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国際シンポジウム「古代史料に見る歴史と文学」を開催

国際シンポジウム 古代史料に見る歴史と文学

The International Symposium: Perspectives on Japanese history and literature from ancient historical records

 

本学の高松寿夫教授による開会の辞と、川尻秋生教授の趣旨説明の後、報告が始まった。

午前最初の発表は、ブライアン・ロゥ氏「村落への心響く教え―東大寺諷誦文稿と在地仏教を中心に」である。本発表では、「国家対民衆仏教」という構図が再検討され、民衆仏教という概念には問題が存すること、また古代仏教主体者・担い手の問題が指摘された。布施・受戒により貧困から逃れられることが説かれていることから、仏教信仰が国家レベル、地方レベルのみならず、在地の貧困層にまで及んでいたことが想定される。仏教受容の担い手・主体者についても、国家だけが主体者とは考えられず、多数主体者を想定すべきだという。在地レベル、貧困者レベルでの主体性についても考える必要があることが指摘された。

「東大寺諷誦文稿」という実際的な資料に基づく報告であり、当時の仏教受容についてはより資料に即した精緻な検討が求められることが、改めて確認された。「読者」の問題が言われて久しいが、やはり誰に向けてのものなのかという視点は、資料を検討するには欠かせないものであろう。読者の想定は資料の性格をどう捉えるかにも直結する。本発表においては、大きな枠組みの認識にも関わる重大事であることが示されたといえる。

続けて藤本誠氏「『日本霊異記』の史料性をめぐる諸問題―禁煙の日本古代史研究・上代文学研究の状況を踏まえて」である。はじめに史料性に関する研究史の整理があり、法会・寺院という仏教儀礼の場で捉える視点、宗教実践書として捉える視点といった重要な点が確認された。『日本霊異記』中巻第九縁からは、国家の仏教政策の影響がこの説話の構造にまで及んでいることがわかる。また同じ『霊異記』の戒律関係説話からは、在地に持ち込まれた仏教の世界観には官大寺僧が理解していた国家仏教的な要素が重層していたことが考えられる。景戒の『日本霊異記』編纂は、仏の言葉を記すという認識を持った宗教実践であり、法会の説法での仏の言葉による教化とには類似の認識があるという。

『霊異記』成立の背景を資・史料により丹念に後付けしながらの論であった。上代文学研究においてもテキスト論的研究の積み重ねは大きいが、藤本氏の発表は、文学方面からの考え方と歴史学的な成果と、その両面からの追究が必要であることを教えてくれる論である。あらゆる資・史料は社会的背景、歴史的背景をもって成立しているのであり、同時にそれぞれ強弱はあっても執筆、編纂、記述等の意図がある。大きな視点と個別に分け入っての視点とをもって考察を深めていくのが肝要であろう。

午後最初発表は、マシュー・フェルト氏「『日本書紀』と知識生産:平安朝における日本紀講筵」である。平安初期から前期にかけて行われた『日本書紀』の講書(日本紀講筵)については従来、『日本書紀』や『古事記』等の神話が「一元化」した場であるとして注目されてきた(神野志隆光)。しかしフェルト氏は、日本紀講筵として一つに括って扱ってきた従来の態度を批判する。本発表では具体的に、多人長による「光仁私記」序と、矢田部公望の私記である「丁本」が比較検討された。前者から読み取れるのは真実を伝える『日本書紀』と他の書物という構図であり、『日本書紀』の歴史資料としての価値が問題とされている。後者の時代においては数度の講筵を通して『日本書紀』の絶対性はもはや前提となっている。『日本書紀』は万物を説明づける正典であり、『日本書紀』と結びつくことによって知識が成立していくという。

「日本紀私記」からうかがえる日本紀講筵について、それぞれの特徴を捉えるべきだという指摘は、数度にわたる日本紀講筵を基本的に一括りにしてきた研究史に反省を促すものである。そして本発表では、光仁と承平とのそれぞれにおける『日本書紀』の位置づけの違いが明示された。成立以来、古代の歴史の中心とされてきた『日本書紀』への視点は、やはり個別の資料の詳細な分析が必須であることが改めて確認された。

午後の二人目は、桑田訓也氏「木簡から『日本書紀』の史料性を考える」である。『日本書紀』と木簡とはこれまでも研究で用いられてきたが、二次史料の『日本書紀』の記載内容を一次史料の木簡で検討するという方法が多くとられてきた。桑田氏の発表は、『日本書紀』の表記の統一という点について、木簡を手がかりに検討するものである。『日本書紀』や木簡を見ると、固有名詞についても多様な表記が許容されていたさまがうかがえる。本発表では、ヲハリ(「尾張」・「尾治」)、ヲハリダ(「小墾田」・「小治田」)タヂヒ(「丹比」・「多治比」・「蝮」)といった具体的な地名・人名が取り上げられ、『日本書紀』と木簡での表記の相違が示された。桑田氏のいうように、『日本書紀』では「治」の表記を使わない傾向にある。その理由として桑田氏は、中国風用字の志向の可能性を示唆した。

桑田氏のいうように、『日本書紀』の用字には明確なルールがある。当時確かに存した実際の様々な表記と比較検討することで、『日本書紀』の目指したものもあぶり出されてくるであろうし、それは『書紀』が描こうとした歴史そのものを解き明かすことにつながる。正に『日本書紀』が成立した時代の生の資料たる木簡は、今後もっと活用されていくべきであろう。

休憩を挟んで仁藤敦史氏の報告、「『日本書紀』における語りと史実-国譲り神話の成立過程を中心にして-」である。『古事記』・『日本書紀』が国譲り神話の主体として伝えるのは大国主神(オオナムチ)であるが、仁藤氏はその前段階として、倭大国魂神による国譲り神話が存したことを想定する。倭大国魂神は倭直―倭国造が奉斎する神であり、プレ出雲臣―出雲国造が奉斎するところの大国主神(オオナムチ)への変更が、欽明朝になされたという。欽明朝には原初的な杵築大社の造営と祭祀が、出雲臣―出雲国造に任じられた。そして欽明朝の伝承に見られるような原初的な「建邦」(国作り)の神と神宮造営の関係や、帝紀・旧辞の成立と神話体系の整備、国造制の施行は、大国主神の国譲りが「国主」服属強調としての意味を持つことと関係する。『書紀』の語りにおいては宗教的な事柄は崇神・垂仁朝に集中するが、史実としては欽明朝以降の出来事が反映していると考えられる。

欽明朝は従来も原帝紀・旧辞成立の時期等、さまざまな画期として注目されてきた時期である。本発表においても、記・紀神代の山場の一つともいえる国譲り神話の成立について、やはり欽明朝の重要性がクローズアップされた。一方で、祭祀体制の完備を伝える時期は記・紀において崇神・垂仁朝とされている。仁藤氏の想定通り、崇神・垂仁朝に宗教的な出来事を集中させる操作が欽明朝以降になされたのだとしたら、その崇神・垂仁朝自体の「史実」を掘り起こす方法も考える必要が出てこよう。系譜的な伝承も含めて、崇神・垂仁朝の史実性、崇神・垂仁朝の「語り」(両朝に対するイメージを含む)についても考えたくなった報告であった。

最後の報告は高松寿夫教授「『日本書紀』に記された対百済外交文書」であった。「『日本書紀』には日本の文筆の歴史がどのように記録されているか」という関心に基づく発表である。まず「『日本書紀』文筆関連記事一覧」表が示され、『日本書紀』で文字を書くという表現がある箇所に関して概観した。またこの表をもとにした「『日本書紀』文筆関係記事の累積」と題されたグラフが示され、欽明朝、推古朝、大化の改新の頃といった時期に文字のやり取りに関する画期を見ることができるという。また『日本書紀』欽明天皇五年三月条に載る百済から欽明天皇への上表文の特異性が示された。随の煬帝と推古天皇とが交わした慰労詔書はおそらく実際のやり取りがそのまま記載されたものであろう(一部表記の改めはあるものの)が、実際には使者の口上による伝達内容もあったと思われる。そうしたことを踏まえると、欽明天皇五年三月条の上表文は、異様な長さを持つことがわかる。またこの上表文には「爾其戒之」「喜懼兼懐」といった中国史書にも見える表現があり、言い回しとして蓄積のある表現を、文脈に合わせて用いていることがわかる。

発表中にも触れられたように、「孝」という理念についても『日本書紀』はあるべき史的展開を叙述している。今回発表されたように、文筆に関しても画期といえる時期がありそうなことはとても興味深い。それが欽明朝、推古朝、大化の改新の頃というこれまでも注目されてきた時期(欽明朝は仁藤氏の発表でも触れられたばかりであった)と重なることには注意が必要であろう。「孝」同様、文筆の史的展開について『日本書紀』がどのような構想を持っていたのか、追究が待たれる。

ディヴィッド・ルーリー氏のコメントでは、まず「歴史と文学の違いは何か」」という大きな問題が提起された。その違いは、対象よりはアプローチの方法が重要である。そしてともにテキスト(想像の空間と考えるべきとルーリー氏はいう)を対象にする点は同じであり、本シンポジウムの発表で取り上げられた対象についても、歴史学・文学を交差させるアプローチが必要である点がいくつも指摘された。

河野貴美子氏からは、まず個々の発表へのコメントがあった。その上で全体としての問題として、言葉・文字を書く、編纂するということはどういうことなのかという指摘があった。文字を書く際の規範、書物を編纂される時の規範は何か。一方では大陸に規範となる書物があったのであり、そうした先例を見ながら何を作ろうとしたのか。国語学的成果もあわせて、全体的に考える必要があるという指摘であった。

続けてコメントを受けての発表者からの応答があった。無常について、『日本霊異記』の編纂目的と国語学的視点について、『日本書紀』の扱われ方が弘仁と承平の日本紀講で変化した理由、『日本書紀』の訓読の問題、固有名等の表記の統一化の目的、『日本書紀』の史料批判、『日本書紀』の儒教・礼等が取り上げられた。再度のコメントにおいては、一次史料と二次史料の問題、儒教の経典等についても再度触れられた。司会の川尻秋生教授からは、歴史学と文学の相違についても部分への視点、全体への視点という観点からコメントがあった。そしてさらに、文学と歴史とをどう交差させることができるのかという点について、登壇者に意見が求められた。また会場からも活発に意見が寄せられ、正典と言葉、世界の正典と『日本書紀』、訓読と「語る」ということ、規範とテキストといった点がさらに取り上げられた。

普段歴史と文学とはそれぞれに棲み分けられており、必要に応じて互いの成果を参照してきている面はある。しかし本シンポジウムで討論されてきたように、やはり古代をトータルに知るためにはもっと積極的な交流と成果の摂取が必要であろう。討論の部でも議論の深まりとともに次々と論点が示されていったのが印象的であった。

最後に本学の李成市教授より閉会の辞があり、午前からの会は盛会のうちに終了した。

 

<シンポジウム概要>

タイトル:

国際シンポジウム「古代史料に見る歴史と文学」

The International Symposium: Perspectives on Japanese history and literature from ancient historical records

開催日:2019年1月20日(日)

スケジュール:第1部 10:00~11:30  第2部 12:30~16:50

会場:早稲田大学戸山キャンパス33号館6階 第1会議室

登壇者:

ブライアン・ロゥ(ヴァンダービルト大学助教授)

藤本 誠(慶應義塾大学助教)

マシュー・フェルト(フロリダ大学助教授)

桑田訓也(奈良文化財研究所主任研究員)

仁藤敦史(国立歴史民俗博物館教授)

高松寿夫(早稲田大学教授)

コメンテーター:

ディヴィッド・ルーリー(コロンビア大学上級准教授)

河野貴美子(早稲田大学教授)

総合司会:川尻秋生(早稲田大学教授)

開会の辞:高松寿夫(早稲田大学教授)

閉会の辞:李 成市(早稲田大学教授)

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