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国際オンライン ラウンドテーブル 身と心の位相――源氏物語を起点に 開催報告

この「国際オンライン ラウンドテーブル」は、2020年3月12日から14日までの3日間、パリにおいて開催されるはずであった国際シンポジウムに代わる催しであり、Zoom(ウェビナー)を利用しておこなわれた。

パリのINALCO(イナルコ=フランス国立東洋言語文化大学)およびパリ大学(旧パリ・ディドロ大学)に所属する日本文学研究者のグループは、15年以上にわたって『源氏物語』のあらたなフランス語訳に取り組みつづけているが、それと併行して『源氏物語』を軸とした研究プロジェクトを3年周期で積み重ねてきている。2018年から2020年の3年間については、「身と心」を研究テーマとし、2018年および2019年にINALCOで開催された研究集会をふまえ、最終年の2020年3月には上記のように大がかりな国際シンポジウムが予定されていた。残念ながら、新型コロナウィルスの感染拡大のため、シンポジウムは中止を余儀なくされたが、フランス側と、SGU早稲田大学国際日本学拠点との間で相談を重ね、国際日本学拠点がZoom利用によるラウンドテーブル形式の運営を引き受けることとなった。ちょうど9ヶ月遅れの開催ということになったが、登壇が予定されていた発表者、ディスカッサントの大半がそれぞれの国・地域から出席し、「身と心」をめぐる議論が交わされた。

「身」という概念、また「心」という概念については、パリの研究グループのメンバーが『源氏物語』のフランス語訳、および研究集会・シンポジウムなどの開催をかさねる中で、かなり前から関心が高まっていたという。端的にいえば、日本古典文学における「身と心」は、西欧のsoul(英)-âme(仏)とbody(英)-corps(仏)との対立的な関係とは大きく異なる。とりわけ「身」という言葉はかなり多義的かつ多重的であるとともに、ときには「心」「人」「我」などの言葉と意味がかさなったりすることもある。そのように注目すべき「身と心」をめぐって、十本の発表が組まれた。なお、今回のラウンドテーブルでは、当初予定していたシンポジウムのようにたっぷりと時間をとることができないことから、発表者全員のレジュメを参加予定の方々に対して事前に配信し、それらをあらかじめ確認してもらった上での参加を促すという方法をとった。

国宝源氏物語絵巻 東屋二  (徳川美術館蔵) Wikimedia Commons

第一日(12月12日)、ダニエル・ストリューヴ氏(パリ大学)の挨拶につづき、「第一セッション 身と心:奈良から平安へ」では、3月に予定されていた国際シンポジウムでは基調講演者とされていた小松靖彦氏(青山学院大学)が最初に発表され、まず「身と心」の問題が古典文学のみならず、近現代に至るまで日本文学の重要なテーマであったことを明らかにされた。その上で、『萬葉集』の時代から中世に至るまでの「身と心」の思想の展開と深化について、「身」および「心」のそれぞれに関する図解をも添えて論じられた。二人目はダニエル・ストリューヴ氏で、『源氏物語』に登場する最後のヒロイン浮舟をめぐる「身」に焦点を絞った発表をされた。その「身」に関する表現を追いもとめることで、この女主人公の内心のドラマが浮き彫りになることが明らかになった。三人目の張龍妹氏(北京外国語大学 北京日本学研究センター)は、小松氏もとりあげていた紫式部の「身と心」の連作歌を対象とする発表であったが、平安時代の文学に多大な影響を与えた白居易の漢詩における身心観、さらに儒家的身心観をも確認した上で、紫式部と白居易の違いなどを論じられた。なお、それぞれの発表のディスカッサントは、順にミシェル・ヴィエイヤール=バロン氏(INALCO)、兵藤裕己氏(学習院大学)、イフォ・スミッツ氏(ライデン大学)が務められた。

源氏物語絵色紙帖 總角(京都国立博物館蔵)
ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

つづく「第二セッション:身と心が作る関係の構図」では、まずポール・シャロウ氏(ラトガース大学)が、『源氏物語』の「宇治十帖」、特に「総角(あげまき)」巻における薫と大君・中の君姉妹の関係を解析された。たとえば、大君の発言にみえる特異な表現、すなわち姉妹で「身を分け」ている自身(大君)の「心の中」を中の君に譲ることによって、妹と一緒に薫と逢うつもりになる、という箇所などがクローズアップされた。つづくキース・ヴィンセント氏(ボストン大学)は、『源氏物語』を嫌ったことで知られる夏目漱石が、正岡子規とのホモソーシャルな親交から、逆説的に『源氏物語』におけるヘテロソーシャルなあり方を摂取している可能性を論じられた。具体的には「須磨」巻と『門』、「夕霧」巻と『明暗』との間にみられる共振関係がとらえられた。三番目の寺田澄江氏(INALCO)は、泉鏡花の『春昼』と『春昼後刻』に関して、小野小町と和泉式部の和歌が現実の世界と夢の世界の境界、あるいは生と死の境界を越えさせる機能をもつことなどをとらえた上で、鏡花作品の「身」「心」「魂」といった語が古典作品のそれらと同じ強度で用いられていること、特に「身」については存在の包括的把握という意味があることなどを論じられた。なお、このセッションでは木村朗子氏(津田塾大学)が二人目までのディスカッサントを、また助川幸逸郎氏(岐阜女子大学)が三人目のディスカッサントを務められた。

第二日(12月13日)の「第三セッション 身と心:平安から中世へ」では、まずエドワード・ケーメンズ氏(イエール大学)が、『源氏物語』においてもっとも頻繁に引用される藤原兼輔の歌にもとづく「心の闇」に関して発表された。「闇」の性質を中国の経典などの例、日本のさまざまなジャンルの例などに照らしてとらえるとともに、ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』、またジョン・ミルトンの『失楽園』にみられる「闇」「心の闇/闇の心」なども対象に加えて、インターテクスチュアルな「読み」の可能性を示された。つづく山中悠希氏(東洋大学)の『枕草子』を対象とした発表においては、主従間での「心」の交流が多く記される一方、「身」については宮仕え前半期と後半期で用いられ方が変化していることがとらえられた。さらに、主従関係の規範とされる村上天皇時代を描く「村上の先帝の御時に」の段について、丁寧な読解にもとづくあらたな解釈が示された。つづいて陣野英則氏(早稲田大学)は、『古今集』と『篁物語』、さらに『源氏物語』「帚木」巻の特徴的な「身と心」の例から、特に「身」の有する精神性・融通性などをとらえつつ、その間主観的なあり方を指摘するとともに、物語叙述の語り手のあり方などとの関わりについても示唆した。セッションの最後に渡部泰明氏(東京大学)は、西行という遁世歌人にフォーカスした上で、理想と現実の境界を詠むという和歌の本質にもふれながら、「境界型歌人」としての西行たちが和歌史の中で果たした大きな役割をおさえられた。それとともに、西行の和歌がもっている語りかけるような文体、あるいは対話的文体の魅力を明らかにされた。なお、このセッションのデイスカッサントは、順に佐藤勢紀子氏(東北大学)、マティアス・ハイエク氏(パリ大学)、助川幸逸郎氏、陣野英則氏であった。

「第四セッション 総合討論」では、アンヌ・バヤール=坂井氏(INALCO)の司会により、発表者、ディスカッサント、さらに参加者からの質問に応じた討論が繰り広げられた。まず、坂井氏から、「身と心」といった二項対立的なものの間の葛藤が文学を生みだすという見解が示されたのち、世界の文学の中における日本文学の普遍性と特異性という問題、ジェンダーに関する問題、演劇性との関わり、時間という問題との関わり、さらに「心」に関しては「有心」「無心」という観念、また「身」にともなう諧謔性等々、「身と心」をめぐるさまざまな問題のありかが確認され、議論される場となった。

最後に、この「身と心の位相」の企画の牽引役であった寺田澄江氏の挨拶により、オンラインによる国際ラウンドテーブルは締めくくられた。

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