駆け引きに面白みを感じるんだろうね。
剛:和田さん(人03年卒:現ホークス)は、構えたところにズバッと来て、凄かったですよ!
■社学での勉強が活かされるものではないかもしれませんが(笑)
多くの人に触れ合うから、観察眼のようなものが養われたりしたんでしょうか?
剛:学士入学者のように、他大学や社会経験のある人からは、野球を離れても大いに刺激を受けましたよ。
■剛くんや田中くん(05年卒:現ヤクルト)みたいに頑張っている学生には、他の学生も刺激されています。
■秋季リーグ戦とか、客入りが少ない時でも駆けつけてくれるファンは嬉しいですよね・・・そういえば、ベストナイン獲得、おめでとうございます。
剛:ワセダに憧れて努力して、そこで野球もやれてるんだから、思い残すことがないように、と。結果は後からついてきたという感じです。
■泣いちゃったりした(笑)?
剛:応援席に挨拶した時、武内(当時主将・人06年卒:現ヤクルト)が泣いてるのを見て、もらい泣きを・・・こらえていたんですが(照)。
■武内くん、クールそうに見えるのにね。
剛:意外と熱いヤツだったんですよ(笑)。
長:僕なんか、ワーワー泣いてたよ。秋という季節とあいまって、物悲しかったかな(笑)?
■苦労した思い出なんかはありますか?
剛:成績発表には、毎年ハラハラしています。特に通年科目!試験がうまくいかなかったら、1年間の苦労は何だったんだと(笑)。周りの学生みたいに、オープン科目とかをどんどん履修して、うまくやってれば・・・
■思い出の場所とかはありますか?
長:(机を叩きながら)ココ(PONTOSポントス:南門脇の喫茶店)ですねぇ。授業の合間、授業の後、学校に来る日は必ず入り浸ってたね。30年近い付き合い(PONTOSは35週年を迎えたそうです)。
剛:僕もココですねぇ。親父ほど頻繁ではなかったですが、激励会を開いてもらったり、お世話になりました。
■「もちろん、神宮球場です!」とか言っておいた方がいいんじゃないんですか(笑)?
長:まぁ、当然、神宮球場は思い出の場所だけどね(笑)。
剛:お酒の助けもあって(笑)、普段話せない先輩たちともお話しできました。違う学部の学生や社会人の方、いろんなバックグラウンドを持った方ともお会いできましたし。
■こちらには、應武さん(現監督)や岡田さん(現阪神監督)、小宮山さん(現ロッテ)なんかもお見えになってたみたいですね。
■いつの時点で、社会人でも野球を続けようと決めたんでしょうか?そして、意気込みも教えてください。
剛:最初は先生になろうと考えてたんですよ。教員免許も取得しました。でも4年になって、いくつかのチームから誘っていただいたので、これはやれるのかな?と。うまくなって、できればプロも目指したいです。
■気が早いけど、子供が産まれたらワセダを勧めますか?
剛:男の子なら、強制はしないけど、親父と同じことをしそうです・・・(笑)
■新入生・受験生に向けて一言お願いします。
剛:ワセダを知るようになるのも一つの「縁」、それが結ばれて入学が叶ったなら、ここで生まれる「出会い」を愉しんで欲しいですね。これから受験するなら、それを期待して、もうひと頑張りを!
長:ワセダはねぇ・・・いい大学なんですよ、学生として中にいる時も、OBとして外から見ても。野球なら早慶戦、ラグビーなら早明戦といった、愛校心を掻き立てられ、一体になれるイベントだっていっぱいあるんだから。社学に入学したなら、運動部の活躍を応援するも良し、サークルに没頭するも良し、使いみちを工夫してもらえれば、今思っている以上にワセダの良さを発見できると思いますよ。
インタビュー後、長英さんが漏らしました。『声に出して言ったことは無いけど、自分の母校、さらには自分と同じ学部に決めてくれた時は、叫びたいくらい嬉しかったんだよ』。
同じ感動を味わうチャンスは、あなたにもあります。(聞き手:大山雄一郎)
掲載:社会科学部報No.47 2006年春号