知らなかった、ぼくらの日本語――アメリカ生まれの詩人がこれからの列島の言葉を語る
本講演会は、川尻秋生教授(文学学術院長)の挨拶から始まった。
ビナード氏は来日してしばらく、日本語の勉強をする中で絵本をいろいろ読んでいた時期があった。その中で見かけたアンデルセンの童話、『裸の王様』(英題”The Emperor’s New Clothes”)についての分析がまず取り上げられた。例えば「王様」に相当する存在を、”king”、”emperor”、「皇帝」などどう翻訳するかは、それが出版される国や地域によっても異なる。政治的な話題になりやすい語であるからこそ、出版者がその立場を守るための工夫が必要とされるのである。
ある話や言葉が語り直される過程を見ると、その言語での自分の立ち位置が見えてくると、ビナード氏はいう。政治と文学、社会と文学はつながっている。政治や社会とは無関係なものに、無難に仕上げようとしても、そうすること自体が既に政治的な配慮のもとにされたものである。日本語を身につけ、日本語で世界を理解することができるようになったことは、自分の立ち位置を知る上でもとても重要であったという。実際、自国の憲法(constitution)についてビナード氏が理解を深めたのは、日本語を通じてであった。
原爆と広島をめぐっても、鋭い指摘があった。アルファベットで表記された、すなわち英語でのHiroshimaという語は、地名よりも原爆の意が表れるという。アメリカの学校のある副読本には、”Why did Hiroshima happen?”という文が見えるが、これには当然、Hiroshimaすなわち原爆とする意がある。ただしそれだけではなく、“Hiroshima”という言い方には、広島で起こったことは事件ではなく自然現象だと見せかけ、「起きた」こととする考えがある。オブラートに包んだ責任を回避する言い回しであり、この言葉、言い方をする人の立場が表れているのである。
一方、広島での被曝者の体験談を聞くと、原爆のことを「ピカ」という。もちろん物が光ることを表す言葉であるが、広島での原爆投下という特殊な背景を踏まえた、独特の使われ方である。このピカ、またピカドンという言葉は和英辞書では”atomic bomb”と訳され、例文として「私の娘はピカドンでやられた」は、”My daughter was killed at Hiroshima(Nagasaki).”と示されているという。このようにピカ、ピカドンはすなわち”atomic bomb”であると辞書では説明されるものの、感覚的に結びつかないとビナード氏はいう。ピカ、ピカドンには現場にいた「近さ」があり、「立ち位置」が含まれている。実際、ピカは爆心地に近いところにいた人の言い出した(作り出した)言葉であり、ピカドンは少し離れたところで衝撃波を聞いた人の言葉であるらしい。”atomic bomb”は原爆を落とした側の言葉であり、やはり根本的に持つニュアンスは異なるのである。
ビナード氏の軽妙な語り口に会場は終始和やかな雰囲気に包まれており、時折話を振られた来場者も積極的に発言をしていた。最後には陣野英則教授(文学学術院副学術院長、総合人文科学研究センター所長)の挨拶があり、盛会のうちに終了した。
<イベント概要>
日時:2018年10月12日(金) 16:30-18:00
場所:早稲田大学 大隈記念講堂小講堂
登壇者 : アーサー・ビナード(詩人)
開会の辞: 川尻秋生(早稲田大学教授)
閉会の辞 : 陣野英則(早稲田大学教授)
オーガナイザー : 十重田裕一(早稲田大学教授)
司会: 松本弘毅(早稲田大学研究院客員准教授)
主催:スーパーグローバル大学創成支援事業 早稲田大学国際日本学拠点
共催:
早稲田大学 文化推進部文化企画課
早稲田大学総合人文科学研究センター
角田柳作記念国際日本学研究所