早大・UCLA、野村万作氏・野村萬斎氏『早稲田狂言の夕べLos Angeles公演』
米ロサンゼルスにて国際日本学の学術的実践、日本伝統芸能を市民へ
第1日目 5月5日(金)
午前(10:30-12:30)
野村万作講演「狂言に生きて」
カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) Hermosa Room
第1日目の午前は狂言公演に先立ち、一般聴衆を対象に講演会を開催した。キャロリン・モーリー氏(ウェルズリー大学)が野村万作氏の紹介と狂言の解説をおこなったのち、万作氏が講演し、最後に竹本幹夫氏(早稲田大学)が狂言公演の3演目(「梟山伏」「川上」「棒縛」)を紹介した。
狂言には「猿にはじまり狐に終わる」という言葉がある。和泉流の役者が「靫猿」の猿役で初舞台を踏み、「釣狐」の狐役によって基本的な稽古を修了して一人前と認められることを意味するが、万作氏も1934年に3歳で「靫猿」で初舞台を踏んだ。そして現在まで、万作氏が語る日々はまさに狂言に生きた半生である。狂言は今では政府に無形文化遺産に認定された伝統芸能で、日本各地や海外でも公演され、各種メディアでも役者の活躍を日常的に目にするが、その伝承と繁栄はいつの時代も決して約束されたものではない。万作氏にとってもまた狂言に生きることは当たり前ではなく、幼い頃からの修行の日々を経て、十代半ばに歌舞伎に興味を抱くと狂言に反発するようになったという。しかし18歳の時、狂言の簡略化された表現のなかに創造性を発見したことからやりがいを感じ、この世界で生きようと決意した。その後の活躍は多岐にわたるが、今回の講演から特に印象的だった万作氏の狂言への取り組みを二つ紹介したい。
第一が、狂言の特色の再検討である。狂言は一般的に笑いの芸とされるが、万作氏は笑いにとどまらない幅広い表現を持つ演劇であることを示してきた。今回演じた「川上」、新作狂言「楢山節考」、観世寿夫・武智鉄二・木下順二らと組んだ「夕鶴」「月に憑かれたピエロ」「子午線の祀り」等、万作氏を語るうえで欠かせぬ作品には笑いの要素が少ないものが目立つ。狂言であれ新劇であれこれら笑いに頼らぬ演目で武器となるのは、狂言が持つ言葉の力とそのしゃべり方だという。歌舞の要素が強い能や歌舞伎と比べて狂言は言葉と動きが重要だが、万作氏は日本の演劇は言葉を軽視してきたと述べる。笑い以外に注目することで狂言の演劇としての新たな価値を示すこと、狂言の言葉としゃべり方を通じて新劇に挑みそのうえで狂言の様式そのものを再検討すること、そして狂言を美しい日本語を考えるための手本にしたいという思いが、万作氏の活動の根底にある。
第二が海外における活動である。狂言の海外公演は現在では珍しくないが、その初めは万作氏も同行した1957年パリの国際演劇祭への参加で、能や歌舞伎よりも遅れをとってのことだった(能の初の本格的な欧米公演は1954年のベニス国際演劇祭参加。しかし戦前にも詳細不明ながら上演記録はあるとされる。歌舞伎は1928年のソ連公演まで遡る)。1963年には全米各地で公演後、シアトルに約一年滞在して狂言の普及に励んだが、ワシントン大学の学生に狂言を指導し、各地で公演をおこない、その様子を日本に発信するという精力的な活動であった。万作氏が海外で狂言指導するのはこの時が最初である。その後も様々な国で公演や指導をおこなってきたが、こうした活動の目的は、日本における狂言の地位向上であったという。海外で評価されたことによって日本人が自国の文化を誇るのは浮世絵を例にあげるまでもなくままあることで、その目的は見事達成されたといえるだろう。それと共に、日本の芸能を取り巻く因習や、狂言に対する固定概念とは無縁の人々による率直な反応に接することで、海外における活動は万作氏自身にとっても狂言を見つめ直す貴重な機会となってきた。この話題に関連して1981年夏の渡米について触れておきたい。能の喜多長世氏、日本舞踊の花柳千代氏、長唄の杉浦弘和氏、囃子の堅田喜三久氏らも参加した大規模な伝統芸能のイベントに伴うもので、ニューヨークとワシントンDCでの公演、UCLAにおける実技指導、国際シンポジウム、伝統芸能ポスター展等、様々な企画が催された。万作氏にとって今回のUCLA訪問はこの時以来36年ぶりであり、公演には当時万作氏の指導を受けたウォーカー(土居)由理子氏(サンフランシスコを拠点に能狂言とそのフュージョン作品を制作上演する劇団「Theater of Yugen」創設者。本学卒業生)も来訪したが、万作氏の活動が海外で根付いていることを実感する再会であった。
万作氏は講演の最後に自身の狂言観として3つの言葉を挙げた。「美しくあれ」「面白くあれ」「おかしくあれ」。その順番を狂わせてはならず、特に拘ってきた言葉はもとより所作や姿形など全ての要素に美しさが必要で、そうでなければ狂言は卑俗な喜劇や笑劇になる危険性をはらんでいるという。伝統と革新を両輪に様々な活動に挑んできた万作氏であるが、その原動力は狂言の地位向上と、狂言という芸能に対する飽くなき探求心であり、今日の狂言興隆へいたった道のりそのものが万作氏の歩みと共にあったといえよう。その高みにあってもなお美しい芸を追求し続ける姿が印象的で、大喝采をもって講演は終了した。
午後(1:30-6:00)
国際シンポジウムTraditional Japanese Theater and Theater Studies in a Global Age(世界における日本演劇、伝統芸能研究の将来)
会場:カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) Hermosa Room
パネリスト(五十音順)
アンパロ・アデリナ・ウマリ(フィリピン大学ディリマン校)
ケビン・ウェットモア(ロヨラメリーマウント大学)
埋忠美沙(早稲田大学)
マイケル・エメリック(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
トーマス・オコナー(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
カーク・金坂(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
スーザン・クライン(カリフォルニア大学リバーサイド校)
児玉竜一(早稲田大学)
ローレンス・コミンズ(ポートランド州立大学)
ジョナ・サルズ(龍谷大学)
嶋崎聡子(南カリフォルニア大学)
キャサリン・ショルツマン(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)
ハルオ・シラネ(コロンビア大学)
シリモンポーン・スリヤウォンパイサーン(チュラロンコーン大学)
キャロル・ゾルゲンフライ(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
キャロリン・モーリー(ウェズレー・カレッジ)
竹本幹夫(早稲田大学)
トークィル・ダシー(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
リン・ベン・チュー(シンガポール国立大学)
トーマス・ヘアー(プリンストン大学)
レオナルド・プロンコ(ポモナ・カレッジ)
山﨑順子(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
アシュトン・ラザラス(シカゴ大学)
プログラム
第1部:演劇研究という知の地図
モデレーター:マイケル・エメリック
- アメリカ、東南アジアにおける日本演劇研究の位置付け―「地域研究」「パフォーマンス・スタディーズ」「演劇学」などの系譜
- 世界演劇研究における日本演劇研究の位置づけ
- 日本における伝統芸能、日本演劇研究の位置
- 演劇学と文学、映像学、メディアスタディーズなどとの関わりとその可能性
第2部:なぜ今、日本演劇研究なのか?日本演劇研究から何が生まれるのか?
モデレーター:嶋崎聡子、埋忠美沙
- なぜ伝統芸能を海外で教えるのか
- なぜ海外で伝統芸能を実演し、演技術を継承するのか
- なぜ日本で伝統芸能を教えるのか
第3部:演劇研究の課題と未来
モデレーター:マイケル・エメリック、トークィル・ダシー
- グローバル・フィールドとしての日本伝統芸能の課題と可能性
第1日目の午後は、研究者や学生を主な対象にした国際シンポジウムを開催した。狂言公演と連動した学際的な企画で、早稲田大学・UCLAの共同による国際日本学研究に一層の成果をもたらすことを目指したものである。パネラーとして早稲田大学とUCLAをはじめ、日本・アメリカ・東南アジアの15大学から22名の研究者が集まった。その専門は能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎等の他、伝統芸能をふまえた現代演劇や映像・映画など幅広く、上演活動を伴う者も多く含まれる。その趣意は、多様なバックグラウンドを持つ者による対話を通じ、それぞれの国・言語文化の中で日本の伝統芸能と演劇研究が、文学・文化研究・芸能・無形文化等のどこに学問として位置付けられ、今後どのような研究が可能なのか、国境や言語を超えて未来を模索しようとしたものである。冒頭、プログラムを企画した嶋崎聡子氏がこの趣意を述べ、同じく埋忠美沙氏が日本においては演劇研究が細分化されダイナミックな研究がおこなわれにくくなっている現状と、それを打破する狙いがあることを説明した。
第1部では、それぞれの国における演劇研究の位置づけとその中で可能となる研究・教育の方向性や意義を、「知の地図(=マッピング)」と名付けて共有した。アメリカの事情について嶋崎氏が、「東アジア学部」等の地域研究の学部で言語を取得したうえで日本研究の一環として演劇研究を行う者と、「演劇学部」の中で世界演劇研究の一つとして日本語を使わずに日本演劇を専門にする者、さらにパフォーマンス・スタディーズの中で日本演劇を扱う者に分かれることを示し、これが大学の組織の問題だけではなく日本演劇に対するアプローチの方法にまで深く関わることを述べた。世界演劇研究のなかで日本演劇を専門にしているケビン・ウェットモア氏は、演劇学部の講義における日本演劇の位置付けについて古代ギリシャからミュージカル「ハミルトン」までを論じるなかで10分程度の扱いである等、具体例を交えて実状を示した。同じくキャロル・ゾルゲンフライ氏は、演劇学部における今なお根強い西洋中心主義を乗り越えるために、日本演劇を含む非西洋圏の演劇をノーマライゼーション(一般化)する必要性を述べた。東南アジアの事情はリン・ベン・チュー氏が、演劇研究は分散しており論理的な地図が形成されていない現状や、シンガポールでは日本演劇のうち能の研究が盛んで、それは能のシンガポール公演の影響があること等を述べた。日本の事情については児玉竜一氏が、演劇研究が分野ごとに文学研究の一部として始まり、そこから歴史研究・民俗学研究・音楽研究・教育学研究・芸術学および美学研究等の各分野にも分散して進展したことを述べ、一方で国の機関として扱うところがないことを問題提起した。
第2部では日本演劇を教えることの可能性や意義について、地域や言語圏を越えてディスカッションをおこなった。ローレンス・コミンズ氏が2003年からポートランド州立大学で続けている学生歌舞伎について映像を交えつつ紹介、アメリカにおける歌舞伎研究の第一世代であるレオナルド・プロンコ氏が長年手がけた学生およびプロの役者による歌舞伎上演を紹介、それぞれの活動が教育や地域に果たしてきた役割を述べた。能の事例についてはトーマス・オコナー氏が、来日して演劇の稽古を志した際門戸が開かれていたのが能でありそれをきっかけに「シアター能楽」(外国人による能上演、英語能の制作・上演をおこなう演劇集団)で活動したこと、そして現在のUCLAにおける演技術の指導への影響等を述べた。狂言の事例はジョナ・サルズ氏が、1981年に「能法劇団」(能の技術と西洋演劇の理論の融合を目指した劇団)を立ち上げた経緯や、同年の万作氏のアメリカ公演の詳細を報告した。このテーマに関しては第3部でも、坂田藤十郎氏の弟子として日本で歌舞伎に出演した経験を持つカーク・金坂氏や、フィリピン大学で能の上演に取り組んできたアンパロ・アデリナ・ウマリ氏も研究との関連を踏まえて報告をおこなった。大学における上演の例が様々に示されたが、例えばアメリカにおいて地域研究の学部出身のコミンズ氏は台本を自ら英訳し様式は古典歌舞伎に忠実であろうとし、かたや演劇学部出身でフランス演劇研究を出自に持つプロンコ氏は新作歌舞伎を作り歌舞伎の様式を生かしつつ自由に演じようとするなど、研究の背景に即して上演の手法は異なっている。その一方で各氏に共通するのは実演を通じて生きた演劇として理解することを目指していることで、音楽や身体表現等に独自の様式がある伝統芸能の場合は特に実演の経験が重要になることが言及された。それと共に大学における上演活動は、プロによる海外公演がおこなわれない地域にその演劇を紹介する役割をも担ってきたことがうかがえた。かたや日本の場合、国立の演劇学校がないことが象徴するように古くから研究と実演に距離がある。能について竹本氏は、能研究は長く文学研究者が担ってきたが音楽や戯曲の構造分析の必要性が認識されたことで文学研究者も謡や舞の習得が必須となったこと、しかし個人でその両立は難しく大学における実演に結びつかない実状を述べた。続いて児玉氏が歌舞伎について、他ジャンルと比べて研究と上演に距離があり、その一因として歌舞伎には素人が稽古する文化がないことを指摘し、日本では大学においても伝統芸能を取り巻く様々な因習とは無縁ではないことが浮かび上がった。第2部は当初の予定を超えて大学における実演の話題が多くを占めたが、アメリカでも一様に研究と実演が結びついているわけではなく、地域研究系の学部では文学研究が基盤となる。文学研究にとっての演劇研究の意義について、「東アジア学部」として最も有名なコロンビア大学のハルオ・シラネ氏は儀式や演劇など形が残らないものを通じて中世文学や近世文学への造詣が深まることと指摘して、その具体例を紹介した。なおアメリカでは研究者の世代が下がるにつれ文学研究や演劇研究の基礎を重視して実演を切り離す傾向があることがうかがえたが、プロによる海外公演の一般化や映像(DVD、YouTube等)の普及による日本演劇のグローバル化を背景に、研究者の役割が変容しつつあるともいえよう。
第3部では、日本演劇にどのような価値がありその研究がどのような意味を持ちうるのか、これまでの内容を踏まえてディスカッションをおこなった。多くのパネラーが見解を述べたが、その多様なバックグラウンドを反映して研究に対する意識も多様であった。そのなかでも海外の研究者の発言から共通してうかがえたのは、時代ごとに異なる様式の演劇が生まれそれが淘汰されずに共存するという日本演劇の特徴が、国境や言語圏、そして研究手法を超えて様々な価値を持っているということである。多様な伝統芸能を保持する日本演劇の研究を通じて、例えばアメリカの地域研究においては時代を読み解く洞察力を養い(トークィル・ダシー氏)、同じく世界演劇研究では西洋中心主義に対抗するための事例になり(ゾルゲンフライ氏)、東南アジアにおいては植民地支配の影響で西洋文化が根付く自国の独自の文化を模索する手がかりになるという(ウマリ氏)。ひるがえって日本においては、日本演劇にどのような価値がありその研究がどのような意味を持ちうるのか、考える機会は少ないように思われる。しかし本シンポジウムでも示されたように、外国人による上演やプロによる海外公演の一般化、そして映像メディアの発達により、伝統芸能も日本から離れた場所で様々な観客に観られ様々に解釈され、時には翻訳や新作によって新たな意味を持つようになった。さらに近年、大学の国際化の流れのなかで人文学研究の環境が変わりつつあり、日本国内でも英語で日本文学や文化を教える学部が増えている。今や「自国の文化だから」「伝統芸能だから」という意義を越え、グローバルフィールドにおいての価値を問われるようになったといえるだろう。本シンポジウムの成果を何に見出すかはパネリスト各々のバックグラウンドにより異なるといえようが、日本演劇および人文学研究のグローバル化の転換期にあって、世界における日本演劇の研究・教育の背景と手法、そしてその意義を共有できたことは大きな成果であった。
第2・3日目 5月6日(土)・7日(日)17:00~20:00
「狂言の夕べ in Los Angeles」
会場:Aratani Theatre(Japanese American Cultural & Community Center 以下JACCC)
プログラム:
デモンストレーション「Discovering Kyogen」野村萬斎
「梟山伏」
シテ[山伏]:石田幸雄、アド[兄]:内藤連、小アド[弟]:飯田豪、
後見:中村修一
「川上」
シテ[男]:野村万作、アド[妻]:高野和憲、後見:飯田豪
「棒縛」
シテ[太郎冠者]:野村萬斎、アド[主人]:中村修一、
小アド[次郎冠者]:深田博治、後見:内藤連
2日目と3日目はリトル東京にあるJACCC内のAratani Theatreにおいて、狂言公演「狂言の夕べ in Los Angeles」を開催した。両日とも満員の観客で熱気に溢れるなか、まず野村萬斎氏が「Discovering Kyogen」と題して狂言のデモンストレーションをおこなった。狂言独特の簡素な演出様式やリアルな表現について、ユーモア溢れる語り口で実演を交えつつ紹介し、会場は大いに盛り上がった。そして公演へ移り、野村万作氏・野村萬斎氏・石田幸雄氏ほか「万作の会」の役者5名の出演により3演目を上演した。まずブラックユーモア溢れる「梟山伏」を石田氏が演じ、続いて悲劇か喜劇か観る人によって様々な解釈が可能な「川上」を万作氏が熟練の至芸で魅せ、最後に「棒縛」を萬斎氏が軽妙に演じ、大喝采で幕を閉じた。
なお今回の公演にあわせ、劇場ロビーには23枚のポスターが展示された。これは日本を代表するデザイナーたちの手により、狂言はじめ舞楽・能・日本舞踊・津軽三味線などの伝統芸能をイメージして制作されたものである。このうち半数は1981年開催の伝統芸能のイベントに伴い作られたものの復刻で、万作氏の36年ぶりとなるUCLA来訪に因んだ企画である。このうち福田繁雄氏デザインの狂言ポスターが公演プログラムの表紙を飾り、万作氏の来訪を彩った。
第4日目 5月8日(月)
午前 ワークショップ 会場:El Marino Language School(Culver City)
午後 狂言講座第1回 会場:カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA)
Kaufman Hall Theater
第5日目 5月9日(火)
午前 狂言講座第2回 会場:カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA)
Kaufman Hall Theater
4日目の午前は、Culver Cityにある小学校El Marino Language Schoolにおいて、「万作の会」の深田博治氏・高野和憲氏・内藤連氏・中村修一氏・飯田豪氏が、小学5年生を対象としたワークショップをおこなった。El Marino Language Schoolは英語と日本語のバイリンガルで教育をおこない、LA在住の日本人はもとよりアメリカ人や他の国籍の子供も多く在校する国際色豊かな小学校である。校舎には季節にあわせて鯉幟が飾られていた。子供達は日頃から日本語による教育も受けているため語学が堪能であるが、狂言を習うのは皆初めてである。正座での挨拶に始まり狂言について解説を聞いた後、狂言独特の擬音にあわせた動きや発声を学んだ。特に狂言の演目「くさびら」の茸の動作を用いたゲーム方式の稽古は大いに盛り上がった。子供達は慣れない動作に苦労しながらも講師各氏の丁寧な教えに導かれ、楽しく真剣に学んでいた。同日午後と5日目の午前は、2回に渡ってUCLAにおいて大学生や一般市民を対象とした狂言講座を開催、第1回が石田幸雄氏、第2回目は野村萬斎氏が講師をつとめた。参加者は両日30名程度で、年齢層は幅広く、なかには日頃から演劇や舞踊のトレーニングを受けている者も含まれる。全員で会場を雑巾がけすることから始まり、狂言の解説を聞き、基本姿勢・運歩・基本的な発声等を学んだ後、実際の狂言の演目を部分的に稽古した。受講者は足の運び一つとっても細部にまで神経を行き届かせて動かすことに苦労しており、狂言の高度に洗練された様式が肉体の鍛錬によって支えられていることを実感しているようだった。短い時間ではあったが、萬斎氏と石田氏の丁寧な指導によって、狂言の本質を学ぶ場として非常に有意義な催しとなった。