栗原健太(修士課程(文化人類学コース)在学生)
文化人類学コースを志望するまでの経緯
私は大学受験の際、考古学を学びたいと考えて早稲田大学を受験しました。その結果、合格したのは文化構想学部のみ……。考古学の講義を受けることはできても考古学コースには入れないという事実を前に、迷いながらも進学を決めました。そして、学部1年生の春学期から「なにやら考古学に近しい雰囲気を感じる」という漠然とした印象を決め手に様々な文化人類学の講義を受講しました。それらの講義の面白さに惹かれ、3年次からは文化人類学コースの教員である國弘暁子先生のゼミに入り、ゼミ論文では「ホームレス」をテーマに選んで、公園で生活している人に聞き取り調査を行いました。
このような学部生活の中で、大学院進学の契機となったことが2つあります。1つはゼミ論文執筆の経験です。私は好奇心がある割に臆病な性格なのですが、ゼミ論文の調査を通じて、文化人類学は臆病な自分を普段関わることのない人々や環境の中に引きずり込んでくれるものだということに気がつきました。たった数日間の調査でもそれを感じられたのなら、長期のフィールドワークではどのような経験ができるのだろうか。フィールドワークを通じて自分の世界を広げたい。そのような考えが大学院進学の動機になりました。
もう1つは、人類学者デヴィッド・グレーバーの著書『アナーキスト人類学のための断章』との出会いでした。この本から他の著作にも触れていく中で、グレーバーが軽やかな筆致で描く自由な思想の根底には、フィールドワーク先での経験があるということがわかりました。既存の理論から物事を見るだけではなく、現場から理論を組み上げる人類学を自分もやってみたい。これがもう1つの進学動機となりました。
文化人類学コースの雰囲気、教員・学生などとの交流
文化人類学コースの雰囲気を一言で表せば、「自由」だと思います。学部のゼミでもそうでしたが、自分がやりたいと思った研究テーマやフィールドと指導教員の先生方のご専門が異なっていても、自分の意志にしたがって突き詰めることが可能です。これは指導教員の先生だけではなく、コースの先生なら誰でも研究の相談に乗ってくださるという指導体制によって支えられています。
また、コース室では壁一面に並んだ文化人類学関連の文献を借りることができたり、パソコンやプリンターなどの設備が整っています。コロナ禍では、同期ともパソコンの画面上でしか話す機会がありませんでしたが、それ以前は先輩方とコース室で研究の相談から雑談に至るまで楽しく過ごしました。対面授業が再開してからは後輩たちも加わって、コロナ禍で減退した活気が戻ってきているように思います。
修士課程での研究を振り返って
修士課程入学直後に興味を持ったのが、自らの手で家などを建てる「セルフビルド」という行為でした。このテーマを選んだ理由には、セルフビルドを研究する過程で自分もセルフビルドができるようになるのではないかという邪な考えがあったことを告白せねばなりませんが、フィールドワークを長期間継続する上で個人的な動機も大切だと考えています(このテーマはフィールドワーク中に変化していくことになるのですが……)。
こうして一旦のテーマは決まったものの、自分の身近にセルフビルドをやっている人がいなかったため、S N Sで「セルフビルド」と検索し、そこで知った方に連絡を取って会いに行きました。その後、紆余曲折あり、鳥取にあるシェアハウスに滞在しながら、とある工務店の建設現場にアルバイトとして参加するという形で計9ヶ月のフィールドワークを行う機会に恵まれました。
人類学関連の書籍ではしばしば、「フィールドでの経験を通じて自らを問い直す」、「何かを明らかにするというよりも、既に自明だと思われていることに揺さぶりをかける」というような旨の言葉が登場しますが、私のフィールドワークも単なる調査を超えて、これまでの人生観が崩され、変化するような体験となりました。大学院に進学し、時間をかけて調査・研究する中で、このような体験ができて本当に良かったと思います。
修了後の予定
修士課程修了後は博士後期課程に進学し、鳥取の建設現場からエジプト考古学の発掘現場にフィールドを変えて博士学位申請論文の執筆を目指す予定です。また、修士課程におけるフィールドワークで感じたものを自分なりに解釈し、自らも実践するような、研究と実践を往復する活動をしていきたいと考えています。
プロフィール
東京都出身。早稲田大学文化構想学部複合文化論系を卒業後、早稲田大学大学院文学研究科文化人類学コースに進学。修士論文の題目は「現代日本における地方工務店の活動に関する研究—鳥取県の令和建設を事例に—」。修了後は同コースの博士後期課程に進学。エジプト考古学の発掘現場を対象とした科学人類学的研究を予定。
(2023年2月作成)