比研共催シンポジウム:「イギリス人権法25年の軌跡と展望」
日 時:2024年6月29日(土)13:00-16:30
場 所:早稲田キャンパス 8号館303会議室
主 催:比較法研究所共同研究イギリス最高裁研究会
共 催:早稲田大学比較法研究所
参加者:42名(うち学生10名)
イギリスの1998年人権法は、欧州人権条約を国内実施する法律で、2000年に施行され約25年となる。このシンポジウムでは、①人権法がイギリス憲法に及ぼした影響(倉持報告)、②施行後に生じた批判(愛敬報告)、③欧州人権条約からみたイギリスの批判(建石報告)、④人権法の意義(江島報告)を討議した。結果を要約すれば以下の通りである。
イギリスは、国会が国の最終決定権(主権)をもち、国会の権力行使を法で制約しない、政治的な憲法運営体制である。この文脈で1998年人権法は、司法部が立法・行政部に及ぼす新たな統制力となりうる。
ところが、施行直後の10年間はイギリスは国際テロ対策に追われた。そのため、人権保障とは、市民的自由を脅かすテロリストに人権を保障するかの外観を呈し、保守党議員などに反発が生じた。その時期にあっても人権を保障するために、イギリスの裁判所は欧州人権裁判所の判例を「考慮」すべしとした人権法の規定を強く読み、人権裁判所判例を鏡のように忠実に反映させるべきとの立場(鏡原則)を唱え、テロリストにも及びうる人権保障は、国会が裁判所に命じた「考慮」の結果だと論じて、立法・行政部のテロ対策措置の人権侵害的部分を抑制した。
しかし2010年代以降は、鏡原則が市民的自由の伝統(伝聞証拠排除則の運用)や政治的憲法運営に反すると感じられる例(受刑者投票権の保障)も生じた。そこから鏡原則への批判が生まれ、イギリスの裁判所は立場を修正し、十分に理由がある場合は人権裁判所の判例に従わないとした。同時期、イギリス政府も、欧州人権条約を批判し、同条約の役割は「補完的」にすぎず、締約国には人権保障の「評価の余地」(裁量)があることを人権条約に明文化させた。ただしこれらの点は人権裁判所の判例がすでに認めており、人権条約の運用が変化したわけでもなかった。
このように1998年人権法は批判を呼んだが、その多くは政治的憲法体制の運営に伴うもので人権法固有ではない。人権法に独自の意義を見出すとすれば、世界にある様々の人権をめぐる討論・対話の制度にイギリスを組み込んだ点、またそれが逆にコモン・ローの新展開(コモン・ロー上の憲法的権利論)を生んだ点にあるのではないか。
(文:中村民雄・比較法研究所研究所員)