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二文字屋の「無為無策でなにが悪い!」(第2回)–「挨拶」のない人びと–

二文字屋の「無為無策でなにが悪い!」(第2回)–「挨拶」のない人びと–

平山郁夫記念ボランティアセンター 二文字屋脩

こんにちは、WAVOC講師の二文字屋(ニモンジヤ)です。不定期にはなりますが、私が研究しているタイの少数民族(ムラブリ)を中心に(ときどき日本のホームレス)、小話のようなものを皆さんにお届けしていきます。

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前回紹介した、タイの少数民族ムラブリ。全人口はたったの450人で、狩猟採集をベースに森での遊動生活を送ってきた人たちである。タイでは「黄色い葉の精霊」と呼ばれ、未だに彼らが人間であることを疑うタイ人もいる。だがムラブリは自分たち以外の者を「サル(グウォール)」と呼び、自分たちのことを「人間(ムラ)」と呼ぶ。そんなムラブリには、「挨拶」がない。私たちが日常的に使う「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」といった言葉がないのだ。

 

パチッパチッという焚火の音で目が醒めると、人びとは寝床から出てきて焚火を囲むように座る。子どもたちは焚火で体を温め、父親はネスレのインスタントコーヒーを飲もうと、ヤカンに水を入れて焚火にかけてお湯を沸かす。母親は鍋に水を張って米を入れ、朝食の準備をする。だが誰も「おはよう」などと何も言わない。挨拶言葉がないのだから、と言ってしまえばそうなのだが、調査を開始した当初、朝起きたらまずは「おはよう」と挨拶するものだと親に言われ育ってきた私には、なんとも言えない居心地の悪さがあった。だがそんな私を尻目に、誰も何も言わない。

 

私たちの社会では、挨拶をしないと「半人前」かのようにみなされる。「礼儀がなっていない」という人生の先輩たちからの叱責にあうわけだが、長くムラブリとともにいると、なぜ挨拶をしなければならないのかと疑問に思い始めるようになる。そもそも私たちはなんのために挨拶をしているのだろうか。確かにコミュニケーションを始める第一歩として、挨拶はとても便利だ。しかし枕詞のようにして挨拶から始まる私たちの関係性のあり方は、ムラブリからすると少し異様だろう。「挨拶」がないことに落ちつかない私たちと、「挨拶」があることに違和感を覚えるムラブリ。もちろんどちらが良いということではないが、ムラブリの視点を経由して私たちを逆照射すると、私たちとは何者であるのかわからなくなってくる。私たちはなぜ、「挨拶」をするのだろう。なぜ「しなければならない」のだろう。

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