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二文字屋の「無為無策でなにが悪い!」(第3回)–「ありがとう」のない人びと–

二文字屋の「無為無策でなにが悪い!」(第3回)−「ありがとう」のない人びと−

平山郁夫記念ボランティアセンター 二文字屋脩

こんにちは、WAVOC講師の二文字屋です。不定期にはなりますが、私が研究しているタイの少数民族(ムラブリ)を中心に、小話のようなものを皆さんにお届けしていきます。

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ムラブリでは、挨拶言葉だけでなく、感謝を示す言葉もない。つまり、「ありがとう」がないのだ。これは一体どのような事態なのだろうか。

私たちは感謝を明示する(あるいは、しなければならない、あるいは、それが期待されている)社会に生きている。私たちは常日頃から、深々とお辞儀をして「ありがとうございます」と相手に感謝の意を表明する。友人や家族といった親しい間柄でさえ、「ありがとう」という一言は、必要最低限の言葉の一つでもある。このようにいうと、相手に「感謝したい」という気持ちをもつのだから感謝するのは当たり前だと言われるかもしれない。だがそのような発想自体、誰かから物をもらったり、親切にされたら感謝をするものだ、あるいは、感謝をしなければならないと幼い頃から教えられてきた「賜物」である。その証拠に、自分の善意に何も反応がないと、これまでの関係が反故にされたと感じて怒りを覚えたりするのだろう。

だがムラブリ語には感謝を表す言葉がない。つまり、「ありがとう」がない。もちろん、だからといって彼/女らが感謝の気持ちを持たないということでは全くない。例えば私がガソリン代を負担してムラブリを町まで送ったとする。皆、ささっと車を降りて、用事が終わるとしれっと車に乗り込む。誰も「今日は送ってくれてありがとうな」などとは言わない。だが村に戻ってからしばらく、あるいは翌朝になると、コーラやお菓子を持ってきてくれたりする。私がまだ寝ていると家の入り口にそっと置いていることもある。その場合、誰がくれたものなのか分からないが、誰も何も言わない。

調査に入った当初、そんな彼らのやり方に戸惑いながら日々を過ごしていたことを思い出す。誰かの善意を受けて私が「ありがとう」とタイ語で言うと、「ギーサック(気にするな)」とムラブリ語で返される。そんな言葉を口にする必要などないのだと、間接的に諭されるのだ。不思議なことに、しばらくすると、そのような付き合い方がとても心地良いものにさえ感じられてくる。私もまた、わざわざ「ありがとう」と口にする必要がないからである。その意味では、「ありがとう」という言葉がないというよりは、「ありがとう」という言葉を必要としないといった方が正確かもしれない。なのでそんなムラブリとの二年間から戻ってきた私は、感謝を要求されたり、感謝をしなければと自分を律すること自体が心理的にも大きな負担であると感じるようになってしまった(もちろん、これでは日本社会でとても生きづらいし、人付き合いもうまくいかないので感謝はちゃんとするよう心掛けている)。

ところで、近しい関係であるという事実だけで、彼/女のために何かしたいという感情は自然と芽生えてくるものだ。ムラブリはこれを「互いに愛し合う」と表現する。具体的には、食べ物を皆で分かち合うということである。だが、そうした感情をモチベーションに発現される言動は、言葉のやりとりで支えられているわけではない。むしろ言葉だけで済んでしまうのなら、そちらの方がどこか「嘘っぽい」。その上でムラブリの振る舞いをつぶさに観察していると、私が貴方に何かをしたという事実は、単に私がそうしたいと思った結果であり、それはあくまで私の意志であるということに集約されているように思えてくる。そうした「私」から出発した言動は、すべて「私」がそうしたいと思ってやったことなのであり、そのことに対してわざわざ感謝が示される必要などないのだ、と。もっとも、開発を通じてタイ人として生きる今日、ムラブリでは合掌(ワイ)とともにタイ語で「ありがとう」を意味する「コップンカップ(女性の場合は「コップンカー」)」という言葉を口にすることもある。だがここで重要なのは、誰も感謝を期待してなどいないという点だ。感謝をするもしないも彼/女次第であり、それは「私」の問題ではない。だから感謝されないからといって怒ってはならない。むしろ怒るようなら何もしない方がいい。

ムラブリはこう教えてくれているのかもしれない。誰かの善意にどう対応するのかは人それぞれ。少なくとも「ありがとう」を言わなければならない必要はないし、それを期待してもいけない。「私」が「そうしたい」と思ってやっているに過ぎないのだから。誰がなんと言おうと何をしようと、気にするな。

 

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