【経済政策 × データサイエンス】
企業のイノベーション創出に寄与する政策をデータで検証する
早稲田大学 教育・総合科学学術院 大西宏一郎教授
早稲田大学では、文系・理系問わず、さまざまな分野でデータサイエンスの手法が活用されています。教育・総合科学学術院の大西宏一郎教授は、「経済学」をベースに、企業のイノベーション創出に政府がどのように関与すべきかをさまざまなデータから明らかにする研究に取り組んでいます。データ科学センターの活用を含め、最近の取り組みについて聞きました。
企業の行動データを政策立案に役立てる
——大西先生の研究分野について、詳しく教えてください。
専門は応用ミクロ経済学の一分野の「産業組織論」です。これは企業の行動や産業の構造を分析して、その結果を経済政策の立案などに役立てる研究分野です。主に政府・企業・家計(消費者)という3つの経済主体のインタラクションを分析して、経済学の理論を現実世界に当てはめていくモデルを模索しています。例えば、政府が特定の企業や産業に対して支援策や規制をつくるときに、その根拠となる経済理論を提示するのが、産業組織論の役割だといえます。
さまざまな研究テーマの中で特に注目しているのが「企業のイノベーション創出」です。これは、企業が主体となって発明をしたり、新たなビジネスを生み出したりすることを指しますが、イノベーションを市場に委ねているとなかなかうまくいかないことも多い。そこで政府の介入が必要になるわけです。例えば、優れた研究開発を補助金で支援したり、特許や知的財産権で企業の利益を守ったりすることがこれにあたります。
ただ、政府が支援すれば、次々とイノベーションが生まれるほど世の中は甘くありません。そこで、どのような経済政策なら意味があるのか、政府が補助金を出す場合はどのような方法なら成果が出るのか……こういったことを過去事例のデータを使って検証し、より効果的な政策とはどのようなものかを明らかにしています。
科研費の審査プロセスをデータで検証する
——先生の専門領域におけるデータを活用した研究についてお聞かせください。
最近の研究のひとつに「科研費審査プロセスにおけるえこひいきの分析」があります。科研費とは、「科学研究費補助金」の略で、文部科学省が大学などの研究機関が行う優れた研究テーマを助成する制度のことです。この審査のプロセスが事業の成果に与える影響についてデータをもとに分析しました。大学の基礎研究は、企業のイノベーション創出と密接に関係しているため、入口となる審査プロセスを検証することは、産業組織論の研究にもつながるわけです。
科研費の審査には、「ピアレビューシステム」が導入されています。これは特定の分野に詳しい専門家による査読を経て、その研究が助成に値するかを審査する方法です。ここで応募者と審査員の間に何らかの利害関係がある場合、審査員は辞退するルールになっています。しかし、科研費の規定では利害関係の範囲が狭く規定されており、過去に共同研究した間柄にある研究者や同じ大学の同僚が審査するケースも多々あります。そこで、私は審査員と応募者の関係性が審査にどのような影響を与えるかを過去の申請5万件分の審査スコアを使って分析しました。
その結果、審査員と応募者が過去に共同で論文等を執筆した経験があるケースで、特に審査員のスコアが将来の研究業績を予測する精度が下がることを示唆する結果を得ました。つまり、利害関係者による「えこひいき」は、審査の精度を落とす可能性がデータから見えてきたのです。一方で、関係性があることで、審査員が応募者の事前情報を入手でき、審査の精度が上がるケースも確認できました。これは、「情報の優位性」といって、特に過去の実績データが少ない若手研究者の審査をする場合は、将来業績予測の精度を上げる効果もあると考えられます。
以上が、過去の科研費申請の審査スコアを分析することで、より効果の高い審査員選定の基準が見えてくるという研究事例になります。
データサイエンスの面白さは、こうした何気ないデータを分析することから、誰も知らない真実を発見できるところにあります。探偵マンガの主人公が「真実はひとつ!」と謎を次々と解決していくのを見るのは楽しいですよね? それと同様で、データを扱う専門的な手法を身につけることで、社会のさまざまな真実を明らかにできるのがこの研究の醍醐味といえます。
コロナ禍の給付金が家計消費に与えた影響を調べる
——先生はデータ科学センターをどのように活用していますか?
データ科学センターの研究教育用データ活用プラットフォーム(WIRP)を利用して、コロナ禍に一律10万円の給付金が家計消費に与えた影響を調べる研究を行いました。これは、WIRPの枠組みの中で、みずほ銀行から提供してもらった約1300万件の個人情報に紐付かない口座データを利用したデータ分析の研究になります。
皆さんも記憶していると思いますが、新型コロナウイルス感染拡大が顕在化した2020年4月に、日本政府は国民全世帯への1人あたり10万円の特別定額給付金の支給を決定しました。低所得者層に限定した給付をすべきという声もありましたが、実状を把握することは困難で、一律給付に決着しました。そこで私たちの研究チームでは、給付金の入金が確認できたみずほ銀行約280万件の口座情報を分析して、預金出金への影響を調べました。
データ分析の結果、給付金の入金週以降、家計の出金額、現金の引き出し額が急激に増加したことが明らかになりました。具体的には、入金後6週間の間に、10万円の定額給付金のうち、およそ3万1000円がATMから現金で引き出され、それを含む4万7000円が口座から出金されたことがデータで示されました。さらに細かい分析では、手元に現金(現金化しやすい資産を含む)が少なかった人ほど支出が増えたこともわかり、今後の政策において、どのような給付が合理的かを提案する材料も得ました。
この研究は政府による公的データではなく、民間企業によるいわゆる「オルタナティブデータ」を使って、時々刻々の変化する政策課題に対して、迅速な対応ができる可能性を示したことでも大きな意味があります。個人的には、今回のパンデミックのような未曾有の事態において、経済学者がどのように社会に貢献できるかを再認識する貴重な機会になりました。
専門知識 × データサイエンスで世界は広がる
——大西先生は、2024年にサバティカル(研究休暇)を利用して、ドイツで研究をしていたそうですね。
ドイツにあるマックスプランク研究所で、客員研究員として1年間在籍し、企業のイノベーション創出に関する研究をしてきました。私が在籍していたのは、ミュンヘンにあるイノベーションや知的財産に関する研究所で、そこには世界各国から研究者が集まっていました。アメリカ、中国、ロシア、ウクライナから来た研究者が一緒に研究しているような環境です。研究者に国境はありません。
現地に行って改めて実感したのは、データを用いて論理的に自分の意見を述べるスキルは世界共通だということです。また、私の専門である経済学の理論も世界共通なので、研究者同士はすぐに密なコミュニケーションをすることができます。早稲田大学を志望する受験生の皆さんなら、将来、留学を経験する機会もあるでしょう。
データサイエンスの手法は、海外で学ぶ際にも大きな強みになると思います。
——最後に早稲田大学でデータサイエンスを学びたいと考えている受験生や学部生にメッセージをお願いします。
データサイエンスを学ぶ上では、プログラミングや応用数学を用いたデータ分析のスキルは不可欠です。しかし、それよりも重要なのは、データを用いて、何をどのように明らかにしたいかという「目的」のほうだと考えます。
私のゼミナールの学生が参加する関係で、早稲田大学データ科学センターが主催する「データサイエンスコンペティション」を見学したことがありました。テーマは、広告代理店から提供されたマーケティングデータを活用した研究成果を競うというもの。そこで面白かったのが、経済学系と理工学系の学生で、研究アプローチがまったく違ったことです。例えば、経済学系の学生は、データから消費者の行動原理などを明らかにする基礎研究に取り組む。一方で、理工学系の学生は、消費行動のデータを用いてファッション診断のアプリをつくってしまう。つまり、データとの向き合い方がまったく違うわけです。
これはどちらが正しいということではなくて、データ分析の目的は違っていて当然ということ。つまり、学生それぞれの興味関心があって、それを深く探究するための手段としてデータサイエンスがあるべきだと思うのです。AIでも気候変動でもファッショントレンドでもいい。自分が学ぶ目的を明確にして、各分野で専門知識を身につけた上で、データ分析のスキルを学ぶとより世界が広がると思います。早稲田大学なら、どの学部に進学してもデータ科学センターでデータ分析のスキルを身につけることができますよ!
(プロフィール)
大西宏一郎 ONISHI Koichiro
一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。文部科学省科学技術政策研究所研究員、大阪工業大学 知的財産学部准教授などを経て、2018年より早稲田大学教育・総合科学学術院へ。2023年9月から2024年08月までドイツMax Planck Institute for Innovation and Competitionで客員研究員として研究に従事。専門は産業組織論、イノベーションの経済学。