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レポート 「演劇・舞台芸術」全学共通副専攻公開授業 「不寛容な時代への警鐘―オーストラリア戯曲『ノームとアーメッド』から学ぶ」

演出家・日澤雄介さん

演出家・日澤雄介さん

2017年1月21日(土)の3~5時限に、「演劇・舞台芸術」副専攻は、東京都調布市公営のせんがわ劇場で公開授業を行いました。せんがわ劇場では2月9~19日に、「海外戯曲リーディング」という企画が行われます(http://www.sengawa-gekijo.jp/kaigaigikyoku/)。これは世界7カ国の現代戯曲を、日本の演出家・俳優たちがリーディングという手法で上演するものです。今回の公開授業は同企画で上演される作品『ノームとアーメッド』について、公演に先行して学習する内容でした。

1968年にオーストラリアで初演されたアレクサンダー・ブーゾ作『ノームとアーメッド』は、今日まで継続的に上演が重ねられて古典としての評価を確立し、現在ではオーストラリアの多くの高校生が、学校で教科書として学んでいます。しかし初演当時は先鋭的な小劇場運動の象徴的作品として、官憲からの弾圧に対抗しながら上演されたものでした。物語はシドニーの真夏の夜に、パキスタン人留学生アーメッドが、白人中年男性のノームに呼び止められることから始まります。アーメッドは相手のペースに巻き込まれて、ノームの目的も分からないままにオーストラリアの歴史、体制、国民性から日々の孤独に到るまで語り合いますが、最後にはアーメッドに思いもかけない出来事が待ち受けているのです。半世紀前に生まれながら、レイシズム、他者への不寛容というテーマゆえに今日的な意味をむしろ増大させているこの作品は、せんがわ劇場で今回、ついに日本初演を迎えることになります。

ディスカッションの様子

ディスカッションの様子

公開授業は、担当教員による作品解説、『ノームとアーメッド』の試演、そして俳優・演出者・翻訳者を含めたディスカッションで構成されました。試演とディスカッションには、公演の演出を務める日澤雄介さんと、演じ手の石原由宇さん、山森信太郎さん、桒原秀一さんに参加してもらいました。これらゲストの方々と学生たちとの間で行われた作品自体や試演に関するディスカッションは、とても充実したものになりました。授業の日が、アメリカの大統領の就任式と重なったこともあり、移民・難民に対する排他的な世相について、作品を通して改めて考える学生もいたようです。またリーディングの形式や、外国戯曲の翻訳の問題や日本人俳優が演じることの問題など、学生からの発言と質問は多岐にわたりました。

参加した学生からのレポートを紹介します。

柏木舞波(スポーツ科学部 スポーツ科学科)

『ノームとアーメッド』をみて、事前に本を読んでいるのだから結末がわかっているのにも関わらずなぜだかすごく緊張したというのがわたしのこの作品への印象である。しかし、これほどの緊張感を持ってみれるのはなにか共感する部分があるからなのではないかと感じた。この作品の何処に共感する部分があったのか考えたいと思う。
まず、私はこの作品を見て、なぜオーストラリアの数十年前の戯曲を今ここでやるのかと思っていた。私自身の出した結論は、上記の通り、なにかいまを生きる私たちにも共感する部分があるからだろうということである。しかしこれを演者の立場からどのようにお考えか聞いて見たいと思い質問に至った。そのなかで私が一番印象に残ったお答えが演出家の日澤さんの「疑似体験」という言葉であった。この人種差別というのは日本では実感する機会は少ない。なぜなら現在の日本はそこまで多文化が混ざっているわけではないからだ。しかし、これから多文化化が進む可能性は大いにある。そのなかで自分たちはどう考えるのか疑似体験するというのは必要なのではないかとおっしゃった。私はこれは私の中にはなかった新たな考えだと思った。
また私はこの劇をついついアーメッドの立場に立って見てしまう。というのも、オーストラリアにパキスタン系の友達ができたからなのかもしれない。さらにもし私が将来留学に行ったらアーメッドと同じような感覚を抱くかもしれないとも思った。アーメッドの振る舞いはノームに無礼がないようにとしているのがなぜだかその丁寧さがノームの癪に触っているように思う。自分の振る舞いが無意識に相手を攻撃していないか、これは日本で今のように暮らしている時もだが気をつけなければならない。日澤さんの「疑似体験」という言葉を聞いて初めはそのように考えていらっしゃるのかと思ったが、私も自然に友達を当てはめたり、自分もこんな状況になるのかなと考えていた。これこそ疑似体験なのかもしれない。私は今回の劇にリーディングは適していると思った。なぜならリーディングならどの状況にも当てはまるからだ。授業における感想の中には、自分のバイト先の状況を当てはめる人、現在の留学中のことを当てはめる人などさまざまな状況を当てはめて考えていた。これはリーディングという言葉以外の無駄なものに目がいかないからこそ感じられることかもしれない。そういう意味で今回リーディングという手法を用いてノームとアーメッドを現代の日本で再演することには大きな意義があると感じた。

『ノームとアーメッド』試演

『ノームとアーメッド』試演

吉田久恵(文化構想学部 社会構築論系)

今までまったく演劇に触れる機会がなかったので、「試演」という形で生で見ることが出来て良かったです。最後の最後まで、ノームとアーメッドが腹の内を明かさない、ぎこちなさを抱えながら劇が進んでいくように見えました。
日本の社会では、あの二人は誰と誰にあたるのでしょうか。母が在日韓国人三世で、昭和の頃、いつまた差別されるかと恐怖を感じていた日々を送っていたことをよく聞かされました。ふと、そのことを思い出しました。今日の社会でさえも、突然舞い込んでくる差別や偏見に、私自身もたまに怖くなることがあります。永遠に消えないとしても、減って欲しいと思います。マジョリティの中の弱者の怒りやフラストレーションが、マイノリティにあてられない社会を望みます。

(報告:法学学術院 澤田敬司/写真提供:せんがわ劇場)

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