Office for Promotion of Equality and Diversity早稲田大学 ダイバーシティ推進室

News

ニュース

座談会「職員の育児休職と育成を考える」

2020年11月19日、「職員の育児休職と育成を考える」をテーマに座談会を開催しました。テーマ1では「男性職員の育児休職について」、テーマ2では「女性職員の育成について」、4名の職員がそれぞれの経験や考えを語り合いました。

参加者
井上文人氏(理事) 大久保幸三氏(政治経済学術院大学院・研究所担当課長)
1999年度に本学の男性職員として初めての育児休職を取得
埇田博子氏(大学院経営管理研究科)
2010、2012年度に育児休職を取得
熊崎雄太氏(グローバルエデュケーションセンター)
2019年度に育児休職を取得

 

Index

イントロダクション

テーマ1:男性職員の育児休職取得率向上に向けて

テーマ2:職員管理職における女性比率向上に向けて

まとめ

イントロダクション

司会:本日は座談会にご出席いただき、ありがとうございます。顔見知りの方もおられるかとは思いますが、初対面の方もおられるようですので、簡単に自己紹介をお願いしたいと思っております。ご自身のバックグラウンドについて、公私両面からご紹介いただければと思います。

井上:1986年入職なので、今年で職員生活35年目です。職員になる前は、学生職員としてエクステンションセンターで働いていました。最初に配属されたのは、当時の事務システム開発室、今でいう情報企画部で、とても忙しい職場でした。当時は、毎週土曜日に「トータルセーブ」という仕事があって、皆さん今では考えられないと思いますが、教務事務データが自動的にバックアップされるのではなくて、40㎝ぐらいの磁気テープに職員が手作業でバックアップを取るという時代でした。夜間学部もあったこともあり、毎週土曜の夜10時くらいからシステムをクローズし、20本ほどのテープを手作業で入れ変える必要があります。一本20分くらいかかるので、作業は深夜4時過ぎくらいまでかかっていました。おもしろいなって思うのは、人間、「そういうもんだ」と思うとそれに慣れてしまうものなのですね、いい意味でも悪い意味でも。とにかく自分に限らず情報系は全般的に結構大変な職場でした。毎日深夜0時くらいまで仕事していて、終電には間に合うから帰ろうと思えば帰れるのに、これは自分が悪いのですが、帰宅しないで近所で飲んで、職場の仮眠室で寝たりして。まあ、大変ではあったけれども、若いということもあってそんなに苦ではなかったです。

今ではありえないことですけど、やはりその時々の社会の情勢の中でわれわれは生きていくわけで、その中で僕らは物事をどう考えていくのか、というのが大きなポイントだと思っています。

結婚は29歳、教育学部にいたときでした。その後の経歴は、教務課を経て、教育システム課(現在の教育企画課)課長になって、オープン教育センター(現在のグローバルエデュケーションセンター)事務長、秘書課長、経営企画課長、教務部事務部長、理工センター長、そして現在(理事)に至ります。

たぶん、日本社会の職場環境がなかなか変わらないのは、昔何か頑張ってきちゃった年配者が日本の経営層にまだ残っているからだと思います。自分の成功体験をなかなか否定できないから、今の若い人たちに対して「もっと頑張れよ」と思ってしまうのが本音なのかも知れません。でもそこは変えなければいけない。今日は頭の古い私を、ダイバーシティ推進室の小高さんがトランスフォーメーションさせるために連れてきたのだろうと考えていて、皆さんの意見、若い人の意見を聞きながら自分も勉強していきたいと思います。

大久保:皆さん、今日、11月19日が何の日かご存じでしょうか。今朝、新聞で知ったのですが「国際男性デー」なんです。「男らしさ」といった固定観念に目を向けて、男女の社会的平等を促す日とのことで、今日の座談会にふさわしいと思いました。

私は、1991年に職員になり、情報部門に配属され、当初はホストマシンを使った入試システムの開発運用を担当し、90年代後半からは黎明期だったeラーニングの仕組みやコンテンツの開発を担当しました。仕事量は多く、夜中まで残業するのが普通という感覚でした。

プライベートでは、1993年に結婚し、1995年に一人目の子どもを持ちました。1999年に二人目の子どもが生まれ、2000年1月から4月まで、早稲田大学の男性職員として初めての育児休職を取らせていただきました。当時、仕事では多くの企業とタッグを組んでeラーニングに関するプロジェクトを複数進めていたところだったので、やりがいや楽しさを感じていたのですが、子育てもやってみたいという好奇心が勝りました。

4か月間の育休期間中に子どもたちと過ごした時間はとても貴重なものでしたが、家事・育児の大変さも身に沁みました。その反動で、復職後は仕事への意欲も増したように思います。ただ、復職直後は家事・育児を妻におしつけてしまったと反省しています。

2006年に管理職となってからは、遠隔教育やFD推進を担当しました。最近の約10年は、商学学術院、理工学術院を経て現在の政治経済学術院に至ります。新入職員時代には井上理事、商学学術院では熊崎さんや埇田さんと一緒に働いてきたので、懐かしい顔ぶれに再会できると思い、楽しみにしていました。

埇田:私は大学卒業後、外資系企業に就職しました。営業を担当していたのですが、結婚や出産後も長く続けられる働き方をしたいという思いから、2006年に本学に転職いたしました。最初の配属箇所は、(国際部学生交流企画課兼)留学センター。2010年に長男、2012年に次男を出産し、育児休職期間を入れると、計9年間在籍し、さまざまな業務を経験させていただきました。長男の出産までは、派遣留学生の支援業務が中心で、海外出張も多くありましたが、育休から復帰後は、受入れ留学生のサポート業務にシフトし、上司や同僚の協力のおかげで、ワークライフバランスを保ちながら業務に携わることができたと感じています。

2015年に大学院経営管理研究科に異動し、現在は学務・学籍業務、企業派遣入試の営業等を担当しています。企業が学費を全学負担し、社員を派遣するという、ビジネススクールならではの入試制度があり、企業の人事担当者を訪問することで、新規開拓や社員派遣の挨拶回りをしています。数あるビジネススクールがしのぎを削る中、「なぜ早稲田なのか」ということをいかにアピールするか、日々考えながら業務をしています。現箇所では6年目に入りましたが、入職以来、まだ2箇所でしか業務経験ができていないので、次は大学全体を見渡しながら働けるような職場環境で、さらに経験を積めたらと思っているところです。

熊崎:大学卒業後、2010年4月に電機メーカーに入社し、その後2014年4月に早稲田大学に転職しました。最初の配属先である商学学術院では約6年間、学科目や教員人事などの学務業務を担当し、今年の7月にグローバルエデュケーションセンターへ異動となりました。今も主に学務関係の業務を担当しています。

プライベートでは、26歳になった2016年に結婚し、2017年9月に第一子、2019年9月に第二子を授かりました。子どもは現在3歳と1歳で、二人とも女の子です。育児休職は2019年12月中旬から2020年2月上旬までの約2か月間取得しました。当時、ちょうど小泉環境大臣が1週間の育児休職を取得するというニュースがあり、男性の育児休職が世間的にフォーカスされていた頃でした。

テーマ1:男性職員の育児休職取得率向上に向けてへ続きます。


記事一覧

イントロダクション

テーマ1:男性職員の育児休職取得率向上に向けて

テーマ2:職員管理職における女性比率向上に向けて

まとめ

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/diversity/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる