「人文学は生き残るか」
2017年7月12日(水)16:30~18:00
早稲田大学 戸山キャンパス 33号館 16階 第10会議室
主催:スーパーグローバル大学創成支援事業 国際日本学拠点 (TGU Global Japanese Studies)
共催:早稲田大学総合人文科学研究センター (Research Institute for Letters, Arts and Sciences, Waseda University )
角田柳作記念国際日本学研究所(Ryusaku Tsunoda Center for Japanese Culture)
講演・対談:日本語
質疑応答:日本語/英語
Moderator 河野貴美子(早稲田大学教授) 松本弘毅(早稲田大学研究院准教授)
Closing remarks 上野和昭(早稲田大学教授)
Organizer 十重田裕一(早稲田大学教授)
Coordinator 金ヨンロン (早稲田大学研究院助教)
開会の挨拶
初めに十重田裕一氏(文学学術院教授、国際日本学拠点リーダー)の挨拶があり、河野貴美子氏(文学学術院教授)からDavid Lurie氏(コロンビア大学准教授)の紹介と当日の流れが説明された。
David Lurie氏講演
講演のテーマは、具体的には下の5つである。すなわち、主にアメリカの事情に基づいた、
1)《人文学の危機》という言説
2)危機の複数性・多様性
3)人文学の専攻を選ぶ学部生の比率
4)学部生の一般教育と人文系授業
5)博士課程プログラムと学位を取得した研究者の就職
の5つのテーマである。
1)《人文学の危機》という言説
「人文学の危機」が言われ始めたのは実はそれほど最近のことではない。また、認識される危機と事実上の危機は必ずしも同じではないことにも注意が必要である。
2)危機の複数性・多様性
危機は単一ではなく、複数であり、多様である。言わば「横」の多様性としては、規模の違うそれぞれの大学においての「危機」が存在する。また「縦」の多様性、教育の段階ごとの危機がある。これが3)以降の話題である。
3)人文学の専攻を選ぶ学部生の比率
アメリカで一般に信じられている人文学履修者の減少という「危機」は、事実に基づかないメディアの言説である。そもそもアメリカ文化には「反人文学」的な傾向がある。
また大学教育を即ち職業教育とみなす考えもあり、STEM(Science, Technology, Engineering, and Math)の分野では履修者数が増加している。人文学に対しては、就職できない、生涯賃金が低いなどとも言われているが、これもまた言説であり、実際の数値は他分野と比べても遜色ない。人文学への風説が根付かないよう、こうした事実を大学教員だけでなく、卒業生や、その就職先の企業が説明していく必要があろう。
4)学部生の一般教育と人文系授業
一般教育の中に人文学はどういう役割を持つかを考える必要がある。専門以外の教養課程・一般教育の必修科目を履修する際に、学生が人文学に触れる機会は多々ある。しかし近年では、必修科目の中での人文学での役割が減る傾向にある。大きな大学でも、必修科目を大切にしない傾向にある。人文学の現状、危機を考える際には、必修科目についても目を配る必要がある。
5)博士課程プログラムと学位を取得した研究者の就職
2014年の統計では、博士課程修了者のうち、1/3は大学教員にはなっていない。この「1/3」をどう考えるべきか。博士課程は言わば大学教員になるための「職業教育」と考えがちであるが、そうすると「1/3」はどう捉えるべきなのか。ことは、大学院博士課程は何のためにあるのかという問題につながる。
人文学の危機は、単一ではなく様々な危機がある。その中には認識の危機、言説の危機、イメージの危機もあるが、それは国の決断、学生の決断等に関わるという意味で重要である。また事実上の危機もあるが、それは人文学だけでなく、アメリカの高等教育全般の危機も含んでいる。
David Lurie氏・李成市氏対談
発言:李成市氏(文学学術院教授)
韓国の事例を用いながら、大きくは大学の役割の変化、知的基盤の劇的な変化から論じる。個別には、以下の4つのトピックを取り上げる。
1.市場化の中の大学
2.大学のグローバル化
3.知のデジタル化
4.知の複雑化・細分化
1.市場化の中の大学
日本では誤解に基づく「人文学不要論」が昨今報道されたが、本当の危機は「人文学の数値化による評価」が目前に迫っていることである。これまで国民国家の根幹を支えてきた人文学であったが、「超国家企業体」を目指すようになった大学からは研究費の調達が求められるようになる。
2.大学のグローバル化
国際化の中で、英語による論文をどれだけ発信したかが求められるようになっている。またグローバル化が進む現在では、硬直した学問分野(西洋史・日本史・東洋史という区分、また西洋列強諸国の言語、文学)にも見直しが迫られることになる。
3.知のデジタル化
研究環境は大変化した。デジタル化が進み、「史料を読む」時代から、「史料を検索する」時代へと変わった。こうした時代の人文学の論文は、その性格も変わってくるであろう。
またデジタル化が進んだ韓国では、学会当日に論文がインターネット上にアップされるため、学会参加人数も激減している。人文学にとって、対話は重要であるにもかかわらず。
4.知の複雑化・細分化
韓国では学問の細分化が進んでいる。人文学の価値は常に新しい価値の創出に挑戦し、時代をリードする学問を生み出すことにあるが、細分化が進み大きな視点を持たない研究は、そうした新しい可能性を持つものだろうか。
応答:Lurie氏
1.市場化の中の大学
報告のあった韓国のような状況は、ヨーロッパにも起こりつつある。論文の数値化など、イギリスでも同様である。また人文学を経済的に捉えることには抵抗しながらも、一方では必要経費が他分野と比べて抑えられることは、メリットとして売り出す必要があろう。
2.大学のグローバル化
大学がグローバル化する中で、国民国家をサポートする使命があった人文学はどう生き残っていくのかという問題である。他の国との事情と比較することで、何かが摑めるのではないか(例えば、「アメリカにおけるアメリカ文学」と「日本における日本文学」の比較など)。
3.知のデジタル化・4.知の複雑化・細分化
例えばデジタル機器の使用等、敢えて制限をかけることは、方法としてあるのではないか。
再度応答:李氏
東アジアの危機は連動しているのではないか。近代日本の創出した国民国家のための人文学が、中国・韓国の人文学に大きく影響している。近年の歴史認識問題もそこに端を発しており、人文学はそうした国家間の問題を解決する鍵となるのではないか。
質疑応答
Lurie氏に対して、言説だけでなく、実際に大学教員の中にも現況に悲観的な研究者がいることについてどう考えるかという質問があった。また、李氏に対しては、研究が細分化することに対しての質問、またこれからの人文学はどのような観点から評価されるべきかといった質問があった。
閉会の挨拶
上野和昭氏(文学学術院教授、総合人文科学研究センター長)から閉会の挨拶があり、盛会のうちに講演会は終了した。